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23-6



預言者というのは旧約聖書に登場するエリヤのことで間違いないだろうけど、随分唐突だ。
若干前後の繋がりが自然でないのは必要な部分だけ引用して文章を切り取ったためか。指示っぽいところといえば最後の行に、「彼が最初に身を隠した場所へ行け」とある。この途中の、彼女を奪うみたいな物騒な言葉は何の隠喩なのか気になるところだが……。

「…………東?」

エリヤが身を隠したのは街の東にあった川を見下ろす洞窟の中だけど、そこへ向かえというのは……ここから東は大学構内だ。ここまで呼び出しておいて大学に行けって一体どういうことなの。何かの謎解きなんだろうか。というか直接は言わず、聖書を引用してわざわざメールで送ってくることに何の意味が……。

「…………」

考えても分からずに溜息がこぼれる。
他にヒントは……と思考を巡らせて、さっきあの男が言っていた妙な台詞が蘇ってきた。確か、死を待つ人間にとっての希望の光だったか。
同じ聖書の内容で心当たりはない。……ちなみに、旧約聖書と言ってはいるが本来有川の立場でその呼び方はしない。旧約とは新約に対しての言葉であり、彼にとっては旧約と呼ばれるものこそが聖書だ。まあ今それはどうでも良いとして、大昔の聖人の逸話に似たような言葉があったような気がする。

「死を待つ人間にとっての希望……カラス?」

そういえば、預言者が身を隠した後に身の回りの世話をしたのもカラスだったけど……うーん、無理矢理こじつけてる感があるのでやはりメールとは関係なさそうだ。ここは危ないから大学に避難していろという、そういうアレなのだろうか……ここにいろって言ってたのに……ツンデレか?ツンはないけど……。悩みつつも研究室を出る。別に絶対にここから出るなとは言っていなかったし、意味不明なメールを送ってくる方が悪い。そうしてもやもやとしながら廊下をしばらく歩くと、どこからか足音が響いてきた。

「!」

背の高い、女性のような足音だ。こちらに近付いてくる。ここには大場と有川しかいないはずだが……研究室に引き返す時間はないので、迷い込んだ生徒でも装うしかない。ここは堂々としなければと思い、曲がり角の方からやってくる人物に合わせるように進む。やがて相手の着る青っぽい服がチラリと見えて……。

「あっ!」
「!?」

思わず自分から声を上げてしまった私に、その人物は驚いたように立ち止まった。ぱちくりと数度瞬きをした彼もまた「あ」と漏らす。

「あんた、あの時の探偵さんの連れじゃないか」
「あなた……確か山中さん!?」

作業着姿で帽子をかぶったその人は、例の幽霊騒ぎの一件で会った清掃業者の山中さんだった。モップを手にしている。閉鎖された曰く付きの場所だから無意識に足音を立てないようにしていたのか、何となく女性かと思ってしまった。どうしてここに、と問おうとして、ここは大学の関連施設だったことを思い出す。どうしてここに、はどう考えても山中さんの台詞だろう。私が言い訳を考える前に、彼は眉を上げて額に皺を寄せた。

「おいおい、ここは立入禁止だぞ。また探偵の手伝いでもしているのか?」
「そっ、そうなんです!ちょっといろいろ調べることがあって」
「まったく、どうやって入ったんだ?ここは警察の言いつけで当時のままにしてあるんだ。荒らしたらどやされるだろう。ほら、さっさと出るからな」
「わ、ちょっと引っ張らないでください!」

まさか山中さんを張り倒すわけにもいかず……というかどうせ外に出ようとしていたので構わないのだが、腕を掴まれてやや強引に引っ張られる。有川はなぜお掃除のおじさんを締め出さなかったんだ。山中さんはやれ腰が痛いだの、年々掃除用具が重くなるだのと喋るので、私は相槌を打ちながらついて行くしかない。エレベーターは動いていないため階段で下り、すんなり出口から外に出ると、研究所を後にした。

「ほら、ここまで来たら道も分かるだろう」
「はい……ありがとうございます……」

大学と研究所の間には林とも呼べない木立が広がっている。周囲を生い茂った木に囲まれた小道。そのまま構内に向かうかと思えば中途半端なところで足を止めて、彼は私の手を離した。

「すぐに人の頼みを聞くのは良くないぞ。幽霊だのは俺は信じちゃいないが、世の中どんな危険があるか分からないんだから」
「き、気を付けます……」

世話を焼かれてしまった。「そ、それじゃあお元気で……」と私がペコペコしながら歩き出すと、男は片手をひらひらとさせて見送ってくれる。無表情なのが微妙なシュールさを醸し出しているが日頃から学生と接していて慣れているのだろう。そう思うことにした。

「あ!あの、今日はもう戻らない方がいいと思いますよ!」
「んん?」
「えーっと……そう!また幽霊騒ぎがあったので近寄らない方がいいです」
「……えっ?」
「しかも今回は首吊りとかじゃなくて、ホラー映画並みにグロくてですね……具体的に言うと手足が」
「分かった、分かった!昨日のうちに清掃は終わらせてたから、今日は少し見回って帰る予定だったんだよ……」

ドミトリーの件は幽霊ではなかったと聞いているはずだが、あの深夜の首吊り映像はそこそこトラウマになっているらしい。もう待機所に帰るという山中さんをほっとして見送り、私は裏門から大学に入る。




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