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21-1



「俺?ずっとここにいたけど」

窓の外に立ちこめる闇が室内も飲み込んでいる。
静寂をより感じる暗さの中、デスクライトの赤茶けた光に照らされてそこだけ浮かび上がるように男の姿があった。机に向かって本を広げている様子はぱっと見てここの大学生にも見える。こんな夜中でなければ、だが。施錠された深夜の図書館で本を読む男。こういう怪談、ありそう。男は騒ぎがあったのを察してずっとここで本を読んでいたという。タイトルは分からないが、縦書きで日本の書籍のようだ。

「日本語って面白いよね……似てる言語は世界中どこにもないなんて言われてるけど、俺の国の言葉にそっくりな言葉がたくさんあるんだよ」
「……そうですか」
「で?会いたくなったのは何で?付き合う?」

立ってないで座りなよと促されて私は近くの椅子を引っ張ってくる。建物の外からは見えにくい位置とはいえ堂々と明かりをつけて本を読んでいるのがすごい。腰を下ろしてから忘れずに「付き合わない」とキッパリと断った私を眺めて、男は笑った。相変わらず黒っぽい格好をしたその男。初めて会ったあの日と何も変わらない。もし誰かから追われているのならこんなところで悠長に本を読んでいるのはさすがにどうかと思うし、呼び出して簡単に来たということは……もしかして。

「……あなた、まだ刑事なの?」
「そりゃそうだよ。どうやって君が俺の正体に気付いたか知らないけど……誰にも言ってないんだろ?俺が偽物だって」

ま、言ったところで証拠もないけどな。と、男は言ったが、そもそも私がそれに気付いたきっかけは安室さんからの情報である。私が言うまでもなく、警察の上部組織である彼らが対処するのだと疑いもしていなかったが……どうやら安室さんはこの男を泳がせているらしい。今はまだこの人をジンやベルモットと同じ例の組織の人間だと思っているのだろうから。しかし、恐ろしいことをするものだ。この男の本当の正体を知ればそんなことはできなくなるだろう……いや、安室さんだからそれは分からないか。
男が手の中の本をぱたりと閉じてこちらに向き直る。本題だ。

「……私が前にあなたに知ってるかどうか聞いた名前、覚えてますか?」
「そりゃあね」
「誰かに、言った?」
「どうだったかな」

これが解けたなら伝えてほしい……その言葉の先には彼が命を掛けて手に入れたファイルのパスワードのヒントと、ある人物の名前があった。八坂に繋がりのあるその名前。八坂の正体は誰にも知られておらず、彼に関するものはすでに公安によって処分されている。もちろん潜入前に警察組織からも抹消されているだろうから、たどり着く術はない。だが「降谷」は違う。生きている限り、いくら本人が隠れていても知られてしまう可能性はゼロではない。今回だって本来は表に出るはずもなかった彼の名前が私のせいで流出してしまったのだ。あの状況では仕方がなかった……それで済むのだろう、私が本当にいま普通の女だったのなら。
椅子に座った男がふーん、と呟いて足を組む。

「なるほどね……君は俺を口止めするためにここに呼び出したってわけだ。ということは、そいつと会えたってことかな?」
「ジンに目を付けられたら……どうなるか分かるでしょう?あなたの方が」

私はほとんどジンという男のことを知らないが、危険な人物であることは分かる。八坂のせいでベルモットに弱みを握られ、使っていた情報屋も解散させることになったジンは当然今もこの件を探っているだろう。もし降谷という名を知れば、どのような手を使ってでも見つけ出そうとするに違いない。

「けど、八坂は危険を承知で組織から情報を奪ったんだ。そのせいで仲間が殺されたって文句は言えないと思うけど?」
「私はただ……自分の不始末を清算したいだけ。不用意にあの人の名前をあなたに告げてしまった」
「たったそれだけの理由で俺を呼び出すなんて、俺がどういう男か君は知ってるんだろ」

この男は顔を変え、殉職した警官に成り済まし警察組織に潜入した。一般企業に潜り込んでいた八坂を正体も暴かぬまま殺した。婦女暴行犯を追うふりをしながら犯人を手下に仕立て上げ、公園にやってくるであろう私の協力者を葬って目的のために利用しようとした。完全なる悪だ、一般的には。

「……あなたはあのジンという男を殺す目的があると言っていた……従順なフリをしながら機会を窺っているの?」
「まあね。……俺があいつを恨んでるから、あの名前を漏らさないと思ってる?」
「…………」
「データを盗んだ八坂が何者だったのか、あいつは血眼で情報を探してるんだ。あの名前を口にしたら必死で調べるだろうなぁ……それを利用しておびき出してあいつを仕留めるっていう手もある。ジンが先に死ねば“降谷”は死なずに済むかもな」

……確かにジンに“降谷”の名前を告げたとしても、たどり着く前にこの男が手を下せばそこで終わりだ。けど、勝てるとは限らない。もしもジンが勝つようなことがあれば“降谷”はこの先、本名を握られたまま潜入し続けることになる。それはあまりにも危険だ。
やはりこの男に黙っていてもらう他に方法はないのだが、ここで言葉を誤ると取り返しの付かないことになる。この男は適当で軽いように見えるしおそらく素もそれに近いのだろうが、あの国の組織の人間なのだ。だからこそ、この男が行使する全ての悪事には意味があると私は考えている……いや、知っている。まだやりようはある。



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