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06-2



まず、社内の照明はすべて消えているので、室内に非常灯と彼が持つ懐中電灯以外の光はない。暗視スコープがあったとしてもよほど近付かない限り顔を判別することはできないだろう。靴音で女と気付かれるのも厄介なので、素早くパンプスを脱いで誰かのデスクの下に押し込める。
次に位置だが、私が部屋に入ったあとに背後から来た安室さんが入口を塞いでいる状態である。逃げ道はそこのみ。それを分かっている彼も先ほどからドア付近に立ったまま動こうとしない。宅配業者として何度かここに出入りしていたなら間取りも十分に把握しているはずだ。
そうとなればまずは彼をあそこから動かさなければ。私は腕を伸ばし、デスクの上を探る。指先に触れる硬いものを握り締め、姿勢を低くしたまま身を隠したデスクから様子を窺った。

「……しかし驚きましたよ。あなたが2ヶ月前、我々にコンタクトを取っているところを一般人に見られていたなんて」

コツリと、彼が一歩踏み出した音がした。注意深く聞きながら、全身で彼の気配を察知しようと集中する。一般人という言葉。ならば一般人でない、あなた、というのは、十中八九例の企業に金を流していた専務のことなんだろう。ここで私は専務と間違われているのだと気付くことができた。

「あなたは類似の事件を起こしてうやむやにしようとしたようですが……良策だったとは言えませんね。あなた方の世界ではカタギの人間を巻き込むのはご法度のはず」

また一歩、こちらに近付いてくる。
2ヶ月前、外回りから戻った従業員が軽い怪我を負った事件。その後に起きた女性ばかりが嫌がらせを受けた事件。つまり2ヶ月前、専務がここで安室さんの言う"我々"に何かの連絡をしていたところを従業員に見られてしまったということか。その従業員がその後どうなったか疑問が残るが、わざと他の事件を起こして有耶無耶にしようとしていたようである。警察に届けなかったのも専務が一枚噛んでいた可能性が高い。おそらく2件目以降の実行犯は、私を専務の部屋に閉じ込めたあの男。今日、あのタイミングで専務と連絡をとり、青ざめていたあの男だ。どうりで見たことがない顔だと思った。あいつは殺されると言っていた。逃げる、とも。い、嫌な予感しかしない。

「僕もね、一般の方を巻き込むのはできれば避けたいんです。……意外でしたか?後始末が大変なんですよ。僕のような下っ端は面倒事を押し付けられるので」

足音が止まった。しかし、よく喋る男である。
不思議なのが、彼が言った「あなた方の世界では」と「意外だったか」という問い掛け。専務がそっちの世界の人というのは疑いようがないが、まるで自分達は違うような物言いだ。専務が金を横流ししていたのはフロント企業、つまり完全にそっちの世界なので、横領事件と安室さんは関係がないことになってしまう。なら、なぜ安室さんとその仲間と思われる人間は、あのようなデータを盗む必要があったのだろうか。しかも、今日初めて会った人間を殺そうとしている理由は?彼の背後にいる組織の命令で?……だめだ、ぜんぜん分からない。繋がらない。

「さて、いい加減に隠れんぼは終わりにしましょうか」

そしてさっきから全く口調が変わらないのが本当に怖い。とても人を殺そうとしている人間の声とは思えなかった。
隠れんぼの終わりイコール私も終わってしまう気がしてならないので、次は鬼ごっこをすることにしよう。

私が物音一つ立てないので、観念したとでも思っただろうか。空気が揺れて、気配が一気にこちらに近付いてきた。
よし、ヤツが入口から離れた。四つん這いの状態からさっと半身を起こし、姿勢を低く保ちながら並ぶデスクの陰に隠れて壁際に移動する。そして。


プルルルルル。

「っ!?」

静寂を打ち破り、窓際のデスクに置かれた固定電話が大きな音で鳴った。
赤い電話着信のランプが暗闇の中で点滅する。
驚いて息を飲んだ彼の一瞬の隙を突き、姿勢を起こした私は部屋の出口に向かって壁際を一気に走り抜けた。今しがた使ったPHSを服で乱暴に拭い、ついでに思いきり投げつけるのも忘れない。回転を加えたそれは見えなくても綺麗なフォームで飛んで行ったのが分かった。誰のか知らないけど、ごめん、と心の中で謝る。鈍い音がしたがどこに当たったかは確認できない。
フロアから出て、迷わず5階に駆け上がる。下に行くと見せかけて上に隠れる作戦である。下に行けば外に出られるが、建物から出たらさすがに外灯の明るさで顔がバレてしまう。バレなかったとしても、家までご案内することは避けたい。そして予想だけど、安室さん、走るのがすごく速そう、という理由で。
社長室、副社長室ともに鍵がかかっているので、仕方なくさっきまで閉じ込められていた専務の居室に音もなく滑り込んだ。手探りで内側からそーっと鍵を掛け、溜息ひとつ。





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