Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

18-23 (13-8以降)



「僕のお願いは聞いていただけないんですね?」
「…………」
「分かりました」

部屋に連れてきた後、嶋崎を呼び出せという要求に彼女は頷かなかった。まあそれはそうだ。銃を所持しているような男が嶋崎のような身分の人物に用事があるとなれば、その目的のいくつかは誰にでも容易に推測できる。探偵として依頼を受けて嶋崎を調べている、ということにしてはいたが、銃を見られたからにはそれも嘘だと気付かれてしまっただろう。これ以上関わって周囲に騒がれでもしたら面倒だし、使えない人間をいつまでも追いかけていても仕方がない。
彼女が目の前を通り過ぎる瞬間、ふわりとまた甘い香りが漂う。ドレスの胸元を飾っていたのは紫の薔薇だったはずだが、なぜか色が変わっていて……少し目を離した隙に赤く染まっている。逃がそうと思っていたのは彼女が数歩進むほんの一瞬で、僕に目もくれずに部屋を出ようとする女の腕を反射的に掴んでいた。

「っ……乱暴!」

思いのほか力が入った。ぼすりと乱暴に放り投げられた彼女が怒りを滲ませて見上げてくる。密室でベッドに放られて、男とふたりきり。その瞳の奥に恐怖が少しもないかといえばそうではないが。パンプスの片方脱げた脚を擦り合わせ、ベッドの上の方へとずり上がろうとするドレスの裾を膝で踏みつける。逃げないようにしながら彼女に跨って、銃口を向けても唇は引き結ばれたまま。強がっているようにも見えるが、その目は真っ直ぐに僕を見ている……何故そんなものを持っているのか、安室透は、急にどうしてしまったのか。疑問を抱くのが自然なのに、目の前の女の態度は今日会った瞬間から変わらない。始めから僕を安室透だと認識していないのだ。今間違いなく、彼女の目に映るのは……。

「何を考えてるんですか?」
「えっと……安室さんのこと……?」
「…………」

自分のこめかみがピクリと動いた。あ、と薄く唇を開いてこちらの様子を窺うように見上げてくる彼女は、僕の機嫌を損ねたことに気付いたらしい。安室透じゃない、僕は。化粧で薄紅を刷いているためか、銃身でそろりと撫でる滑らかな頬は紅潮している。恐怖を与えてあの男をここに呼び出させるためだ、なんて大嘘だ。この瞬間の僕は組み敷いたこの女以外に興味がない。もっと言えば、こうすることで自分を強く認識してほしい。浅はかな男の目的を理解しているのだろうか、彼女は顔を背けた。
顎の形をたどり、細い首から下がって華奢に浮き出た鎖骨を銃口でなぞりながら、赤い唇が耐えきれずに小さく声を漏らす様や常より早い息遣いに上下する胸を観察する。もしも降谷零として同様に女を弄ぶ輩に出会ったのなら、間違いなく下衆めと言い切っていただろう。これ以上はと思うのに手は止まらない。柔らかな膨らみにシルバーの銃口が埋まる。彼女の混乱と焦り、そして悲鳴を聞いたら体の芯が熱を持ってぞくりと震えた。悔しげに眉を寄せる顔をもっと見たい。

「あの人に何かするつもりなら、許しませんから」
「どう許さないって言うんですか?」

柔らかな膨らみに無骨な指が沈んだ。硬い銃口を押し付けていたせいで赤くなったそこを指の腹ですりすりと撫でると、触るなとばかりに指を掴まれる。気丈にも組織の男に反抗する女は、安室透の時と同じように僕が本気で行動を起こすことはないと決めつけている。ここで無理矢理にモノにしたらどういう反応をするのか……あなたは女で、僕は男だ。追い詰めるような台詞を口にしてその肢体をシーツに縫いとめる。

「あなたを思い通りにすることなんて簡単ですよ……」

本当は簡単ではない。僕の言うことは聞かないくせに他人の味方をする、滅茶苦茶な思考ではあるが僕は僕だけが除外されていることに焦燥と甘い疼痛を感じた。思えば良からぬことを企む怪しい男に一般人である彼女が靡くはずがないのに、どうしてかそれが欲しい。決して消極的ではないが、進んで行動を起こす方ではない彼女は時に流されやすく、少し目を離した隙に別の色に染まっているのだ。胸に咲く赤い薔薇。それをもぎ取ってぐしゃりと握り潰す。散った花弁が白いドレスの胸元にぱらりと落ちた。

「……最低」
「あなたの好きな安室透と違ってね」

彼女は否定も肯定もしなかった。真意を推し量るようにただ僕の目をじっと見つめている。使えない人間をいつまでも追いかけても仕方がない……それは分かっている。彼女が何の役にも立たないのなら、脅してでも嶋崎に関わるのをやめさせるべきだ。嶋崎から手を引け、砕いた薔薇を見せつけるようにシーツに落として求めたが、やはり頷かない。

「知ってしまった以上は見過ごせないこともある……そういうことです」

そして、あろうことかそんな言葉を口にした。嶋崎のことを調べている男の目の前で、自分は「知っている」のだと。これは最早煽られているのだろうかと思う。何をされても思い通りにはならないという意思表示か。はぁ、と溜息を吐いてジャケットを脱ぐ。邪魔なホルスターも外してベッドに放り、するりとタイを引き抜くと、彼女は目を丸くして僕の動作を追った。その驚きように少しだけ愉快になるが、こんな何でもない女に煽られてどうする。……だが、僕は確かにずっとこうしたいと思っていた。初めて彼女が僕を見つけたあのパーティの夜から。

「僕の名前、教えてませんでしたね」

そう言うと、焦ったように手のひらで口元を塞がれる。じわりと温かさの伝わるそれを引き剥がして握り込んだ。柔らかい手だ。彼女は僕の名前を聞きたくはないらしい。名前を呼んでほしいと思う反面、それがなくとも認知されているという事実をずっと確かめていたかった。自分よりもだいぶ小さな手を包み込んで、恋人同士のように顔を寄せ、「何?」と囁く。彼女の瞳が微かに潤んでいる。組織の人間にというよりはひとりの男に怯える女。それが完全に恐怖からでないことは切なげに揺れるその瞳が物語っている。思わせぶり、とはこのことだ。このような状況下においてのそれが男の勝手な妄想だということは知識として知っていても、いざ自分の身に起こると正常な判断は不可能らしかった。

「……いや、」

キスしてほしいと言えば思いきり顔ごと背けられた。そうして晒された首筋を唇でたどる。柔肌に沈む感触がぞくぞくするくらい蠱惑的で一度そうしたら離せない。待って、そう懇願する声を無視して、体温が上がったためかより強くなる甘い匂いを吸い込んで瞼を閉じた。はぁ、と吐き出した逃げ場のない自分の吐息が彼女の肌を熱っぽく湿らせていく。細い指がシャツの上から肩に食い込むが、濡れた舌先を薄い皮膚に押し当てるたびに力を失っていった。あ、と小さくこぼれる声が布擦れの音と混じるのを聞きながらさらに柔らかな部分を唇で食もうとして。

「待って、……って言ってるじゃないですか」

ゴツリと硬いものがこめかみに押し当てられた。ハニートラップに引っかかる馬鹿な男みたいだな、と考えながら動きを止めて彼女を見る。拳銃を持つ手は微かに震えているが、不慣れで恐怖を感じているからではなさそうだ。咄嗟の行動にしては無駄なくピタリと押し当てられた銃口と、グリップが的確に握り込まれる音。触れることすら戸惑うだろう、普通なら。しかし彼女にとって不運なことに、この時の僕にとってそんなことはどうでも良かった。こんなことをしている場合じゃないとか、戻らないと、とか。構わずに再び行為に没頭する男を焦ったような彼女の声が宥め始める。

「僕はずっとあなたを支配したかった、こうして、」

安室透でも降谷零でもない男がずっとそう思っていた。彼女が僕に怯えるたび、今自分は安室透ではない男なのだと、組織の男なのだと理解する。そうやって教えられなければ自身のことにも気付けないほどの子ども。彼女はまるで水面だ。その目を覗き込むたびに見たくもなかったことを伝えてくる。あなたから逃れたい、そのためにこの手で支配したいのだと、きっとあの夜から。名前を教えてくれるならと彼女が言ったあの瞬間からこうしたかったのだ。そうすることで不安定な自己を確立させたかった。一番に手に入れたい、安室透でも降谷零でもなく、僕がこの女を……。
彼女が僕を安室透だと認識できないなら、僕が安室透を演じれば良かったのだ。けれども僕は滑稽にも、それをせずに彼女を見つめ続けた。そうやって自分を支配している女に僕の顔を見せて、だから受け入れて欲しいなんて。なあ、おかしいだろう。彼女に触れるほどに僕の存在は確かなものになっていくのに、彼女はつかめないもののようにこの指をすり抜ける。




Modoru Main Susumu