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04-1


「はぁ……今日はなんか濃い1日だった……」

安室さんに自宅近くまで送ってもらい帰宅した私はお風呂に直行した。色々ありすぎて精神的な疲れがピークを超えている。逆に目が冴えてきたかもしれない。
風呂上がりの髪をタオルで拭いつつ、Tシャツにスラックスという楽な格好になってリビングのソファに座る。そして、置かれた鞄を開けてUSBを取り出した。今日会社から持ち帰ったデータである。

どうやら私は持ち出してはいけないものを持ち出してしまったようだ。
安室さんがエレベーターの中で私の鞄の中を探っていることには気付いていた。
あのタイミングであんな行動をしたということは、これを探していたのだろう。否、これを、というのは少し違うな。私が何かに勘づいていないか、 何か持ち去ったりしていないか探していたのだ。念のため化粧ポーチの中に口紅と一緒にしまっておいて良かった。USBが無事にここにあるということは、私がデータを持ち去ったことには気付かれていない。
つまり安室さんはあのフロアで起こっていた事を知っていたということになる。彼があのPCを起動させ、データを盗み出していた張本人ということか。

「うーん……それは安直な気がする……」

私が忘れ物をしたのは完全なる偶然。そしてたまたまそのあと食事の約束をしていた。私が「忘れ物をしたので迎えの場所を会社に変更してほしい」とメールをしてから、カーディガンを回収するまで40分くらい。その間にあのホテルに出向き、エレベーターを停める準備をすることは不可能だろう。制御盤からアクセスして、実行キーを押すのは電話に立った数分でできるとしてもだ。他に仲間がいると考えるのが自然か。
けど、おかしい。社内の暴行事件で依頼を受けたというのは、この件をカモフラージュするためだとしても、だ。仲間がいる……?探偵に?どうにも違和感がある。
しかし、こんな無害そうな女に疑いを持ってあんな手の込んだことをするとは思わなかった。手口は大胆だけど、慎重だなぁ。どこかで見たようなやり口である。

とりあえず奪ったものは私のものだ。さっそくテーブルの上のノートパソコンでUSBの中を拝見することにする。


「これは……あ、あー……」

中を見て思わず声が出た。これはちょっと、警察沙汰では?という内容だった。
フロント企業に関するデータ。一般人が関わってはいけない世界である。フロント企業というのはいわゆる暴力団が作った企業、もしくは、暴力団に資金提供をする会社のことだ。表面上は一般の企業と見分けがつかないことがあり、最近では何も知らない民間人を雇っていることも多い。メールの履歴を見ればデータの流出先はうちの会社の専務のようだった。あまり会社に来ない人物で、挨拶は何度かしたことがある。見た感じは普通の男だったような。専務が会社の金を横領して、フロント企業に横流しをしているという事実がそこに記録されていた。……見なきゃよかった。

しかしこれは、とても探偵の抱える仕事ではない。
まさか安室さん、あの顔でマル暴とかなのだろうか?いや、ないない。それはない。あんな目立つキラキラしたイケメンが警視庁に出入りするところが想像できない。待てよ、マル暴ではなく同業者ということもあり得るのか。いつもにこやかで穏やかなので予想もしていなかったが、あれで実は暴力団の幹部とかだったらどうしよう。その手の業種でも、上の方になればなるほど礼儀正しい人物が多いというのはどこの国でも一緒だと思う。武闘派には見えなかったけれど、女を騙してソープに沈める系のコマシかもしれない。いや、むしろ外見的にもうそのセンしかないのではないか?あ、私ってもしや狙われてる……?こっわ……。誰も止めてくれる人がいないので、私の頭の中で安室さんはかなりやばい奴になりつつあった。
まあ冗談は置いておいて、これは由々しき事態だ。専務が勝手に会社の金を使い込んでいるだけなら、まだ救いはあるかもしれない。けど、もしも実は会社もグルだったらどうなるか。何も知らずに働いている一般の従業員まで罪に問われるのだ。一瞬、今のうちに辞めてしまえばいいのでは?と大昔から飼っている悪魔が囁いたが、いやそれはダメでしょ?とここ20年で育った善良な私が顔を覗かせる。
こんなことなら就職する前に会社のネットワークに不正アクセスして妙なことをやっていないか確認すればよかった。いや、ダメか。ダメでしょうそれは。私はごく普通の一般人なのだから。数時間前にデータをいただいたことはもはや棚上げである。

ともあれ、どうするか方針を決めなければならない。
このデータだけ持って警察に行ってもすぐには動いてもらえないだろう。ならば別件で何らかの罪を専務に被せ、現行犯で警察にしょっ引いてもらうとか、専務のwebメールアカウントをハックし、組織犯罪対策部あたりに勝手に送信メールを延々とブラインドカーボンコピーさせるようにするとか。だめだ。悪魔のようなやり口しか思いつかない。私は自分に絶望した。

「はぁー…………」

ぐったりである。こういったことに関わらないようにしてきたのに、久々に頭を悩ませたら混乱してきた。

「うん……散歩行こ……」

時刻は深夜0時。
私はふらりと、現実逃避に出発した。




闇夜に佇むその洋館は、人の気配が消えてから何ヶ月経っただろう。
深夜なので例え住人がいても電気は消えているのだろうが、そこに人が住んでいないと知っていると途端に薄気味悪さを感じる。
特に私はそういったことに敏感なほうだ。霊感はないけど。

長年の散歩コースなので、そこに明かりが灯らなくなったことに気付いたのはわりと早かったと思う。
工藤邸。最近姿を見なくなった高校生探偵の自宅だった。ひとたび事件を解決すれば新聞に載るほどの有名人だったが、ある事件に巻き込まれて死亡したという噂が世間では広まっている。

「今日も、いない」

……と、通るたびに何となく明かりを確認するくせがついていた。
その高校生探偵とは面識がある。私の行きつけの喫茶店、ポアロの上の階に住んでいる毛利探偵事務所の娘さんと同級で、ふたりはよく一緒にいたので話す機会があったのだ。娘さんの話ではたまに電話をくれるらしいのだが、学校には来ていないらしい。若いうちからどんな厄介ごとに巻き込まれているのだろうか。

そうやっていつも通り大きなお屋敷を通り過ぎた時だった。

「っ……な……ッ!?」

どくりと、心臓が飛び跳ねる。その一瞬、斜め後方から……誰もいないはずの工藤邸から突き刺すような視線を感じて、私は思い切り振り返った。驚きに見開いた私の目には、いつもと変わらない真っ暗な屋敷の姿。門は固く閉ざされている。脈動する自身の鼓動の合間に、さわさわと、夜風に擦れる木の葉の音が聴こえた。

しまった。またやってしまった。

もはや誤魔化しようもなかったが、一応きょろきょろと辺りを見回してみる。最初に思い切り屋敷を見てしまったので相手も当然、私が視線に気付いたことを悟ってしまっただろうが。しかし、まるで銃口でも向けられたかのような視線だった。まだ背中からうなじあたりがぞくぞくしている。
普段は受け流せるのに、とんだ失態だ。神経が過敏になっていたせいだ。半分は安室透のせいである。

それにしても、いったい誰が工藤邸に?
まさか不法侵入者だろうか。実は彼が行方不明になどなっておらず、何らかの理由で身を隠している可能性を考えたが、あの視線は高校生のそれではない。もしくは私の精神がとうとう異常をきたしただけかもしれない。とにかく、これ以上ここにいてはだめだ。今日は厄日か。帰って眠ろう、それがいい。

ゆっくりとその場を離れながら、冷や汗が頬を伝うのを感じた。



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