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20-16



「入ってください」

連れてこられたのは男にあてがわれたという3階の部屋だった。デスクライトのみの明かりが灯った室内で薄ぼんやりと周囲の様子が浮かび上がる。普通の研究室という感じで、そう広くもない。奥の方に明かりのついたデスク、手前に応接用のソファとテーブル。壁際にはずらりと並んだ本棚がある。最近使い始めた様子ではないので、元々誰かが使っていたのだろうか。
人に銃を突きつけていたことなどまるでなかったかのように、男は私をソファに座らせる。

「仲間から連絡が来たらあなたのことは解放します」
「…………」

DIHの男がこれから裏門で合流するのは、おそらく組織の仲間ではなく公安の人間なんだろう。専務の時とまったく同じやり方だ。こうやって組織に消されそうになったり、巻き込まれた人間を助けているのだ。自分を捕らえたのが組織の人間ではなく、警察組織だと知るのは果たしてどの時点になるのか……専務が捕らえられてから「組織の男に捕まった」と外部に連絡しているところを見るに、少し泳がせているようだが。
デスクの横に置いてあったポットからお湯を注いで、湯気の立つカップを男が運んできた。私は男を確保したという連絡が入るまでここにいなければならないらしい。人質にお茶なんて優しいですね。そう言ってやろうと口を開いたのだが、様子が妙なことに気付いて開きかけた唇を閉じる。
カチャリと目の前に置かれたカップとソーサー。別に何かが混入されているのでは、などと疑ってはいない。男の動作にしてはスマートでないというか、不自然な音がいやに耳に残ったのだ。普段なら気にも留めないことだったんだろう。

「…………?」

……褐色の指が微かに震えている。

「……あむ……組織のお兄さん」
「…………何ですか」

何だ、その呼び方は?とでも言いたげな男は私の向かいに腰を下ろした。自分の分の紅茶はない。その顔は普段と何ら変わりなくて、気のせいだったかも……と思いつつも様子を窺う。

「寒いですか?」
「……そうですね、ずっと外であの男を待ち伏せていたので風邪を引いたのかもしれません」
「組織のお兄さんも風邪、引くんですね?」
「……僕のこと人間じゃないと思ってます?もしかして」

滅相もありません。首を横に振ってカップを持ち上げる。微かなライトの明かりが片側から差して、男の金色の髪を浮かび上がらせている。陽の光の下で見る色とも、茜さす頃合いに見るそれとも違う。その目は私の方に向いているが、本当に私のことが見えているのか怪しかった。……さっき市ヶ谷の人に人殺し呼ばわりされたから、しかもそれが自分の部下だったからショックを受けたのだろうか?……そんな男ではないだろう。本当にただ寒いだけなのかもしれないけど……。

「……あの、ずっと聞きたかったんですけど」
「……はい」

寒いなら暖房を入れましょう、と言おうとして、口から出たのはまったく違う言葉だった。何となく、これを逃したらもう機会がないのではないか、そんな気がしたのだ。何故かは分からない。咄嗟に口をついて出てしまった言葉を引っ込めることもできず、私は男を見つめる。

「どうして私に聞かないんですか?」
「……何が」
「私が……八坂さんが公安の人だって気付いた理由」
「…………」

そして、そこから降谷さんはあなただと、モールで私はあのひとに言った。降谷さんからしたら不思議でたまらないはずだ。どうやってそこにたどり着いたのかと。
あなたが降谷さん。それに対して、今の今まで否定も肯定もない。家に引き込まれて、体を重ねて、見せられるものがないのだと言った男は……私を完全には暴こうとしない。本当に一番肝心な部分を聞いてこない。ずっとずっと、引っかかっていた。もちろん、八坂の正体にたどり着いたのは私の中にいるもうひとりの存在のおかげであるが、こちらから問うのはあまりにも藪蛇で。だから黙っていたが……今聞かなければならない、漠然とそう思った。
男はふぅとひとつ息を吐いて、その大きな手で前髪を掻き上げる。

「僕は組織の男ですよ。その問いに答えられるとでも?」
「…………」

あくまでも自分は別の人間なのだと、そう言う男の表情は憂いを帯びている。ように見える。私が眉根を寄せて見つめていると、男はフッと笑って立ち上がった。

「ミッシングリンク……」
「……?」
「ナナシさんは知っていますか?」

唐突に出てきた単語に何のことかとソファに座ったまま振り向けば、男は本棚の前まで歩いて行って、そこから本を抜き取った。パラパラとページを捲る音が静かな空間に響いている。
ミッシングリンク……失われた環。言葉は知らなくともその現象ならば聞いたことがある人もいるかもしれない。生物の進化をたどる上で、例えばA種からC種に進化したと思われる種族がいたとする。両者を見比べた時、AとCの間には劇的に何かが起こったと容易に予想されるほどの差があるとする。ならばその中間種である、B種がいたはずである。しかし、どこを探しても、化石ですらもBの痕跡はない……まるで地球上に突如C種が現れたかのように。そのような進化の環が欠けた現象をミッシングリンクと呼ぶ。人間もそのミッシングリンクに当てはまる種族のひとつだ。
私は首を傾げる。

「進化論の講義ですか?」
「どうしても説明のつかない事象は多数あります……僕がここにいるように」
「…………」

組織のお兄さんがここにいる理由。それは降谷さんが組織に潜入するために演じている顔だからで……説明がつかないというのは、どういう意味なんだろう。前々から、どうして私には色々な顔を見せてくるの、と疑問を持っていたけど、安室さんやこの人を演じている降谷さんが意図してそういう風にしているわけではない……のだろうか。この人、本当に別人なんじゃ……と考えてちょっとだけ怖くなってカップに向き直る。これまでに感じていたこの人に対するゾクリとする感覚は決して偽物ではないと知っているから、余計に。

「あなたは……どうやって僕にたどり着いたのかな」

あの公安の男じゃない。僕のことですよ。組織の男はそう言って私を覗き込んだ。

「あ、あの、そういうのやめていただけますか?対処に困るんですけど……まさか本当に3人が別人格とか言わないですよね?」
「それはどうでしょうね。というかその疑問を僕にぶつけてくることに驚愕しました」
「……今はあの人の話はしたくない、そういうことですか」
「まあ、そう思っていただいて構いません」

スッと離れていった男は本を戻しながら「目の前で他の男の話をされるのも不快なものですね」と言った。
多重人格疑惑を口にした私をビビらせるために言ったのだと信じたい。というかそうであってほしい、お願いします。
スマホの着信音にビクゥッと肩を跳ねさせた私を、組織のお兄さんはじっと見てからフッて感じで笑ったので、私は安室さんに仕返しをすることに決めた。




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