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23-4



5階建ての施設の基本の間取りは各階共通になっている。所内の案内図を見ると4階から5階の部分だけは吹き抜けのようだ。さっきまで3人でいたのは1階の物置きで、ここは2階。前を歩く男は迷いなくどこかへと向かっており、このラボを既に熟知しているように見受けられた。
オープンキャンパスのお知らせ、セミナーの予定表……どれも日付は数年前のままだ。廊下の壁に貼られたどこか懐かしい雰囲気のするそれらを横目に、ぱたぱたと軽やかな足音が記憶の中で走り去るのを聞いた。

「情報機関の職員を呼び出してどうするつもりですか?」
「あいつは単独行動しそうに見えて案外、組織に忠実なんだ」
「あいつって……?」

有川は他の幹部をほとんど知らないというから、あいつとはジンに他ならないだろう。
大場を逃して何かを企んでいるとしても、母体の防衛省まで引っ張り出すというのは大袈裟だ。そもそも、ジンは前任者がDIHから送り込まれたスパイであることは知らないはず。もしかしたらスパイの男が何か怪しい動きをして、察知はしていたのかもしれないが……。

「幹部が動くには命令が必要なんだよ。殺したはずの男が生きてる、それじゃあもう動けないからな」

前任者が生きている。そう告げればジンはすぐにでも確かめたいと考えるだろう。だがそれだけではだめだ。最近同じように「始末したはずの男」の生存を疑って動き、結果的に無駄足を踏んだことが原因だった。

「どうして他の組織を巻き込む必要があるんですか?あなたが直接呼び出せば……」
「それは不自然だな。俺が奴と直接会うことなんてほとんどない……実際、顔を変えてから会ってないしな。それに考えてもみろ。八坂の件はいつまでも宙ぶらりんのままだ……DIHの職員だったことにすればジンも納得するしスッキリ片付く」
「……な、」

始末された前任者がスパイであったことはジンには言わない。ただ単に八坂はDIHの人間で、盗んだ情報をどうにかしてDIH本部に渡した可能性がある、とだけ告げればいい。そして、今日その真偽を確かめるためにこの場所にDIHの職員を呼び出した、と。
一方、DIHの方は死んだはずの男からのコンタクトにより慌てて誰かを送り込んでくる。
ふたりが鉢合わせれば非常にややこしいことになるが、十中八九ジンに始末されてしまうだろう。

「……ジンは確認なんてしないで建物ごと吹き飛ばすんじゃ?」
「オスプレイをダメにした直後だ、身一つで来るよ。それに何も本気で両者を戦わせようってわけじゃない。DIHはあくまでもジンを誘き出す餌だ」
「…………」

この先、有川が降谷という名前を掌中にしたままいなくなっても、組織から盗みを働いた八坂という男の存在は消えない。いくら調べても何も掴めなかった正体不明の男は奴の記憶にずっと残り続けることになるだろう。それひとつでは意味をなさない小さなピースでも、いつか何かのきっかけで思いがけない図柄を構成する一片になり得る。これは八坂というピースを処理済みとして葬り去る絶好で最後の機会というわけだ。
有川は黙り込んだ私にどうするでもなく、たどり着いた部屋の前でドアノブに手をかけた。

「連中には前もって俺からコンタクトしておいたんだ。お役所っていうのは急には動けないだろ?」
「じゃあ、どうして大場さんを?」
「ここから先は些細なことで市ヶ谷の人間じゃないってバレるからな……」

連絡のツールや形式にはその組織独自のやり方がある。緊急だったと言い訳をして最初の1回は騙せても、2回目以降は見破られてしまう可能性が高い。相手は日本最大の情報機関なのだ。

「前任が死んだ時、ジンはそいつが飼ってた情報屋もそっくりそのまま引き継いだんだ。殺したってバレると面倒だからな。結局、八坂に情報を盗まれて全員解散させたが……その時点では大場のことを末端の情報屋としか見てなかった。その後、知らん顔で八坂の件を調査しに来たから調べたんだよ。それで分かったんだ。大場が防衛省の職員だってことが」

さっきの大場の話からしても、正体を隠して他の捜査員に紛れ込んで八坂の捜査に加わっていたのだろう。ジャーナリストという顔も持っているから、ツテがあり捜査情報を得ることができたのかもしれない。大場がDIHだと突き止めた有川もすごいが、そんな秘密の情報を知り合って間もない私に堂々と遊園地で話さないでほしかった……。

命令がないから動かなかっただけで、情報屋の中におかしな動きをする人間がいることに有川は元から気付いていた。ジンの不利になるようなものをわざわざ止める必要もないと考えて放っておいたわけだ。
私が大学に有川を呼び出して、そこに逃げてきた大場が居合わせたことは偶然ではあったが、この男が今回の作戦を思い付くきっかけになったんだろう。

「わざわざ呼び出さなくたって、あなたがDIHの人の役をすれば?」
「別にいいけど、俺がまだ警察官だって忘れてないか?」
「……あ」
「情報本部だと名乗っておいて、万が一この体に何かあったら厄介だぞ?組織にスパイを送り込んでいたのは実は警察組織だった!ってことになる」

俺、まだお巡りさんだから。飄々とした男は、これから命をかけるというのに世間話みたいに言う。
……まあ、警察組織も既に組織にスパイを送り込んでいるうえ、どうやらそこそこ偉くなってしまってるみたいですけどね……。末端でこの騒ぎなのに、バレたらどうなってしまうのかと恐ろしい。

「じゃあ、乱暴だけど大場さんを囮にするのは?どうせ元DIHなんだし……」
「スパイがいるのは何も黒の組織の中だけとは限らないだろ?DIHは数千人を抱える機関だ……どこにどんな奴が潜り込んでいるか分からない。亡霊に呼び出されて誰かを派遣した、っていう事実は公式に残しておかないと、後から照合されたら裏で手を引いていた俺達の存在に気付かれる」
「…………」

確かに後から何らかの方法でDIHに照会されて、退職済みの大場のことがバレたら厄介だ。普通に考えたら黒の組織には大場とその仲間、安室さんとこの有川も潜り込んでいたわけで、あちら側に誰もスパイがいないと考えるのは甘い。


……プログラム細胞死の多様性について……
話しながら有川に続き部屋に入って、記事がホワイトボードに貼られているのを見付けた。数人のデスクがある研究室だ。マグカップ、レポート用紙にペン……雑然としており、今も誰かが使っているのではと思わせるほどに人の気配が残っている。
私は細胞らしき不気味な模型を持ち上げて眺めている有川に向き直った。

「それで、私は何をすれば?」
「とりあえずここにいてもらおうかな」
「…………?それで?」
「それだけ」
「……は?」
「ま、俺今はお巡りさんだし。一般人を巻き込むのは、ねえ」
「いやいや、今更何言ってるの?協力するっていう話は?」
「俺はこれが終わったらいなくなるけど……そうすれば君ももうここにはいられないだろ」
「……え?」
「失踪した警官が最後に関わっていた事件の関係者、しかもDIHや黒の組織とも接点があった。今後一生、君は国家に目をつけられて生きていくわけだ」
「…………」

確かに私が警察の世話になるのは待ったなしだ。安室さんがどんな立場でどれだけ権力を持っているのかわからないけれど、他の省庁まで巻き込んですべてを揉み消せるはずがない。現時点で有川が放置されているのは、正体が別の誰かだという証拠が一切ないからだと考えられる。今回の事件で有川が命を落としたとしても、有川憂晴という警察官が殉職したことにしかならないのだろう。そして、有川がどうなろうとも私は重要参考人になる。
さすがに事が済んだ後、警察組織だけでなく情報本部に監視されながらここで生きて行きたいとは思わない。なら、この男と国外逃亡するか?ということになってしまう。男も暗にそれを言っているのだ。いやいやダメでしょう、それは。両親が泣くぞ。どこの島にいるか知らないけど。

「最初からそれが狙いだった……?」
「まあね。しかしあの組織、しばらく探ったけど謎が多いんだよなぁ」
「黒の組織って呼ばれてましたけど……親玉は?」
「……死を待つ人間にとっての希望の光、ってところかな。関わらない方がいいことは確かだ」
「……希望の光?」

悪の組織の親玉が希望?なぜ?と首を傾げていると、有川は私を置いてさっさと部屋の出口に行ってしまう。

「あんまりふらふらと出歩かないでここにいろよ」

その言葉を最後に、扉は閉められてしまった。



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