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23-7



「あれ?」

キイ、カシャンと門が背後でひとりでに閉まった音がした。
敷地内に足を踏み入れ数歩進んだところで、思わずその場に突っ立ってはてと首を傾げる。いつもと様子が違うのだ。植えられた樹木や建物の影が伸びる夕暮れ前のキャンパス。構内がやけに広い。

……誰もいないからだ。
……なぜ?

卒業してしまったとはいえ、普段どの程度の生徒がいるか知っている。必修はあれど大学の講義は選択制だ。講義の時間帯だとしても全員が教室に入るわけではなく、講義と講義の間が何時間か開く場合もある。だから平日の日中に無人になるなどあり得ないのだが……。
風の音しかしない構内は異様な雰囲気だった。スマホを見てもあれ以降は何の連絡もない。シーンとした場所でひとり、佇み続ける。ここで何かを計画していることは間違いなさそうだ。事前の準備なく大学を無人にできるものではない。あの男、ペラペラといらんことを教えてくれる割には肝心なところで信用ならない。……実はジンを研究所に呼び出したのではなく、構内に呼んだのだろうか?

研究所の東に大学があったわけだが、じゃあ大学の中の東っていうのはどこなんだと思って方角を確認してみる。すると、構内の一番東は恩師の研究室が入っている棟であることに気付いた。彼は私の過去の云々なんてもちろん知らない。これで実は黒幕は先生でした!とかだったら張り倒すだけでは済まない。偶然か、それともメールの送り主が、分かりやすいようにそこを選んだと考えた方がいい。
仕方ない、行ってみよう……。警備員すらいない光景に少しそわそわする。

「…………?」

もうこの先には該当の建物しかない、というところで、ひたひたと後ろから足音が聞こえてきた。私と歩調が合わない足音は容易に気配に気付かせるようなものだ。わざとそうしている……?ここで不自然に引き返すこともできず、目の前に迫った建物のドアを仕方なく開ける。そして中に入るタイミングでチラと後ろを振り返った。やはり距離を保ちながらついてきている。背格好は男だ。その辺で売っていそうなツバのある黒の帽子。スーツを着用している。頬はやや色白で、たぶん短い黒髪。若そう。一瞬で確認できたのはそれだけだったが、間違いなく知らない男だ。

……今回の舞台で私が顔を知らない人間はひとりしかいない。呼び出したDIHの職員だ。有川がもしジンを研究所ではなく大学構内に呼び出したとしたら、DIHもそこに……というのが自然だ。けど、私まで呼び寄せた理由が分からない。あの男は何を考えている?そして背後の人物が私を追ってくるのはなぜなのか。本物なら大場の知り合いだとは思うけれど、今ここに彼がいないので確認しようがない。すぐに男も建物に入ってくる。
……とにかく出方を窺うしかないか。私は廊下の途中で足を止めた。

「あ、あの!どちらさまですか!」
「…………」
「今日学校お休みですよ?部外者なら、警察呼びます!」
「…………」

シカトである。
それどころか声を掛けた途端に相手が早足になった。真っ直ぐに廊下をこちらに向かって来る男に、慌てて踵を返して奥に進む。背が高いから本気になられたら追い付かれてしまうかもしれない。角で待ち伏せして襲いかかる……のはダメだ。私が勝てるような普通の人間なのか不明だし、万が一倒してしまったら後からやってきたジンの相手はどうなるの?という切な理由のためだった。
幸い、この建物には何年も通っていたので内部は熟知している。4階建てでフロアもそこそこ広い。逃げることは難しくないはずだ。

「……っ?」

廊下を抜けた先の休憩スペースで支柱に身を隠して聞き耳を立てる。 
さっきから何だか違和感があるなと思っていた。足音が妙なのだ。時折不揃いで、まるで怪我をしているような……いや、酔っ払いのような……そうかと思えば持ち直したように普通になる。どうしよう、単なる紛れ込んだヤバい人の可能性が出てきてしまった。けど、ここまで人っ子ひとり見かけなかったのだ、この状況を作り上げた人物が外部から無関係な人間を出入りさせるようなヘマをするとは思えない。
奇妙な足音は支柱のすぐ近くを通り過ぎる。

「…………」

夜の帳がおりる間際の、薄靄がかかった夕まぐれの気配が棟の内部を満たしている。人の顔の判別ができずに誰そ彼と言われる時刻だから、黄昏。正体不明の男に追われている状況はホラーゲームのようだ。
足音が遠ざかって行ったところで、近くにあった階段から上にあがる。慌てた風を装い、2階まではわざと騒がしく階段の一段一段を踏み締めた。そこから先は靴を脱ぎ、極力無音だ。2階に逃げたと思わせてそのフロアを捜索させるのが狙い。2階から4階までそうっと駆け上がると持っていた靴を履き、廊下を進む。奴が探索している間に一気に階段を下りて1階に移動するのだ。あとはタイミングだが……。

ガタンと外で物音がして、慌ててスマホを落としそうになる。平静を装っているが内心ビビりまくりだ。あの男はともかく、ジンまでここに来たら大学がなくなってしまうかもしれない。廊下を歩きながらスマホで時刻を確認しようとして、開きっぱなしのメールの文面が目に入る。……いや、ちょっと待って。この文、よく考えたらおかしくない?

ヘブライ語だから、私を知っているフシのある有川から送られたものだと決め付けてしまったけど。誰かを呼び付けるような暗号を聖書を用いて作るのに、この一節を引用するのは些か強引ではないか。感覚的なものになってしまうが……慣れ親しんだ人間ではない、外部の人間が考えて作成したような文言にも見えてくる。
待って、有川が送ったんじゃないとしたら、一体誰が私をここに呼び出したというのか。あの男だと思い込んでいたし、それしか考えていなかった。
ひやりとしたものを感じて立ち止まると、バタバタと激しい足音が下のフロアから聞こえてくる。

「……!?」

階段を一気に駆け上がってくる音だ。失速せずに2階から3階を通過して真っ直ぐこのフロアに向かっている。まずい!なぜバレた?慌てて反対側のエレベーターへ走る。途中で乗り込まれたら厄介だったので除外していたが、もうこうなったらあれで下りるしかない。相手が今階段を駆け上がっているということはエレベーターにはとても間に合わないだろう。徐々に大きくなり、相手が迫ってくる音がフロアに反響して私を焦らせる。まるで建物が揺れているかのような振動すら感じた。

「あと少し……!」

ちょうどこの階で止まっているエレベーターを見て少しほっとする。
ところが、あと少しで到達するというところで思いがけないことが起きた。
バタン!と大きな音を立てて、エレベーターの数メートル先にある扉が開いたのだ。

「え…………!?」

見開いた私の目に映ったのは、私の後を追ってきていたあの男。しまった……!音が反響して勘違いした。男が使ったのは外に取り付けられている非常階段。てっきり私と同じように中から上にあがってくると思い込んでいた。そして非常階段の存在もすっかり忘れていた。
2階を捜索させて時間を稼ごうとした私の目論見は最初からバレていたのだ。それどころか、階段の音に慌てた私がエレベーターの方向へ逃げることも計算していた。完璧に読んでいなければ最上階まで一気に駆け上がっては来ない。行動を完全に把握されていた。おかしい……カメラの類があるようには見えないのに。

非常階段のドアを閉めた男がこちらに足を踏み出して、一歩ふらつく。

「っ……!!」

エレベーターのボタンを押して乗り込み、また扉が閉まるまで推定4秒。ダメだ間に合わない。仕方なく進路をずらし、結局エレベーターには乗らずに再び逃げる。私の背後から、体勢を立て直した男が迫ってくる。




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