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18-29 (16前半)



……公衆電話が鳴った。

『2年前のカルト教団集団失踪事件を覚えておられますか』

建設途中で放り出されたビルは経年で鉄骨部分が剥き出しになり、夕暮れへと変わっていく空の下で不気味に影を伸ばしている。工事が続いていればこの辺りも人の多い賑やかな団地になっていたのだろう。電話ボックスの外の誰もいない一帯を視界に入れながら、硬い声音で話す男の言葉に記憶を辿る。

「ああ……確か大学生が巻き込まれた事件だったか。それが?」
『その時、やたらと我々に突っかかってきた男です』
「よく覚えていたな」
『印象に残る事件でしたので……』

バーボンが“始末した”専務が、こっそりと連絡を取ったという外部の人間。風見が記憶していたおかげで案外あっさりと調べがついた。大場龍太、自称新聞記者。2年前、都内で活動していたカルト教団が強引な勧誘で学生を巻き込み、失踪騒ぎに発展した事件……それを嗅ぎ回っていた男だ。カルト教団とは簡単に言えば信仰と称して犯罪行為を繰り返す反社会的な集団だが……このような団体を公安は常に監視しており、捜査段階でその新聞記者とたびたびかち合っては揉めていたようだ。なぜあの時の記者が暴力団に金を流すような男と連絡を取り合う必要があるのか。現在、大場は芸能系のフリージャーナリストとして働いている。芸能人のプライベートとは程遠い、一般企業の横領ネタが欲しいとは思えないが……。当時捜査を主導した警察官は間の悪いことに部署を変えて外務省に出向中である。

「資料を確認したいところだが、動けなくてな……君、潜れるか?」
『……と言うと?』
「その男、探ってみよう。何か出てきそうだ」
『勘ですか』
「ああ。不満か」
『いいえ。降谷さんの勘はよく当たりますからね』
「主に厄介な事ばかりな。別件だが、星村類の……」

ふと、廃墟になっているはずの工事現場から視線を感じて言葉を切る。受話器を右手に持ち替え、自身の左腕の時計を確認する素振りをしてから、あたかも暗くなるのを気にしているように視線を上げて周囲を見回した。誰もいない。……気のせいか。どうかしましたかと尋ねてくる声に「また連絡する」と告げ、受話器を本体のフックに戻す。カラリと扉を開けて外に出ると、冷たい風が吹き抜ける寂れた道を繁華街の方向へと歩いた。




外に広がる無数の明かりを映し込んだ空のグラスが、控え目な照明の店内で輪郭を際立たせていた。都心ではそう珍しくもない高層ビルの上階に位置するレストラン。客は男女の組み合わせと、次いで女性同士での来店が多い。仕事で利用することはあってもプライベートではほとんど来ることのない系統の店だが……今日ここにいる目的が仕事か、プライベートかというのは実は量りかねている。
自分のことなのに何をと言われそうだが、誘いの電話をかけてきたのはあの江戸川コナンだ。「安室さんの将来に関わることだから、絶対に来てね!」などという言葉で公安警察をいとも簡単に呼び出す恐ろしい子供。彼は安室透の正体を知っている。言葉の意味がそのままならば、いつ消えるとも分からない安室透の「その時」を示唆するかのような言い方だが、それは降谷零でさえも知らない。真に受ける必要はないはずなのに、どうしてか耳を傾けなくてはと思わせる何かが彼にはあるのだ。……しかし、ポアロで会えるのにわざわざこんな場所で話をすることに意味があるのか……電話口の弾んだ子供の声を思い出しながら、窓の外に視線を移した。

地上から離れたビルの上にはネオンの光しか届かない。食器の触れ合う音と、顔を寄せて言葉を交わしているであろう控え目な声が耳に入ってくる。しばらく景色を眺めていると人の気配が近付いてきた。視線を移し、こちらに歩いてくるウエイターを視界に入れる。その後ろにスカートの裾がひらりと見えたので、コナン君ではないな、と再び窓の外を眺めたが、どうも見覚えのある姿のような気がしてもう一度そちらに目を向けた。

グリーンのワンピース姿の女性はテーブルの前で目を丸くしている。驚いたのはもちろんこちらもだ。見つめ合う間に彼女を連れてきたウエイターは向かいの椅子を引いて着席を促しており、彼女はやや動揺を見せながらもそこに座った。メニューをお持ちします、そう言ったウエイターが離れていき、互いに面食らった状態のまま「こんばんは……」と挨拶を交わす。

「…………」

彼女は……ナナシさんは珍しく忙しなく視線を動かしている。どうしたのかと問えばスーツを着ている姿が珍しいのだと、そう言った。確かに喫茶店で働いているところばかりを見ている彼女からすれば「何事だ」と思うのだろう。ぼうっとした様子でこちらを見つめる彼女に探偵の仕事だったのだと告げれば、疑う様子もなくそうなんですかと頷いた。

「あのー……実は私、状況が飲み込めてなくてですね……安室さんはどうしてここに?」
「コナン君に呼ばれたんですよ。少し前に事件があって、手を貸したお礼だと。ナナシさんに会えるとは思っていませんでしたが」

眉を下げ気味に困惑する彼女は自分もコナン君に呼ばれたのだと言った。そのつもりで来て、実際にいたのが自分ではさぞ驚いただろう。ふたり揃ってハメられたというわけだ。星村類の存在があったため梓さんやマスターの前ではあたかもナナシさんに避けられているように振る舞っていた。……いや、まあ避けられていたのは本当だったんだが……。目論見通りに微妙な関係になっている安室透とナナシさんは慎重に扱われ、星村類の前でナナシさんの名前が出されることもなかった。それが結果的にこの状況を生んでしまったのだ。「そっとしておこう」が「何とかしなきゃ」に変化したのはいつ頃だったのか……そんなに落ち込んで見えたか?安室透……という疑問はさておき、あのコナン君までそんなことに加担するとは意外だった。

「………………」

向かいにいるので当然、視線が合う。ポアロに来る時よりもめかし込んでいる様子の彼女を眺めて。
……会えた。
そう思った。いや……もっと他にあるだろ……会えたじゃなくて……心の声があまりにも率直で笑ってしまう。
ホテルで彼女に迫った組織の男のフォローであるとか、上着のことだとか。見つめ合う間、壊れたように「会えた」以外の言葉が出てこない俺を見て、彼女は「安室さん、半笑いじゃないですか」と指摘してくる。ポーカーフェイスなどない。口から出たのは「こういうことで気を遣ってもらうとは思わなかったので……」という台詞だったが、こういったシチュエーションならば単純に「あなたに会えたので嬉しいんですよ」とでも言えば良いだろう。最善の答えが分かっていても今はどうしてもそれが言えず、ついにおかしくなって声を上げて笑ってしまった。

「ゆっくり話すのは久しぶりですね」
「はい……」

意図せずに甘く語りかけるような声が出て内心でぎょっとする。彼女は少しだけ恥ずかしそうに返事をして、目線をテーブルに下げた。その些細な動作を食い入るように見ていたせいだろうか。ウエイターが持ってきたメニュー表で彼女の表情は遮られてしまう。その肩に力が入っていることが見てとれて、どうしてか気分が浮ついた。




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