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24-9




「…………」
「…………」

ビシバシと伝わってくる……本気が。この場から消えてなくなりたい。確かに安室さんの言う通り、真っ直ぐに言われたら私は逃げ出すだろう。
彼の言う、私の波乱に満ちたこれからの人生を一気に解決できる方法。それは一見脅しにしか見えないけれど、私にとってそうはならないことを彼は確信してしまっている。……でもちょっと待ってほしい。それをしたらしたで新たな波乱が幕を開けたりしないだろうか。
どちらかが引かない限り終わらない空気にじわじわと追い込まれる。やはり、先に口を開いたのは私。

「し、信じられない。私は普通がよかったのに」

何が「普通がよかった」のか自分でもいまいちピンとこなかった。たぶんこれは負け惜しみだ。私の反応を眺めて、安室さんが再び体を寄せようとしてきたので断固ガードする。えっ、という表情になった彼は次いでふふっと噴き出した。どうしたの、と機嫌でもとってきそうな男の様子にこれはまずいと先回りする。

「大体、私たち付き合ってすらないんですよ?」

分かってますか?と問う自分の声が上擦った。そう、私達はべつに恋人じゃない。好きとか付き合おうとか一度も言ったことがない。その割にやることやってるじゃないかと言われてしまうだろうけど、そういうことって一般的にもたまにあるっていうか。や、私はしたことないけど。それにそう、今考えればすべて緊急事態下の出来事である。私が早速逃げの姿勢に入ったことを感じ取ったのか、安室さんはやや前のめりになって顔を近づけてきた。

「順番なんて重要じゃありませんよ」
「安室さんが言うと開き直ってるみたいに聞こえる……」

安室透と出会い、組織の男と邂逅し、降谷さんを見つけた。重要じゃないって言うけれど、順番が違っていたらどうなっていたんだろう。

「また大変なものを見つけちゃうかもしれませんよ、私……降谷さんを見つけたみたいに」
「頼んでもないっていうのに」
「頼まれたら全力で断ってました」

好きこのんで見つけたわけではないのだと強調すると、安室さんが声をあげて笑った。前世の経験があったからこそだと思っているけれど、数々の偶然が重なったことも事実だ。
僕も、と、安室さんが呟いて珍しく言葉を切る。すらすらと意見を述べることが多い彼にしては控え目な態度を不思議に思っていると、彼は私を真っ直ぐに見つめてきた。

「……今度は僕の番だと思ったので……僕はあなたを見つけられましたか?」
「は……半分くらいね。私だって頼んでませんけど」

今のいままで触れなかったのに、真っ直ぐきた。動揺で肩に力を入れながら答えると、彼はフッと笑う。含みのない、無邪気にも見える笑顔だった。……こんな顔をする人だっけ。何を考えているか謎で、にこにこと表面上は穏やかで……それがゾッとする冷たさと危険な香りを覆い隠す仮面だったことを知り、その姿さえも本来の彼ではなかったことを知った。いつも私は翻弄されて、つかみどころがなくて。それが今は目の前で、ひとりの男としていわば人間らしい自信に満ち溢れた目で私を見ている。そう思う理由はもしかしたら……。

「れい、って」

ピクリと安室さんが反応する。

「漢字、零なんですね。公安になるために生まれてきたんですか」
「……そう信じていた時期もありましたよ」

可愛いものでしょう。降谷零がそう言った。
昔はサクラ、チヨダなどと呼ばれた警察庁警備局警備企画課の、彼の所属する部署。正式名称は不明だが、現在は通称ゼロと呼ばれている。
……そろそろ、視線が痛い。
病室の窓から見える木々の緑と青い空。そよぐ風や鳥の囀り、道行く車の音はガラスでシャットアウトされて聞こえない。薄雲で太陽が隠れて、隙間から尾を引く光が地上へと降り注ぐ。ところどころに落ちる影がグレーのスーツを濃い色に変える。静かに隔離された箱が空模様を映していて、私も、その中にいる。穏やかで微睡を誘うような陽気なのに、空を濃縮したみたいな鮮烈な青が燦然と私を見つめるから、目を離すことができない。きっと、これからもだ。
彼がゆっくりと瞬きをして、再び私をその目に映した。

「ところで、いい加減それ返してもらえます?ちゃんと僕からあなたに渡したいので」

じっとこちらを見て手を差し出してきた安室さんを、キッと睨み付ける。
車の中で拾った、ポアロと書かれたクリアファイルは私の鞄の中だ。大方わざと落としておいたんだろうけど。
挟まっていたのは苺のタルトレットが描かれた試作メニューの紙と、左半分が記入済みの婚姻届。
それを背中に隠し、私は目の前の男を威嚇した。





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