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10-1



「ちょっと、ナナシさん。最近大丈夫?」
「んん?」

特製ナポリタンを口いっぱいに頬張って幸せ気分に浸っていると、隣のテーブルを拭きに来た梓さんがササっと私に耳打ちしてきた。見れば店内が落ち着いて雑談ができるくらいの客入りになっている。来たときから梓さんの視線を感じていたので何かあるとは思っていたのだが、このナポリタン、食べ始めると止まらなくなるのが難点だ。よく煮詰めたケチャップの酸味のない甘さと太い麺がお気に入りでつい無限に口に入れてしまいそうになる。お行儀悪くも唇についた粉チーズをぺろりと舐めてから、梓さんに向き直った。

「昨日ナナシさんを探してるって人が写真を持ってお店にきたんだけど、怪しかったから最近来てないって言っておいたの。変な事に巻き込まれてるとかじゃないですよね?」
「私を探してた?どんな人でしたか?」
「かなり大柄な男の人で、黒っぽい髪で外国人みたいな顔立ちでしたよ。日本語だったけど」
「外国の人……」

心当たりがまったくない。写真まで持っていて、ここに通っていることがバレているなら会社や家もバレていそうなものだが、最近そんな人物に声を掛けられてもいないし尾行された覚えもない。相手は動き出したばかりで、来るかどうかも分からない喫茶店を訪ねるということは家の場所は知られていないということか。

「自分はナナシさんの知り合いで、急いで確認したいことがあるとか言ってましたよ。悪人顔だったから絶対怪しいと思ったのよね」
「悪人顔……他に気付いたことはありますか?」
「そうね……あ、外に車を待たせてあったみたい。ベンツでしたよ!」
「おお……」

……あれ?ひょっとして私って誰かに狙われてる?
ここは警察に行くべきだろうか?まぁ実害がなければ警察も動かないだろうけど、このまま家に帰ってあとでもつけられたら困る。いや、ちょっと待って。私って客観的に見て怪しい人と関わりすぎていないだろうか。一番気になるのが、専務がどこぞでどうにかなっていて、秘密裏に事件になっている場合だ。そんな時に同じ会社の人間が怪しい奴に追われていると言って駆け込んできたら、どう思われるか。グルだと思われて警察に取り調べを受けるだけならまだしも、どこからか嗅ぎつけた褐色・金髪の悪の組織の人とかが笑顔で息の根を止めにくるパターンだってあり得る。
なにも知らなければ真っ直ぐにお巡りさんに助けを求められたのに、困った。しかし、外人か……嫌な予感がする。
お会計の時、基本的にすごいとかおいしいとしか言わない私が(それもどうかと思うけど)悩んでいる様子を見て、梓さんが心配そうにぎゅっと手を握ってくれた。や、優しい。少し歩きながら考えよう。もちろん背後には気を付けて。私は梓さんにお礼を言うと、ポアロを後にした。
さて、どうするか。




「ナナシさん?」
「わあっ!」

急に名前を呼ばれて文字通り飛び上がった私は、誰から見ても挙動不審にしか見えなかっただろう。声を掛けてきた人物……安室さんはそんな私を不思議そうに見て「こんなところでどうしたんですか?」と聞いてきた。安室さんに偶然会ったことにも驚いたが、言われて辺りを見回して更に驚いた。そこには、滅多に来ることはないけれど、見覚えのある18階建ての独特な形状の建物が。警視庁だ。ちなみに、すぐ隣は地味なので何かとスルーされがちな警察庁である。警察に行こうか悩んでいるうちに無意識に霞が関まで来てしまっていた。ポアロからここまでは電車で20分以上かかる。そういえば電車に乗ったような気がするけど、大丈夫か私。
しかし安室さんこそこんなところで何をしているんだろう。数日前のパーティー会場で色々とあったことなどまったく気にしていない様子だ。……まさかあれは僕であって僕じゃないとか、そういう設定で行くつもりか……?ちょっと訝しげに安室さんを見ていると、彼は再度名前を呼んできた。

「ナナシさん、具合でも悪いんですか?」
「いえ!考え事してたらいつの間にかここに来ちゃって……帰らなきゃ」

私は正直にそう話した。さすがに考え事の中身は言えないけれど。なんというか警察に相談するにしても警視庁までわざわざ来る必要はなかったのだ。あと、安室さんと一緒に警視庁前にいるのはまずい気がする。……なぜ私が安室さんに気を遣わなければならないんだろう。悪の組織のくせに。
安室さんが少し考える素振りを見せたので、私は慌てて手を体の前でひらひらとさせた。

「あ、もう17時……私、もう行きますね!」
「お送りしたいところですが、これから依頼人に会う予定があるので……一人で大丈夫ですか?」
「ぜんぜん大丈夫です!ほんとにぼんやりしてただけなので……お仕事頑張ってください!」

それでは!と元気に方向転換したら、すぐに後ろから腕を掴まれて最初の一歩すら踏み出せなかった。な、なんだよ?と怪訝に思い振り返ると、私と同じような顔をした安室さん。

「待ってください。そっちは逆方向ですよ」
「……え!?あ、そうでしたね……滅多に来ないから間違えちゃいました……」

素で間違えた。恥ずかしい。警視庁なんて、小学生の頃に見学に来て以来だし。自分のぼんやり加減に思わず笑ってしまうと、手を引かれて元きた道を逆戻りする。あれ、いつ手を繋いだっけ。

「安室さん、約束があるんですよね?私は大丈夫ですので……あの、手……」
「まだ平気ですよ。あなたを放っておく方が心配ですから。手がどうかしましたか?」

軽く流された。確かに今日の私はぼんやりしすぎだと自分でも思うけど、大人として手を引かれて駅に向かうというのは如何なものか。というか混雑しているわけでもないし、繋いでおく必要はないと思う。なんだか急に恥ずかしくなってそろりと手を解こうとするも、大きな手は私の手を包み込むように握っており、無駄な努力に終わった。もういいや……ところで安室さんって霞が関を歩いて大丈夫なんだろうか。などという失礼な心配をしてしまう。

「今日はお休みだったんですか?」
「はい、さっきポアロでナポリタンを食べてきました。梓さんのナポリタン、美味しいんですよね」
「梓さんはナナシさんが来る日の朝は張り切って仕込みをしてますよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ、今日は何を注文するか予想して楽しそうにしてます」

……結婚しよ。思わずきゅんとしてにやけてしまう私に、安室さんも笑った。ポアロは仲が良くて平和だ。なんでこの人、悪の組織なんだろう。

駅に到着すると、安室さんは改札の前までついてきて、私をジッと見つめて言った。

「……家に着いたらメールしてもらえますか?」
「そ、そんなに心配しなくても……」
「一言でいいので、お願いします」
「わかりました……」

過保護か。いや私も今日はかなり危なっかしい奴になってしまった自覚はあるけど。
そろそろ退勤の時間帯とあってスーツを着た人達が増え始めた。もう少し遅かったらかなり混雑していただろう。さっき引き留めてくれて良かった、と思い彼の顔を見ると、安室さんはなぜか周りをぐるりと見渡してから、私の頭をぽんぽんと撫でて言った。

「こんな場所とはいえ変な輩がいないとも限りませんので……気をつけて帰ってくださいね」
「は、い……」

過保護か!立ち止まったふたりの横をスーツ姿の人が続々と通り過ぎて改札の中に消えて行く。場違いなカップルみたいでちょっといたたまれない。恥ずかしくて下を向くと、安室さんが頭上で微かに笑った気配がした。





「ミョウジナナシさんですね」
「…………どちらさまですか?」

米花駅の改札を出た途端、大柄な男に声を掛けられた。黒っぽい髪で、外国人。かなり人相が悪い。梓さんが言っていた人物に間違いない。ちょうど退勤のピークで駅周辺は色々な人でごった返しているが、その中でも背が高くがっしりとした体格なので相当目立っている。見るからに強そうだ。

「後ほどお話ししますので、ついてきていただけますか」
「お断りします……」

どこに見知らぬ人について来いと言われて行く奴がいるだろうか。しかもこんな怪しい男に。どうやらこちらを上手く騙して連れて行こうとかそういったことは考えていない様子で、男は少し困ったように眉を下げた。顔に似合わず紳士的というか馬鹿正直というか、外国人だからなのかちょっと感覚が違うようだ。

「要件ならここで言っていただけませんか?」
「あなたの会社の上役のことで確認したいことがあります」

直球できた。やはりあの人絡みだったようだ。ここでとぼけても時間の無駄なので、溜息を吐いて男の様子を窺う。

「上役って、ずっと会社に来てない専務のことですか?……私、専務のことは大して知りませんけど……」
「あなたは上役との連絡係ですよね。他の従業員よりは接点があると思いますが。今この場で名は明かせませんが我々は捜査関係者です。すぐに済みますので」
「…………」

ベンツに乗った捜査関係者ってどんなんだよ。力では勝てそうもないし、どこで彼らの仲間が見ているか分からないので、気軽に自宅にも帰れない。この調子だと逆上して家を襲撃してくるとかそういうことはなさそうだけど、まあ逃げ回るよりも近付いてみる方が良いか……。最近は色々なことに巻き込まれすぎて、関わるまいとするより早く終わらせたいと思う気持ちの方が強くなってきた。これは良くない傾向である。
私はしぶしぶながら頷いて、大柄な男に一歩近付いた。
メールは打てそうになかった。





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