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「ナナシさん、来てくれたんですね!」
「ナナシお姉さん、スマホ持ってきてくれてありがとう!」

嬉しそうな蘭さんと、にこーっと笑ってこちらを見上げるコナン君に、私もいっぱいいっぱいの笑顔を返す。どっどういたしまして。噛んだ。
沖矢さんに近くのお店に連れて行ってもらい、着替えやスキンケアなどの必要なものを購入してやってきた約束の場所。やや古びた小さな民宿の前だ。
現在は近辺の工事が進み対岸に重機類が見えるが、昔は都心近くなのに静かな海辺の宿として人気だった。家からはそう遠くない距離だけど、だからこそ自分から来ることはないようなところだ。確かに、最近は気分が滅入る事件続きだったので気分転換には良いかもしれない。……うん、いつもと違う環境に身を置くというのは気持ちがリセットされるというか、あの、いいと思うけれど……事件にがっつりと関わっていた人が一緒だったら効果が半減するんじゃないかな……?
蘭さんの後ろにもうひとりいた。

「安室さん、来ていただいちゃってすみません」
「大丈夫ですよ。いつもお世話になっていますから、これくらいは」

にこりと蘭さんに微笑みかけるのは安室透その人だった。なぜここにいるのか分からない。というか、いるなら私は余計に来ちゃいけなかったような。思わず沖矢さんを見て、それからコナン君を見てしまう。コナン君は呆れた顔をしていて、沖矢さんは無反応だ。すると私がきょろきょろとしたのを見つけた蘭さんが「実は……」と苦笑して事情を話し始めた。
最初は蘭さん、コナン君、それに付き添いの阿笠博士で来る予定だった。けれどさっき沖矢さんも話していたように博士が風邪を引いてしまい、代わりに沖矢さんが来てくれることになった。

「それをお父さんに言ったら、自分も行くって言い出して……でも結局、ヨーコさんのコンサートチケットが手に入ったとかで代わりに安室さんが来てくれたんです」
「得体の知れない大学院生の男と一緒だと聞いて、毛利先生も娘さんが心配だったんでしょう」
「そ、そんなコトないですよ、沖矢さんとお父さんは前にも会ってるし……あまり喋らなかったけど、」

笑顔で刺のある言葉を吐く安室さんに蘭さんが慌てている。娘と若い男……沖矢さんが一晩一緒なのが心配で自分も行くと言ったが、外せない用事ができて安室さんを送り込んできたというわけか。安室さんも若い男だと思うんだけどそこはいいのか……。弟子補正なのかもしれない。えらく大変な場所に投げ込まれてしまった。帰りたい。
バッグからスマホを取り出し、コナン君に近付いて身を屈める。

「はい、コナン君のスマホ」
「ありがとう」
「もう置き忘れちゃダメだよ?」
「うん、気を付けるよ!」

コナン君可愛い……本当に油断ならないけど。にこにこと釣られて微笑んでいると、背後から足音が近付いてくる。コナン君があっという顔をした。

「ナナシさん」
「はっ……はい?」

安室さんの声に後ろから呼びかけられて思わずびっくりしてしまう。立ち上がって振り向くと、彼は右手を差し出してきていた。

「これ、忘れて行きましたよ?」
「え」

見ればそこに、彼の褐色の指と同じような色合いの布が握られている。チェック柄の生地には見覚えがあった。ベレー帽だ、私の。あの観覧車の騒動でどこかに飛ばされて、次の日に安室さんの家にあったものだ。彼の服と一緒にハンガーに引っ掛かっていたのを目撃していたが、その後色々と大変なことになったので返してもらうのを忘れていた。

「…………な、」

思わず口を半開きにして安室さんを見上げる。彼は少しだけ微笑んでいて、いつもの爽やかな安室透の顔で私を見ていた。……ここで意地悪そうな素振りでもしてくれていたら、まだ引っぱたく余裕が生まれていたのかもしれない。

「…………!!」

鏡を見なくたって分かる、一気に顔に熱が集まってきて私は瞬時に赤くなった。おいこら、ちょっと待て。こんな場所で、みんながいる前で。もちろん周りの人間からすればそんなことがあったなんて思いもよらないだろうし、ポアロに忘れたのかと思うだろうけど。見ていたコナン君がすかさず突っ込みを入れてくる。

「なーんだ、ナナシさんだって忘れ物してるじゃない」
「あ……うん、本当だね……ははは……」

バッ!と安室さんから帽子を引ったくって、私はそれでも小さくお礼を言った。子供の手前というやつである。……何もこんな場所でみんなに見せつけるように渡さなくたっていいのに。や、私が何でもない素振りで受け取れば良かったのだが、安室さんがここにいることも予想外だったし、まさかこうくるとは思わなかった。帽子が用意してあるということは事前に私がここに来ることを知っていたということだ。ちらりと蘭さんを見る。

「…………」

彼女は沖矢さんと話しながらも、すごくいきいきした目でこちらの様子を見ていた。まずい……伏兵が多すぎる。このままではコナン君から距離を置くどころの話ではない。
安室さんが目を細めてその青い瞳に私を映す。

「なんだか久しぶりですね」
「……そうですか?」

わりとこないだ、会いましたけど。組織のお兄さんに首を締められたり、鼻で笑われたりしたので安室さんに仕返しをしようと思っていたけど、姿を見たら何て言えばいいか分からなくなってしまった。大学構内の一件は事件だったので、こうして何もない時に顔を合わせるのはあの日以来なのだ。もっといえば、あれだって観覧車事件の翌日。もうずいぶん、この人とは平時の精神状態で向き合っていない。心に余裕があったのなんて、それこそ騙されてディナーに行ったあのレストランとか、出会ってそう経っていない頃のショッピングモールとか。

「依頼があってポアロのシフトを減らしてしまっていたので……ここで会えるとは思いませんでしたよ」
「…………」
「どうしました?」
「…………いえ」

あれ、私って安室さんとどんなふうに接していたっけ。もちろん、不穏な彼とばかり会っていたから忘れてしまった……という話ではない。唐突に、当たり前にしていたことを見失ってしまったような感覚だった。なんだか混乱している。心が。
ぱちりと瞬きする私の荷物をものすごく自然に取り上げて、安室さんが先に宿に入っていく。スマートか。背の高い彼が少しだけ身を屈めて敷居を跨ぐのを見つめていると、後ろにいたコナン君に早くと促された。




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