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18-21 (13-3)



ひらりと、視界の端で何かが翻った。無意識に目で追いかけた先で華奢な手が黒い布地に柔らかく沈んでいる。パーティの参加者の女性だ。長めの裾からのぞく細い足首。ヒールが磨かれたホールの床を鳴らすその度に、マーメイドラインが計算された美しさに揺れる。薄い布地が腰にぴたりとフィットして体のラインが服の上からでもよく分かった。さらに目線を上げるその刹那は言い訳をするつもりもない、単なる男の本能が大部分を占めているのだろう。大きく開いた胸元の白い肌が煌びやかな照明の下で眩しいほどに映えており、きゅっと締まったウエストとの対比で女性的な胸の膨らみが強調されて視界に飛び込んできた。曲線を包む部分は白い生地になっていて、遠目からでも細やかな装飾であることが見てとれる。
自分が誰であるかに左右されることのない本質の部分、それを覆い隠すように理性が後からやってくるが、女性の首から上を見てはっと息をのんでしまったから、いつものようにポーカーフェイスではいられなかった。近くを通った男が思わずといった風に彼女の方を振り返ったのを視界に入れ、僕は目を細める。……それはよく見知った女だった。前回会った時よりもフォーマルに近い装いをしている。調査する中での写真でしか見たことのなかった華やかな彼女の姿は、あの夜とはまた違った雰囲気で美しい。

「…………あれは、」

ならば嶋崎の姿は……と、視線を巡らせた先。見覚えのありすぎる男が彼女に近寄っていくのを目に留める。元から近くにいて他の参加者の影に隠れていたのか、彼女が驚いた様子はない。
あの晩、赤井秀一を追い詰めるために整えた舞台の上、始終穏やかにこちらの言葉を受け流した男……沖矢昴。……沖矢昴が赤井であるという確信は疑惑に戻った。だが、消えてはいない。地道に集めた証拠は何一つとして僕を裏切らない。あの時、あの場にいた人物が赤井ではなかっただけだ。沖矢昴が赤井秀一でないということにはならない。自分自身が火傷の男になれたように、外見などはどうにでもなるものだからだ。
傷ひとつない彼女の白い肌に男の指が伸びる。なぜそういうことになったのか、彼女は避ける素振りもない。ドレスの胸元にほんの先端だけ差し込まれる指を横から掴んで折りたい衝動に駆られながら、紫の薔薇で彼女が飾られるのを遠くから眺める。不必要に顔を寄せる男を、視線をあげて彼女がチラと見て。赤い唇が開き、男が首を傾げる……こそりと秘めやかに交わされる言葉。ふたりの姿はごく自然で会場に溶け込んでいる。
おきやさん……そういう……途中まで唇を読んだところで他の参加者が目の前を横切る。……目的を忘れたわけじゃない。誰が見ているわけでもないのにそんな言い訳を頭に浮かべて嶋崎の姿を探す。しかし、黒いドレスの裾が端で小さく揺れるたびに僕の視線は結局彼女の元へと戻った。
……今度お食事でもいかがですか。角度的に見えにくいが、確かに男がそう言った。きょとんと目を丸くした彼女は戸惑いながらもやがて頷く。このような場所で有りがちな男女のやりとりだ。どこもおかしなところなんてない。……なぜ。誰への、何に対する疑問なのか、自分の唇が小さく動いた。手袋をはめた自身の白い手指で口もとを覆う。そんなことはいい、嶋崎を探さなければ。

「……動くな!動けば撃つ!」

ホールに大声が響き渡った。

組織の実行犯がようやく動き出したのかと一瞬考えたが、どうも様子がおかしい。入口を振り返れば黒ずくめが数人、ホールに入ってくる。手にしているのが実銃か否かちらりと見ただけでは判別できないが、余興でないことは確かだ。咄嗟に姿勢を低くしたのは侵入者からというよりかは、沖矢昴に気取られないようにするため。
壁際を出入口に向かって移動し、黒ずくめの最後のひとりが入ってきたところで、素早く脱いだ手袋を結び合わせて閉まりかけの扉に噛み込ませる。扉は完全には閉まらずに男達に気付かれることもなかった。脱出ルートを確保して連中を観察することしばらく。

「ベルモット……恨みますよ」

気付けば独りでにそんな言葉が出ていた。このような任務を与えてくれた組織の女に対する恨み言である。鈴木会長とその娘を探す男達を見つめる僕の視界に、会長とは程遠い面構えの男と、ずっと僕の邪魔をしていた黒いドレスの女が割り込んできたのだ。リーダーらしき男の前に進み出たのはミョウジナナシで……完全な部外者であるはずの彼女は、進んでその役割を演じるつもりらしい。だが僕はここを一旦離脱しなければならない。さすがにベルモットに報告しなければならないだろう。

「…………」

身を隠していたつもりが、不意に彼女を押さえる黒ずくめの男と目が合う。いや、覆面だから目が合ったかどうかはっきりとは分からないんだが。随分とがたいのいい体格だ。他の連中がどこかそわそわと周囲の客を牽制しているのに対し、その男は堂々としている。……不快以外の何物でもない……。僕は目を細めて男を睨み付けると、奴らが動き出す前にホールを脱出した。



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