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19-18



「……寒いですか?」

じっと安室さんを見つめていると、不思議そうな顔をした彼がそう尋ねてきた。当たり前のように腕が伸びてきたので抱き締めていた枕で咄嗟にガードして、ますます首を傾げる彼からずりずりと少しだけ距離をとる。

「それ、私に教えて良かったんですか?……機密情報なのに」
「ここまで一緒に解読しておいて、今更ですよ。それに、本当にパスコードとしての解釈で合っているのかも分かりませんし」
「でも、何か心当たりがあるように見えますけど……」

安室さんが言ったように、パスワードは桁が多ければ多いほど、そして英数字を組み合わせれば組み合わせるほど解析時間に大幅な差が出る。数字のみの6桁以下なら数秒。10桁以上で記号まで含めたものだと数百年とまで言われる。設定した相手が“八坂”なのだとしたらその辺りのことも熟知していただろう。何となく、安室さんは暗号が初めから何かのパスなのだと分かっていて英数字の組み合わせにたどり着いたような、そんな気がしていた。私の言葉に、まあね、と頷いた彼は手にしていたスマホを枕元に置く。

「八坂が僕宛に残したファイル……その鍵はまだ見つかっていません」
「残したファイルって……どうやって手に入れたんですか?」

鍵が設定されているなら、どうして自分宛てだと分かったのだろう。当初は八坂が情報を漏らしたかどうかは誰も掴めていない、メッセージを発見したのは私が一番最初、そういう話だったはずだ。時間差で降谷さんあてに届くようになっていた、とか?だが八坂は自らの死を予測はしていても、それが一時は隠蔽され、半年後に発見されるなんて知りようがなかった。今になって降谷さんがそんなものを受け取れるはずがない。訝しむ私に、彼は体を起こして、手繰り寄せた薄いタオルケットを広げる。

「あなたの口から八坂の名前が出るまでは、あれが重要なファイルだとは思っていませんでした」
「……私?」

寝転んだまま首を傾げた私に、安室さんはぱさりと肌触りの良いタオル地のそれを掛けてくれる。そして自分は座った体勢のまま、少しずつ話を始めた。
そのファイルは、USBメモリに入って八坂のデスクに置かれていた。潜入している身分だ、警察組織に彼の机はない。それが置かれていたのは嶋崎さんの会社にある彼に割り当てられたデスク。処分されてしまうかもしれない紙くずと一緒に、無造作に放られるように机の上に出されていたのだという。発見時期は八坂が消息を絶った直後、今から半年前だ。

「八坂さんと降……安室さんは、ほとんど連絡を取っていなかったんですよね?どうして失踪直後に彼を訪ねたんですか?」
「エマージェンシーコールです」

淡々とそう答えた安室さんはベッドに置かれたスマホを見つめていた。その顔を斜め下から見上げて、彼の言うコールの意味を悟る。失踪直後に駆けつけられた理由は簡単だ。緊急事態になったとき、彼らのような潜入捜査員は決められた番号に電話を掛ける。それは通話が目的ではないため、相手が向こう側にいてもいなくても関係がない。呼び出し音を鳴らすのは決められた回数だけだ。即ち、潜入先で自らに危機が迫っていることを自分が属する組織に告げる電話。危険が差し迫る状況で会話をすれば正体や通話先がバレてしまうため、捜査員を送り込んだ側は着信に気付いても電話に出ることはない。一方通行なのだ。おそらくは何秒の着信でどのような状況、と細かく決められているのだと思うが、そこまでは分からない。
その着信が半年前……八坂が行方不明になる直前にあった。

「すぐに嶋崎の会社に潜り込んで接触を試みましたが、残されていたのは机の上のUSBだけでした。……本人に会えたのはそれから半年後のことです」
「……けど、八坂さんがいなくなった後に見つかったファイルということは……」
「はい。重要な情報が入っている可能性は低い……何故なら、八坂を殺した犯人が……まあ、当時は殺されていることは知りませんでしたが、無事ではないと考えて……あいつを行方不明にした何者かが周辺を真っ先に調べているはず。あのUSBが見つからないはずがない」

八坂が情報を漏らしたかどうか、刑事さんが真っ先に調べただろう。パスが設定されている謎のファイルは堂々と勤務先のデスクに置かれていたのだ。刑事さんが見つけたらすぐに持ち去っていたはず。中身を見る時間がなかったとしても、壊してしまえば済む。ということは、関係のない他の社員がごく最近になって偶然そこに置き忘れたものかもしれない……そのように考えた安室さんは、そのファイルを重要なものだとは思わなかった。回収したそれに、公安の業連に使用するようなパスワードや過去に使用した合言葉等を入れてみても開かなかったため、保留としていたそうだ。
そしてその半年後。既に調べたはずの倉庫の中で、八坂は発見された。一度は八坂に接触するために潜り込んだものの、以降は表だって行動できなかった安室さんだったが、組織の人間として動けるように手を回して、嶋崎さんの周辺を本格的に探り始めた。

「ナナシさんが預かった数字の伝言を聞いて、あのファイル以外には思い付きませんでした。それで考えを改めたんです。八坂なら、ひょっとしたら有川に回収させないように仕向け、僕にだけファイルを発見させることができたのかもしれない、と」
「暗号を残すのは前もってできるとしても、USBの方は謎ですね……どうやって刑事さんに見つからないようにしたのか……」
「…………」

枕をぎゅうっとしてシーツを見つめる。背中に安室さんの視線を感じた。ドアの場所を知らない人間に鍵だけ渡しても、そのドアが開けられてしまうことはないだろう。だとしても一般人の女とパスコードを共有するなどと、公安としては有るまじき行為だ。見ようによってはベッドを共にした女にぺらぺらと秘密を喋ったも同然なのだから。これは事案発生である。真意が掴めずに、私は視線を落としたまま、ぽつりと呟く。

「何考えてるんですか……」
「…………」
「私、普通に生活したいので……協力とかそういうのはしませんからね。今回は本当に偶然、伝言を預かっちゃったので……放置するのも後味が悪かったし、少し手伝っただけで、」
「…………」

もはや言い訳みたいになっている。偶然と言いつつ、結局いつも事件に巻き込まれて、いつの間にか安室さんが敵だったり味方だったりして側にいる。とうとう体まで重ねてしまった私達が元の関係に戻るのは難しいだろう。……元の関係って何だっけ。完璧すぎる笑顔のポアロの店員と、私。安室透と私。……私って何だったっけ?ゆらりと目眩のように何かが揺れる。

はぁ、ため息をひとつ吐いた私の背に、大きな体が覆い被さってきた。




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