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20-1


「家に帰りたい……」

声に出したら虚しさが襲ってきて、私は溜息を吐いた。それきりシンと静けさを取り戻した室内に返事をしてくれる人の姿はない。外は暗くなって、じきに19時になるという時合いだ。皺ひとつなく整ったベッドに腰掛けて、何も映っていないテレビの黒い画面を眺める。ホテル杯戸プライド……安室さんが手配してくれたホテルだ。犯罪組織が起こした大規模な事件に巻き込まれ、組織の人間と接触してしまった私は言われた通り、少しの間このホテルに泊まることになった。
部屋はまあまあ広い。バスとトイレは別になっていて、ベッドもダブルなのでひとりで寝る分には余裕がある。そういう気分にはなれないけど別の階にプールも付いていて、なかなかいいホテルのようだ。けど、家と違って整然としすぎていて何だか落ち着かない。これがちょっとした旅行とかならウキウキと楽しめるのに……いつでも戻れる距離に自宅があるというのが余計に帰りたい気分にさせる。

「うーん……下着類はどこにしまうべきか……」

上着やスカートはハンガーに掛けられるけど、細々としたものは袋に入れたままとりあえずでベッド近くの椅子に置く。後で収納できそうなスペースを探そう。
あのあと、安室さんの家から私の自宅に寄って、最低限の服や日用品をキャリーに詰めて持ってきたのだ。私をここまで送り届けたスーツ姿の彼は、とっくの昔にスポーツカーで颯爽といなくなってしまった。前は夜だったし、かなりの緊急事態だったのでじっくり見ている暇がなかったのだが、スーツを身につけた運転席の安室さんは普通にイケメンで私はびっくりして二度見した。彼はハンドルを握りながら体は大丈夫かとたずねてきたけれど、私は何も言えなくなってスーツの袖から伸びる褐色の手を見ているしかなかった。ほんの少しだけ鈍く痛む体のこと、本当は文句を言おうと思っていたのに。

一応、ここに泊まるにあたっての決まりが設けられている。まず、ホテルに宿泊する期間は一週間。延びるかどうかは公安の人が決めるらしい。おそらく私がここにいる間、自宅を張って怪しい人間が近付かないか監視するのだろう。刑事さんはしばらく潜るようなことを言っていたし、あの観覧車で組織の他のメンバーとは会っていないので、誰も来ないと思うけど……まあ、分かっていても形式的にやらなければならない事というのはある。
次に外出について。基本的に制限はない。夜遅く出歩くような場合は声を掛ければ護衛がつくが、それ以外ではプライベートに配慮してずっと付きっきりということにはならないそうだ。……とかなんとか言って、私が尾行を撒いてしまうのでそういうルールにしたことは想像に難くない。つまり、私を尾行できるらしい安室さんはしばらく私からは離れるということだ。何もないと分かっている人間について回れるほど暇でもないんだろう。
類さんの部屋も隣に用意しているらしいが、まだ到着していない。彼女の場合は私よりも長く刑事さんと接触していたこともあり、保護の必要度が高いため、一週間では済まないようなことを安室さんが言っていた。けど、赤井さんとコナン君がすんなりと類さんを手放すかどうかは不明である。……とまあ、重要なのは類さんの方で、私は念のために期間限定で監視というか保護されている。ついでっぽくてちょっと嫌なんだけど……唯一の救いは普通にここから仕事に行って良いことだった。幸いにも会社まではそう遠くないので、早起きはしなくて済む。

「洗濯……は、コインランドリーかなぁ」

下着は手洗いで良いとしても、他の服は難しいだろう。ホテルのサービスは高いので、まずホテルにコインランドリーがあるか調べて、一応街中も見てみよう。夕飯もコンビニで買わないといけないから、これから外に出ることだし。部屋のカードキーを財布に入れて、上着を羽織って部屋を後にする。
エレベーターでフロントのある階に下りると、ロビーにいたスーツ姿の男の人が後をついてきた。さすがに今日ホテルに到着したばかりなので気にかけてくれているようだ。ここまで堂々と尾行されると逆に別にいいやという気分になるから不思議である。撒かないように気を付けなければ。

ホテルの近くには小さな商店街があり、お惣菜屋さんもあった。コンビニでお弁当を買うよりも財布にも体にも優しい。野菜を買っていってもいいが、さすがにあの部屋では何もできないし……洗面所で洗うのも、何だかなという感じがする。結局迷って、匂いに釣られて普段は買わない串焼きを買ってしまった。細く刻んだナスやアスパラを脂分の少ない豚肉で包んで炙ったものと、オーソドックスなつくね。これはビールが必要だな。袋をぶら下げた手で鳴りそうなお腹を押さえる。反対の手でスマホを操作して、コインランドリーは近くにはなさそうだなぁと思っていると、「おーい」という大きな声が離れた場所から聞こえてきた。

「……?」

どうもこっちに向かって声をあげたようだったので、知らない声ながら顔を上げる。見れば声の主は若そうな女の子だった。今時の若者、といったすらっとしたスタイルで、服はシンプルに全身黒い出で立ち。髪は短めで、くせ毛なのかセットなのか分からない。男に間違われても仕方のない風体をしている。ぶんぶんと大きく手を振り、走り寄ってくる様子は遠くから飼い主を見つけた犬みたいだ。……ん?走り寄ってくる?

「久しぶりだなー!」

その子は満面の笑顔で飛びかからんばかりに私に顔を寄せてきた。

「え?」

驚いて思わず背を反らせる私の手をぎゅっと握って、彼女はじっと視線を寄越す。八重歯が印象的な愛嬌のある顔立ちだ。久しぶりと言ったが、まるで覚えがない。こんなに若くてキラキラした人、一度会えば忘れないだろう。どちら様ですか、そう問おうとして、口にする前に引っ張られる。

「ちょ、ちょっと!?」
「何してたんだ?……え、買い物?ボクも欲しいものがあってさ。一緒に行こう!」

何も答えてないのに、少女は一方的に喋りながら私の手を引いた。にこにこと楽しそうに喋る様子は、周りから見たら偶然会った友達同士が盛り上がっているようにしか見えないだろう。どこか演技じみたものを感じるが、それは元からのキャラクターなのか、不自然ではない。何か事情があると悟った私は抵抗することはせず、誘導されるまま商店街から一本裏の道に入った。




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