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22-2



「こんにちは」
「……沖矢さん……」

運転席からこちらに向かって挨拶をした男は、相変わらず眼鏡の奥に表情を隠していた。てんとう虫みたいなまるいフォルムが特徴的な車はかなり古いものだったはずだが、彼の持ち物なのだろうか。街中で見かけることは少なく、どちらかといえばコレクターの家の車庫にしまわれている方が多いだろう。大学生の乗る車とは思えない。

「コナン君に言われてお迎えにあがりました」
「や、私は行かないって言ったはずなんですけど……」
「でも、スマホを渡す約束なんですよね?」
「はぁ……」

これでコナン君がどういうつもりだったのか判明した。ここで行かないと言い張っても無駄な労力を使うだけだ。コナン君はどうしても私に来て欲しいらしい。それにしてもわざとスマホをポアロに忘れて行くとは、万が一私が今日ここに来なかったら困ったことになるだろうに。……あ、その時のための回収要員が沖矢さんか。FBIをそんなことに使ってくるとは、強い。
大袈裟に溜息を吐いた私は仕方なく助手席に乗り込んだ。一瞬、この開いた窓からスマホを投げ入れて走り去ればいいのでは?と考えたがそこまでしてコナン君を避けるのもあまりに大人げないし、沖矢さんに追い掛けられたら泣きそうなので、やめた。シートベルトを締めたところで車は走り出す。

「すみません、無理に誘ってしまったみたいで」
「いえ……沖矢さんも行かれるんですね」
「ええ、本当は阿笠博士が付き添いの予定だったんですが、風邪を引いてしまったので」
「そうだったんですか……」
「リゾート地というわけではありませんが、たまには羽を伸ばすのも良いと思いますよ。行く途中にお店がありますから、買い物を済ませてから向かいましょうか」
「……もしかして、私がずっとホテルに閉じこもってるから誘ってくれたりしたんでしょうか」
「彼は事件にしか興味がないように見えて、妙なところで気を遣いますからね」

運転中の沖矢さんを見る。その向こう側に流れる景色は街中から移り変わり、海の青さが眩しさとともに目に焼き付いた。整備されつつある道路を走ると一定間隔で街路樹が過ぎ去っていく。ずっと工事をしていたこの通りはまだ認知されていないのか車通りはほとんどない。
これから向かうのは東京湾の埋立地近くにある民宿らしい。その埋立地では国際会議も開催できるような大型の会議場を作る予定で、現在統合型リゾートを建設中なのだとか。それに合わせて周辺道路も綺麗にしているということだった。建設中は宿の利用者も増加しているが、今後は人の流れが変わり外にある古い宿泊施設に客は見込めなくなる。それ故に年内で民宿をたたむことになり、知人の毛利さんに最後だからタダでいいよと声がかかったという話だ。

「この辺りもどんどん変わりますね」
「ええ、大昔はこの道路も海だったということですから……住める土地に移るのではなく、人が住む場所を作って行くんですね」

何を考えているかいまいち分からない男の横顔を眺める。元が良いからなのか、きらきらと輝く海をバックに運転する男はそれはもう様になっていた。きらきらしたものとイケメンの相乗効果で私の存在が霞んでしまう。こちらの視線をまったくもって気にしないタイプらしい沖矢さんはハンドルを握って前を見ていた。

「……類さんは元気ですか?」
「だいぶ落ち着いているように見えますが、大きな事件の後ですから……どこかぼんやりしているようです。連絡は取っていますね?」
「はい、ラインで……沖矢さんはとても親切にしてくださると」
「彼女は公安の関係者も同然です。まだあの家からは出さない方が良いでしょう。本来ならば日本の警察に任せるべきですが……」
「……気付いてたんですか?」

類さんのことは「データを組織から盗んだ人間の恋人」としか説明していなかった。……まあ、組織からデータを盗むような人間は限られるので分かりやすいといえばそうか。彼女が工藤邸にいることは公安も把握している。まさか直接尋ねていって女を寄越せ、などというやりとりはしていないだろうが、赤井さんを前にした安室さんだったら断言はできない。

「彼女から色々と話を聞きました。拳銃を見つけたのは彼の死後でしたが、それ以前にも気になることはあったようです。……女性の勘は侮れない」
「…………」
「ひょっとしたら早い段階で彼が単なるドライバーではないことに気付いていたのかもしれません」

彼、事件に巻き込まれやすいみたい。夜の観覧車でそう言った彼女の顔を思い出す。悲しくて、綺麗な笑顔だった。ふ、と小さく息を漏らす男の唇を不思議な気持ちで見つめる。……女の勘は侮れない、か。人に興味がないように見えて、類さんから丁寧に聞き取りをしているところを見るに、この人も細やかな性質なんだろうか。
沖矢さんは続ける。

「もし疑問をぶつけたら彼は消えてしまうかもしれない……それなら心に秘めておく方が良かったんでしょう」
「……そうかもしれませんね」
「…………」
「……赤井さんは、……」

心当たりがあるんですか。そう尋ねようとしてやめた。
“八坂”がどんなふうに彼女を愛したのか、それは分からない。潜入し、精神的に摩耗している時に縋っていたのか、それとも一般の人間と繋がっていることで崩れそうな心の安寧を保っていたのか……。その答えは、穏やかな顔をしたあの写真の彼が囁いているような気がした。いつ撮られたものかは不明だが、彼の立場でわざわざ自分の写真を撮り、交際相手に渡すことはしないだろう。きっとあの向かい側では、カメラを構えた彼女が笑っていたのだ。

「秘密を暴かれて消えた人間は大勢いる……僕達はそれを痛感している」
「……?」

もちろん、時には暴いた方が消されることもある。ゲームオーバーは突然やってくるのだ。諜報において仲間を喪う多くの要因はそれだろう。ここで一般人を自称する私が「そうですね」と同意するのもなぁと首を傾げると、沖矢さんが「つまり」と呟いた。

「臆病になっていくものです。自分の秘密だけではない、相手を深く知ることにもね」
「…………そっか、そういうものでしたね……」

それはもはや精神面での職業病の一種かもしれない。そういった立場から離れすぎていたせいか、すっかりそういう意識は薄くなっていた。

私は彼から視線を外して、前方に見えてきた建設中の埋立地を見つめた。




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