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18-30 (16前半)



「……このあとって?」
「はい?」

この後に予定がある。彼女はそう言って酒を断った。生活パターンは尾行をしていた関係で把握しているが、夜遅くの外出は滅多にないはず。人に会うということまでは認めたものの具体的には濁している。友人という可能性も僅かにあるが、おそらくはあの有川という刑事だろう。
一度逸らされ、視線が戻る。思考の間。友人に会うだけならこの反応はない。彼女は考えているのだ……目の前の男にそれをどう言おうかと。小さな口がカプレーゼのモッツァレラチーズをぱくりと食べるのをじっと眺めた。いつもより濃い色のリップがオリーブオイルで濡れている。「男性ですか」と問うと「私が勝手に言うわけにはいかなくて……」という苦し紛れの言葉が返ってきた。相手の性別すらも誤魔化す彼女に向かって目を細める。

「秘密を共有する仲、というわけですね」
「そ、そんな大したものじゃないですよ……」
「僕とこうしているのがその人に知られたら、まずいんじゃないですか?」
「いえ、それはありませんね」

彼女はキッパリとそう言い切った。深夜に会おうとする関係の男が、他の男とふたりきりで食事をするのを良いと言うわけがない。たとえ共通の友人であったとしても微妙な気持ちになるだろう。騙されてここに来たからノーカウントなのか?もしくは今ここにいる男の存在は障害にすらならないのか。

「…………それはそれでひどいですね」

それがよほど落胆して聞こえたのか、彼女はフォークにトマトを刺した状態のまま引き気味に俺を見た。

「もう、今日は何なんですか?安室さんじゃないみたい」
「安室透が良かったですか?ナナシさん」
「そういうことじゃありません。というか答えにくいこと聞かないでください!」

そこは匂わせるなとばかりに、しまいには怒られた。






グラスの中の透明な液体がゆらゆらと揺れた。自分の体温が高いせいか握り締めた白い手は少しだけひやりとしていて、いきなり掴まれた驚きで中途半端にその指は開かれている。

「安室さん、秘密ばっかりはよくないですよ。そういうのは適度に小出しにしないと逃げられますよ?」

それを聞いたら反射的に手を伸ばしていた。逃げられたくないというのは本心だった。……まだ間に合うなら。そんな心理が働いたのは確かだ。久しぶりに触れた彼女の肌の感触を確かめようと、その薄い皮膚を指の腹で撫でる。ぴくりと反応した彼女は私のことじゃなくて一般論です、と焦った。
繋がっていることに安堵するのはずっと人の肌に触れていなかったせいなのか。すり、と触れ合わせる手指は互いの熱が伝わってだんだんと同じ体温になっていく。彼女の視線がスーツから見えている左腕の時計に注がれて、その瞬間、俺の思考は外の空気でも取り込んだかのようにすうっと覚める。
まさかあの男じゃないでしょうね、これから会う人というのは……。その言葉に彼女は「違います」とぴしゃりと遮るように答えた。前に赤井と接触したことを知られて酷い目に遭ったので警戒しているのだろう。そうやって赤井を意識されるのも気に食わないがまあいい……いや良くはないが……。

「なら……商店街で一緒だった人ですか?」

本当に聞きたかったのはこの質問だ。はじめから赤井と会うなどとは思っていない。彼女はぱちりとひとつ瞬きをして、違いますと答える。最近一緒にいますよね、と確認するように覗き込んで、細い指をぎゅっと握った。

「…………」

何も答えない彼女はやはりあの男のことを俺に言うことができないようだ。無理もない。友人とも呼べず、しかし堂々と人に話せる関係でもない俺とナナシさんの間柄で、所謂恋人の存在を打ち明けることは罪悪感を伴うだろう。……ああいう男がそばにいた方がいいのかもしれない。なんて言っておきながら、見守るどころか責めるような自身の行動は不可解という他ない。ここで名前を言わせて一体どうするつもりなのか。だが、答えに困っている彼女を見ても許してやろうとは少しも思わない。
とくり、脈が早まる。意地悪で最低な男だと思いつつも唇の端を吊り上げて「脈が早いですね、嘘はいけませんよ」と彼女を追い詰めるような言葉を口にした。

「その……」

薄紅をひいた唇が開きかけて閉じる。視線を横に流して、チラと俺を気にして、目が合うと焦ったように下を向く。水しか口にしていないはずの頬は赤みが差して、伏せた瞼から見える瞳は潤んでいる。何だか思ってた反応と違うな……と考えつつ、妙に色っぽいその全てに釘付けになる。
そして……本当に言いにくそうに、彼女は言った。

「……気付いてないのかもしれませんけど、安室さんが握ってるせいです……今日いつもと格好違うし、ドキドキして……あ、いつもかっこいいですけど、」
「ちょっと待って。一回、黙ろうか……」

途中で制止したことを褒めてほしい。はい、とあっさり黙った彼女はどうしたのかとこちらを見つめてくる。……きみはそういうキャラじゃなかっただろう。誤魔化すためだったとしても、男にそういうことを言うものではない。完全に負けた形になるが、顔を見られたくなくて咄嗟に俯いた。追い詰めている最中になぜ俺が窮地に追いやられる……彼女の脈はさっきよりも更に早くなっていて、握った手は離せなくなった。

「安室さん……10日前の日曜日の14時頃、どこにいましたか?」

しばらく沈黙していると、ここぞとばかりに彼女が尋ねてくる。いつの間にか形勢逆転だ。それはあの倉庫で彼女を助けた日。……突如現れた第三者の姿は見られていないはずだ。駆けつけた有川が狙撃したと誤解するのでも良し、たとえそれをあの男にたずねて否定されても、正体不明の何者かになるならそれで構わなかった。銃で助けたのはナナシさんも分かっただろうから、単純に拳銃を所持している人物に心当たりがなかったのかもしれないが……この人ならば気付いてもおかしくはない、という思いもどこかにはあった。
本当ならここで「ポアロにいた」とでも言わなければならなかったのだろう。なのに口からは「さあ、忘れました」という何とも曖昧な言葉が出る。彼女はその答えに少しむすっとしながら俺の手を振り解いて。

「ありがとうございました……助けてくれて」

ぽつりと、そう言った。
完全に否定すれば、ヒーローは1人だったのに。



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