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18-26 (14-3)



「こんにちは」
「あ……安室さん?」
「偶然ですね。お買い物ですか?」

翌日の昼過ぎ、大型スーパーで声をかけられた女は驚いたように瞬きをした。昨日初めて行った喫茶店の店員に声をかけられたらそれは驚くだろう。手に品物のビンを持ったまま固まってしまっている。

「僕もジャムを買おうと思って……それ、美味しいですよね」

手の中のビンを指差して笑みを浮かべると、女は我に返ったように「あ」と呟いて手元に視線を落とす。今日は休日のようでスーツ姿ではなく私服だ。女は戸惑い半分といった表情で眉を下げ、やがて僕の言葉に頷いた。

「ええ……でも、ちょっとこれだと大きすぎて……」
「そうなんですか?それより小さいものは……ないみたいですね」

このスーパーは業務用の食料品を豊富に取り揃えており、内容量も通常より多いものばかりが売られている。女が持っているイチゴのジャムは手造りで保存料が使用されておらず賞味期限も半年と短い。他の店に行けばもっと小さいものが見つかるはずだが、と思っていると、女は「最近引っ越してきたばかりで、まだ近所のお店のことがよく分からないんです」と言った。

「なるほど……何に使うのか聞いてもいいですか?」
「朝食のパンに……」

朝はいつもパンなのだという。「一人暮らしだと、食材が余りがちになりますからね」と頷くと、女は特に否定もせずにはいと返事をした。僕は顎に指を当てて考える素振りをする。

「そうですね……料理にも使ってみてはどうでしょう?」
「……このジャムをですか?」
「ジャムを使った料理だとマーマレードがよく知られていますが……イチゴなら、トマト系の煮込み料理なんかに入れると酸味が和らいで優しい味になりますよ」
「へえ……」
「今度お店でも出そうと思って今考えているんですが、例えばミートボールのトマト煮込みとか」

野菜を多めにすれば朝からでも食べられるメニューになる。ミートボールにジャムを添える国もあるくらいで、意外にも相性は良い。ただ、日本ではより料理のベースとして慣れ親しまれているミルクを使った方が良いかもしれない……そんな考案中のレシピを披露すると、彼女は美味しそう、と笑顔になった。

「すごい、さすがは喫茶店の店員さんですね。毎日のご飯が美味しそう」
「案外家では手抜きだったりするんですよ。店のメニューを考えるのに夢中で作りすぎてしまうことはありますけど……新メニュー、よければ食べにいらしてください」
「ええ、会社が近くなので、またお邪魔します。あ……今日も行ってきたんですけど」
「そうだったんですね。ありがとうございます」

こちらの笑顔にも自然な笑みを返すようになった。だいぶ打ち解けて緊張は薄れている。やはりどこから見ても普通の女性だ。
会話の中で名前も知ることができた。星村類。その名に特に覚えはない。

「そうだ、ここから少し離れたところに商店街があるんです。そこにならもっと小さい物が売っていると思いますよ」
「ありがとうございます、次回はそっちに行ってみます。……あの……ご迷惑でなければ、この辺りのことを教えていただけませんか?」
「ええ、喜んで……」

彼女の方からそれを切り出してきたため、スマホを取り出して連絡先を交換する。ほっとして画面を操作する女の表情を見下ろしながら、ナナシさんと初めて連絡先を交換した時は微妙な顔をされたな、とふと思い出した。

「では、また」
「はい、ありがとうございました」

買い物を続ける様子の彼女と別れて会計を済ませ、尾行を再開するために車に戻る。

朝、ポアロに入っていくところは見ていたので今日彼女が店に寄ったことは知っている。紙袋を持ったナナシさんの少し後に店に入って行き、ほんの数分だけ会話をしたようだった。何故か店内で互いに頭を下げあう女ふたり。窓の外からではやりとりまでは把握できなかったが、あの短い時間で話せることは少ない。ウインカーの音しか聞こえない車内でそれを眺めながら安室透はぼんやりと考えていた。

「知ってしまった以上は見過ごせないこともある……そういうことです」

組み敷かれ、助けも望めない状況でナナシさんはそう言った。付き合いの深い嶋崎を自分は見捨てないのだというはっきりとした意思表示と、それ以上に組織の男を牽制し跳ね除ける言葉。彼女を危険から遠ざけようとした男の思惑を見通しているかのようだった。煽られた、とあの場で彼女に手を伸ばした浅慮すらも筒抜けだったかもしれない。それを浅はかだったと省みることができたのは彼女が腕の中から消えたあとで、組織の男がとった行動は情報を扱うプロとしてゼロを通り越してマイナス点だっただろう。あるはずのないことばかりが起きて揺らいでいる。錯覚してしまう。あの人は僕を理解しているのかもしれない。
彼女が「知ってしまった」らしいこと。表面上はそれを探るため、組織の男はこれからも勝手に動くだろう。その途中で邪魔が入るのなら、……もっと言えば彼女に危険が及ぶならば、それが男にとっての味方であろうと圧砕することも厭わずに。大義名分を得た男の意気は高い。
ならば安室透は?ポアロから出てきたナナシさんの姿を見つめる。その手に紙袋はなかった。店内では後から入店した女がカップに口をつけている。
女の目的はまだ分からないが……もしも安室透と仲良くなりたい女性がナナシさんに話しかけたら、彼女はどんな態度を取るのだろう、と。ハンドルに片手を預けながら考えていた。





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