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22-4



「来年はサミットが開かれるとかで、騒がしくなりそうだねぇ」
「けど、電車が通ったら買い物に行きやすくなるかもしれないよ」
「電車じゃなくてモノレールだよ、ばあさん。どうせ若い人の店ばっかりだと思うけどね」

私のイメージでは、民宿というとご飯はその土地のものを使った料理で、鍋が出てきたりして畳の部屋でみんなで和気藹々食べるものだと勝手に思ってたんだけど……夕食はどうしてか宿から百メートルくらい離れた空き地でバーベキューだった。しかも民宿のオーナーやご近所の方も一緒に。……正直言えば安室さんと沖矢さんと一緒に鍋を囲むという地獄は見たくなかったので良かったんだけど。どこからか現れたおじいさんやおばあさんにたくさん肉や野菜やきのこを食べさせられて後半はフードファイトのようになりつつ、食べ盛りの若者(29才と年齢不詳らしい)が平らげてくれたのでどうにかなった。

祭りの屋台にあるようなオレンジ色の照明の下、それはパジャマではという格好の人から仕事帰りの人まで、適当に寄り集まって食事を共にする。この飲み屋のような雰囲気が得意そうな人員は生憎と私達の班には皆無なのだが、みんな意外と楽しんでいるようだ。蘭さんがお酒を飲まされないように、それだけは見張らなければ。
ざわめきの対岸は静まりかえった埋立地の工事現場だ。夜空の濃い藍色を溶かし込んだ海が凪いでそこにある。来年のサミットの会場になるというのは初めて聞いたが、地元の人間ならば当たり前に知っている話なのだろう。
この辺りは昔商店が立ち並んでいたらしい。時代の移り変わりとともに民宿以外の店は無くなってしまったが、家はそのまま残っており、親類も多いためこうして集まるのだとか。そういう話はなかなか聞かないので、土地柄なんだろう。サミットといえば警察でも公安部の領分。彼もそれに関わることになるのだろうか。今日はあれ以来、ほとんど話していない。視線を巡らせたが姿は見当たらなかった。きょろきょろしていると、脇から伸びてきた小さな手に袖を引っ張られる。コナン君だ。

「コナン君、どうしたの?ちゃんと食べてる?」
「ねえ。危ないこと、考えてないよね?」

緩い雰囲気の中、いきなりぶつけられた問いに目を丸くする。私は座っている状態で顔を少し寄せた。この質問は私をここに呼び出した理由のひとつだろう。予想外に安室さんが来ることになったため、いない間に声を掛けてきたのかもしれない。
あの日、私と刑事さんとのやりとりをどこまで聞いていたか定かではないが……たとえコナン君でも、あの男の正体は話せない。誤魔化すよりも話せないと正直に言うべきだろう、そう考えて彼を見つめたが、小さな唇はそれきり動くことはなかった。

「……大丈夫だよ。命の危険とか、そういうのはないと思う。コナン君だって知ってるでしょ?あんまり危ないこととか、騒がしいことは得意じゃないんだ」
「でもナナシさん、前と変わったよね」
「……そう?」

そうだよ。真っ直ぐ、真摯な目が私を見つめてくる。子供特有のきらきらとした美しい瞳を眺めて、私はほっと息を吐いた。私が変わったと言われたらピンとこないけど、私が見えているものは変わったんだと思う。少し前から……あの橋の上に立って眼下の川を見下ろした時から、心の奥に芽生えたように自覚はしていた。言葉にするのは、初めてだ。

「夢をね、見てるのかなって思ってたの」
「夢?」

妙なことを言い出した私をコナン君が見つめている。
コナン君は、ここが夢の中だって思ったことはない?
そう尋ねると、彼は小さな体で息をのんだ。
……コナン君なら、ほんの少し、分かってくれるんじゃないかと思っていた。彼は語らないが、望んでその姿になったわけではないのなら尚更。これは「悪夢」じゃないかって思ったことがあるでしょう?

ここは元から彼の世界だから、私が感じているものとは違うのだろう。
もちろん私にとっては悪夢などではなく、あの日々とは比べようがないほどに優しい世界だ、ここは。別の人間として生を受け、女性として身も心も成長し、ここに生きていることを自覚しながらも私は、ふとした時にこれは夢なのかもしれないと、そう思うことがあった。当たり前のように繰り返されていく何でもない日常。その全てが煌めいていたから。

夢はいつかは終わる。当たり前のことだ。そして夢が終わるタイミングは自分がよく理解していた。ありきたりで完璧な世界は自分だけで完結している。すなわち、自分の死だ。それでいい。私だけがいれば他には何も必要ない世界だった。思うままに生きて死ぬ、ここはそういう場所だったはずだった。

「……自分が生きている限りこの幸せな日々は続いていく。そういう自信があった。でも、簡単に壊れちゃうかもしれないって気付いたんだ……」

夢のように幸せな世界。でも、ただ生きているだけでは壊れてしまうかもしれないことを知った。何か兆候があったわけじゃない。ゆっくりと気付かされたのだ。生きていればそう上手くいくことばかりではない。そんなことは前の世でうんざりするほど思い知っていたけれど。思えば私は、何かを強く望んだことがなかったのかもしれない。だからここで生きていても、ふわふわとした形のない幸せばかりを見つめていたのかもしれない。普通の幸せなんて知らないくせに。
やがて夢は変質して、静かに寄り添うように実体を持って私の前に現れた。そのかたまりは私をいつも翻弄して、中身を知ろうとすればするほどおかしなことになった。大抵のことは何とかできる、理解できるという自負が余計に自分を追い詰めて、当てはめようと押し付けた型は粉々に砕かれた。

大きな眼鏡の向こうで目を伏せて、コナン君は黙って聞いている。

「今まで、失わないように努力したことなんてなかったから……今度は自分で守らなきゃって思った」
「…………それはナナシさんがやらなくちゃいけないの?」
「……今の私が何かしたって大して役に立たないのは分かってる。でも、これはけじめなの」

意地ともいう。普通の女であると言いながら矛盾した行動だろう。けれど私の中にある存在のおかげで出会えたものがある。私は私自身に誇りと自信を持っていたし、完全に切り離すことはできなかった。
色々なものを捨てて、目の前に起こることをただ受け入れてきた。自分から手を伸ばしたことは一度もなかった。それは元いたところがそういう世界だったからだ。けど、ここではそれが許される。この場所を守るために私は、私の意志で決めたのだ。

「……ねえ、」

暫く何かを考えている様子だったコナン君がそう言って瞼をあげる。小さく笑って、大人みたいに。まるで全部知っているみたい。不思議な子だ。

「ナナシさん……提案なんだけど」
「……うん?」

瞬きをした私に、今度は彼の方から顔を寄せてくる。
静かなその声に耳を傾けた。




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