Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

18-31 (16前半)




彼女が食事をする姿を見るのは以前から好きだった。初めてポアロで会った時にその所作に目を奪われて、それが全ての始まりだったともいえるので特別に感じているのかもしれない。安室透の料理を美味しいと言って食べる様子ももちろん好ましいものではあるが、さすがに正面からまじまじと観察しているわけではないので、こうして面と向かっているとつい見つめてしまう。今日何度か彼女から「また見てる……」という雰囲気を感じとってはいたが、注意されないので自重することはなかった。
柔らかく煮込まれて身の崩れかかった肉の塊をフォークで口に運ぶのをじっと見つめる。ぱくりとひとくちに収めて、繊維のひとつひとつを舌の上でとろかして、味わうように瞼を伏せる。赤ワインベースのソースは味の想像が容易でも、彼女が口にしていたらとびきり美味いような気がしてくる。そうしてしばらくゆっくりとメインディッシュを楽しんでいたナナシさんだったが、やがてうんうんと唸り始め、しまいには溜息を吐いてフォークでぐさりとポテトを刺した。肉を切り分けながらそれを見つめ、もぐもぐとジャガイモを食べるナナシさんに向かって、お口に合いませんかと首を傾げる。一体何を考えていたのか、彼女はそんなことはないと言って料理を褒めると、俺をじとりと見つめてきた。

「……安室さんが悪い人すぎてお腹いっぱいになってきました……」
「……えっ?」

思わず素で反応してしまった。何故いきなりそんなことを言われたのか分からない。が、何となくここに至るまでの自分の悪どい思考がダダ漏れなのではないかと、そう思って少し焦った。悪い人と言うからには組織の男のことでも考えていたのだろうが……。まあ、歯牙にもかけられない雑魚でいるより悪い男だと思われていた方が何倍もマシだ。これはいったい何の話だ?自分自身でもよく分からなくなってきた。とにかく彼女の前では誰かでいたい。……なんでも良いから爪痕を残そうと足掻く愚かな男そのものだなと考えつつ、心の中で挙手をした組織の男が口を開く。ふふ、と、微かに笑うとナナシさんがこいつまさかという顔をした。

「確かに、僕は悪い人間ですよ……」
「いやそこは乗ってこなくて大丈夫です」

彼女は相変わらず組織の男に冷たかった。
このあと僕に付き合っていただけますか。そう言ったのは別に彼女の反応を見るためではない。誰と会うのかと問い詰めて、答えを得ていたとしても同じように誘っただろう。いや、これは誘いなどという穏やかなものではない。この時点で彼女をあの男の元へ行かせる気などなくなっていた。

「ちょっと失礼します……」

ポケットにスマホを入れて逃げる背中を、じっと見つめた。




エレベーターの扉が開いた。乗ることを戸惑っている彼女の薄い肩を抱くと、ぴくりと指に振動が伝わってくる。こういう時の女の心情は分からないが、ふたりきりになることを警戒しているのだろう。もしくは……このまま何処ぞに連れ去られるのではと危惧している。今までの行動を振り返れば無理もないことだ。けれど結局、一歩、二歩と足を動かして、あなたはそうやってそこに乗る。

「思い出しませんか?いつだったかこうやってエレベーターで」

覗き込んだ彼女の瞳に自身を映したかった。監視カメラに背を向けて、密着した状態でレンズから彼女を隠す。あの時の安室透とは別人みたいだと、珍しく正面から言われて少し笑った。スーツだから?と言うナナシさんはとっくにそうではないことに気付いているくせに、様子を窺うように首を傾げている。ナナシさんはあまり変わりませんね。俺のその言葉に、彼女は呆れたような顔で普通はそうなのだと諭してくる。統一してくださいね、なんて。

「……それは難しいな」

本心だった。
この先、彼女と普通の関係を築けるかといえばそれは不可能だろう。何でもない平凡な恋愛がいいと言ってありきたりなドラマの内容を語った彼女。到底、相手は自分じゃない。そんなことは分かっているのに、気持ちが他の男に向かっているかもしれないと知って焦っていた。
自分を理解してくれる人間は得難いものだ。けど、それを大切に思うならただ幸せを願って別の方法で支えれば良い。これはただの執着と欲望。彼女を奪われたくない、繋がっていたい。何でもいいから、3人のうちの誰でも良いから。

「僕もあなたと秘密を共有したいです」

悪いのは拒まない彼女か、何も告げずに思わせぶりに振る舞う男か。華奢な体を引き寄せて、そっと唇を触れ合わせる。それは今までのキスとは違った。
ん、と漏れ出た吐息すらも塞ぐように唇を重ねる。心地の良い感触をずっと求めていたい。彼女の両腕が背中に回った。
下降するエレベーター、地上までの距離は約170メートル。30、29、28…………インジケーターの数字と一緒に心の余裕が減っていく。目的地は地下駐車場だ。このままでは彼女を行かせないために何でもしてしまいそうだった。物騒な思惑に気付いたかのように唇が離れていく。その目が映すどうしようもなくカッコ悪い男の顔を見たくなくて、もう一度噛み付くように口付けた。柔らかな肌に服の上から指を這わせる。淡いグリーンのワンピースをぐしゃぐしゃにして、力任せにぎゅう、と抱き締めた。お互いの鼓動が早まっている。途中から少し踵を浮かせてしがみ付いてきた彼女はこのカウントダウンをどう思っているのだろう。早く終わってほしいと、そう思っているだろうか。……焦燥でおかしくなりそうだった。




Modoru Main Susumu