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18-18 (12-7直後)



私のことばかり聞いて、不公平ですよね。そんな言葉を皮切りに始まった応酬は冗談なのか、本気なのかいまいち分からなかった。彼女はまるで恋人に愚痴でも聞かせるようにして安室透はそんなんじゃないとダメ出しをしてくる。本人を前にそれはないだろう。だが確かに安室透はこんなことをする男ではない。スイッチひとつで切り替わるならそうしてほしいくらいだ。……切り替え方が分からないんだ。

「……昨日と同じ……」
「…………な、なに?」

黒い革張りのソファの上で押し倒した彼女が身動ぐ。薄く開いた唇は扇情的に濡れていて、まるで昨夜の夢の続きのようだった。もう一度舌を捻じ込んでやろうかと考えて顔を寄せたまま辺りの気配を窺う。……もしかしたらまたあの気配の主が現れるのではないかと、そう思ったためだ。馬鹿げている……あれは夢なのに。あの人物は物騒にも銃を所持していた。この人がそんなものを従えているはずがない。とはいえ、あれで頭が冷えたのも事実だから感謝しなければならないのだろう。邪魔が入らなかったら自分は彼女をどうしたのか……細い腕がのし掛かる男をどうにか押し返そうとするのをじっと眺める。

「もう離れて……」
「確認ですが……ナナシさんは一人暮らしですよね」
「………………」
「…………いや、変な意味ではなく」

彼女はこちらを凝視し固まってしまった。聞いてからしまったと思っても遅い。昨夜のこともあって単純に本当に他の人間が家にいないか確かめたかったのだが、これでは襲う気満々の男だ。どこか目の前の男に対してそういう欲求がないと認識している節がある彼女もさすがに警戒したのだろう、頬に一筋の汗が。まあこれはこれで、何もしない男だと決めつけられているより気分が高揚して……そうじゃない。

「今のは気にしないで…………飲みましょうか」
「……!?」

にこりと笑って言うとナナシさんはビクッと肩を震わせた。彼女は焦ったように視線を逸らしてからまたこちらを見る。何か間違えたか。さっきの質問からの流れで、今度は酔わせて襲う気満々の男に成り下がったことに気付いて俺は笑顔のまま固まった。もうだめだ……心の中で真顔になってさっと体を起こす。

「電話してきます……」

タイミングよくと言うべきか、ポケットの中で端末が震えていた。

「……女……?」

リビングから出る途中で独り言のような呟きが背後から聞こえた。すっかり女を騙すキャラにされている。何度も言っている通りそんなことはない。組織内でもそういった誤解をされることがあるのは、おそらく探り屋という肩書きのせいだ。そう、普通に安室透だけを見ていたら出てくるはずもない発想。
スマホの画面に視線を落とすと、名前は表示されていないが相手はベルモット……女だった。女だが別に騙しているわけではない。いや、ノックだから実質騙してはいるんだが……。端末を握り直してそっとリビングを振り返ると、彼女がソファから起き上がってじーっとこちらを見つめている。……スッと視線を外して部屋を後にした。




『ハァイ、バーボン』
「さっきは出られなくてすみません……こんな時間にどうしました?」
『次の仕事が決まったから言っておこうと思って……お邪魔だったかしら』

念のために玄関から外に出て、扉を背に履歴からコールバックした。辺りは真っ暗で、離れた位置にある街灯が誰も通らない道を照らしている。そう気温は低くないはずだがやけに寒々しく感じる。このあたりは比較的閑静な住宅街だ。

「何のことです?」
『あら、彼女と一緒にいるんじゃないの?』

声の響き方からしていつも滞在しているホテルではないが、屋内で電話を受けているようだ。嶋崎メイの写真を手渡して直接確かめろと言ったベルモット。そろそろミョウジナナシに接触している頃だと踏んだのだろう。今ここにいることを見られていることはないはずだと念のために周囲を見回してから言葉を返す。

「運転中だったもので……今はひとりですよ。彼女とは昨日会いました」
『そう。で、どうだったの?』
「ミョウジナナシ……彼女が嶋崎と特別な関係だとは思えませんね」
『そうかしら』
「…………男女の関係はないと言ったのはあなたでは?」

こちらを試すような声だった。ベルモットは何か証拠でも掴んでそう言っているのだろうか。調べた限りではそのような事実はなく、彼女の様子からも特別な関係ということは窺い知れない。まあ、たとえ愛人だったとしてもベルモットにそれを伝えれば彼女を危険に晒すことになるため、初めから答えは決まっているのだが……すると電話の向こうからわざとらしい溜息が聞こえてくる。

『バーボン、一回寝たくらいで勝った気になってたらダメよ』
「…………寝てませんよ…………」
『そうなの?あなたにしては奥手なのね』
「……ベルモット」

知らず低い声音になって窘めると、女の笑い声。赤い口紅が笑みの形に引かれるのが目の前に見えるようだ。あなたにしては、と言われても元からそういう手を進んで使っているわけでもないし、ベルモットもそれを知っている。明らかに遊ばれている……髪をくしゃりと掻き上げて、暗い道路の先を見つめた。よく考えたらバーボンはミョウジナナシのことを気にしていると思われているのだから、ここで寝たことにしておいた方が良かったかもしれない。そんな風に思い込ませておいた方が後々で何かの情報操作に役立つこともある。だが、今は事実でないそれを口にするのを煩わしく思った。ふふ、と笑う女の様子はバーボンの思惑や本当のことまでお見通しなのではないかと思わせる。ベルモットが……というより、女というものを時折恐ろしく感じるのは、自分にはない感覚的な鋭さを静かに秘めているからだ。近頃は、特にそう感じている。




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