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20-2


「……あんた、つけられてるぞ」

周囲を確認した後、私に向き直った少女がそう言って眉を吊り上げた。思いがけない事を言われて私は瞬きを繰り返す。何と、私の後をつけていた公安の人に気付いて声を掛けてきてくれたらしい。若そうなのにあの尾行に気付くとは一体何者なんだろう。真剣な表情をすると整った顔立ちもあって若いわりに凄みがある。口調が男っぽいから余計にそう思うのかもしれない。よくよく見ると、目の下に薄っすらと隈があることに気付く。
明かりの少ない路地裏で、少女の姿は夜に溶け込むようだった。

「最近は物騒だし、あんたみたいな女は狙われ易いんだから……注意した方がいい」
「え、ええ……ありがとう、助けてくれて。誰かに見られてるような気はしてたんだけど……」

などと言ってしまったが、正直に「公安に保護されていて、ご飯を買いにきたらおじさんが勝手に付いてきました」とも言えないので仕方がない。何か心当たりはあるかと聞かれて首を横に振ると、肩を竦めた少女は表通りまで送ると申し出てきた。念のために来た道とは別の路地を歩きながら、ふたりは自己紹介をする。
「ボクは世良真純。あ、これでも女だからな!探偵もやってるから、何かあったら連絡してくれ」
「私はミョウジナナシです。ありがとう、お嬢さん」

お嬢さん?と目を丸くしたあと、ニッと笑う表情に視線を奪われる。くるくると変わる表情はつい目で追ってしまう。女子校でファンクラブができるタイプだな、と考えていると、世良さんが持っていたショルダーバッグから連絡先の書かれた紙を取り出して渡してくれた。ごそごそと乱雑に漁ったせいで鞄の中身が見えてしまったのだが、そこに見覚えのある写真を見つける。

「あ……それって大学のパンフレットじゃない?」
「ん?ああ、そうだよ。もしかして知ってるのか?」
「うん、母校だから」
「本当か!?」

隣を歩いていた世良さんがこちらに身を乗り出すようにして驚きの声をあげた。勢いにびっくりしながら頷くと、顔を輝かせた彼女が「なら、案内してくれないか?」と唐突に頼んでくる。この場合の案内とは単に道順ではなく、中を見学したいという意味だろう。目指している大学なのだろうか。でも、そうならオープンキャンパスにでも行けばいいし、別に出入りが制限されているわけでもないので普段から立ち入ることはできる。訝しげな私の視線を受けて、彼女は歩きながら事情を説明し始めた。



「……幽霊?大学に?」
「ああ……それで調査を頼まれてさ」

1ヶ月ほど前から、大学の敷地内にあるドミトリー……簡易宿泊施設である騒ぎが起こっている。深夜0時過ぎ、4階の411号室。その部屋の中に首を吊った人の姿が見えるというのだ。世良さんに依頼をしてきたのはドミトリーの管理人で、外部からの通報でそれを知ったのだという。通報を受けた時は大慌てで4階の部屋全てを調べたが、そこにはいつもと同じベッドと簡素なテーブルがあるのみで、首吊り死体どころか変わった様子は何もなかった。ただの悪戯かと思い、次の日に大学に勤務する同僚と鬱憤ばらしに飲みに出たのだが……その帰り道に見つけてしまったのだ。ドミトリーの4階411号室で首を吊り、だらりと力なくぶら下がる人の姿を。

「完全なホラーですね……」
「それが見えるのはいつも深夜0時過ぎ……悪戯だとしたら、もう少し外を歩いてる人が多い時間帯にやると思うんだ……単純な愉快犯じゃなく、何か理由があるのかもしれない……」

いつからそれが現れるようになったのかは分からない。深夜0時に外からドミトリーを眺める人間はなかなかいないため、今まで気付かなかっただけで、実はずっと前からだったのかもしれない。それは毎日見えるわけではなく、見える日もあれば見えない日もある。物の反射でそう見えるだけだろうと思って411室のカーテンを閉めておいたこともあったが、そうして対策をしても意味がなく、結局首吊りをする不気味な姿は現れた。

「管理人さんは元からこの手の話が苦手で精神的に参ってるみたいで……大学に相談してもろくに取り合ってもらえないそうだよ」
「前に事件があったとか、そういうことは?」
「それも含めて調査に行くつもりなんだ。なぁ、頼むよ!」

学生として潜り込み、まずは現場を確認したい。そのために少しでいいから学内を案内してほしいのだと、世良さんは言った。うーん……さっき会ったばかりの人に頼まれごとをするとは思わなかった。怪しい人には見えないけど、この若さで探偵をやっているのは気になる。他人が尾行されていることに気付いてスマートに助け出すくらいだから、そういう素質は高そうだけれど……前に刑事さんにこの手をやられて騙されたからなぁ。……ん?刑事さん?

「ボクは怪しい人間じゃないよ。この近くの帝丹高校に通う高校生さ!」

学生証まで見せてくる世良さんを横目でチラ見しつつ、私は考える。彼女は高校生か。さすがに身分を偽って高校に潜入してるとかは……ないだろうな……まさか。日本の警察組織に潜入している海外の諜報員がいたり、喫茶店でケーキを焼いている公安のエリートがいるのだ、もうすべてを疑ってしまう。私は彼女が調べに行きたい大学の卒業生で……大学は出入り自由。そうか……これは、使える。

「うーん……私もお世話になった先生に会いたいって思ってたところだから、いいよ」
「ホントに!?やったー!」

飛び付いてくる少女の体を抱き留めながら、私の頭の中にはある作戦が浮かんでいた。刑事さんに会うのはほとぼりが冷めてからと思っていたけど……これを逃す手はない。大学構内ならば人で溢れている。誰と会っても怪しまれないし、学生らは、よほど閉鎖的な学部でもない限り知らない人間がいても気にも留めない。
私は私自身の失敗にカタを付けなければならないのだ。刑事さんと会うには慎重に行かなければならないため機を窺うつもりでいたが、本来それは早ければ早いほど良い。不用意にもあの男に告げてしまった「降谷」という名前。私はそれを抹消しなければならない。今は公安の緩い監視が付いているが、だからこそ、このタイミングで世良さんの頼みを利用するのだ。これ以上の監視が付かないと分かっている、今。そうと決まれば、まずは刑事さんを呼び出すところからだが……。

「あ、ひょっとしたら知り合いの子も来るかもしれないから、よろしくな」
「うん、分かった。世良さんは……」
「真純でいいよ……あんた年上だろ?」
「う、うん。真純さんはいつ調査に行くつもりなの?」
「ミョウジさんに合わせるよ。あ、ゴメン!これから別の依頼人と会う予定で……電話きたから、ボクは行くよ!大通り直ぐそこだから、寄り道しないで帰れよー」

じゃあ!と片手を上げ、私の返事も待たずに走り出した後ろ姿を見つめて呆気に取られる。嵐みたいだ。串焼きの入った袋を握り直して、私はホテルに戻るべく辺りを見回した。あ、焦った様子の公安の人がいる。結局撒いてしまって悪いことをしたなぁと思いつつ、スマホの画面に視線を落とした。素知らぬふりで彼の横を通り過ぎ、ホテルのある大通りに出る。メール画面を開いて、私は何も打ち込まれていない真っ白なページをじいっと眺めた。

もう何も言うまい……私がここで「次も何か起こりそうだなぁ」と悟っていたとしても。それは最早、言っても言わなくても何も変わらない、そういう運命なのだ。




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