Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

19-4



全然、そんな雰囲気じゃなかったのに。嵌められた……自分の顔がさっと青ざめるのが分かった。でも、ちょっと待って。これは昨日までの私の迂闊な行動に対する報復であって、安室さんの不穏な発言は意地悪で言っているだけかもしれない。だいたい、公安の偉いお兄さんが情報を聞かせてほしいとかなんとか言って一般人を密室に連れ込んで迫るとか、どう考えてもアウト、事案発生である。落ち着いて、冷静に対処しよう。さっきから表情を変えない安室さんがもの凄く怖いのだが、とにかく、まず確認しなければならないことがある。

「あ、安室さん……ここはどこですか」
「僕の家です」

……詰んだ。いや、駄目でしょう僕の家に連れてきたら。FBIの時みたいに仮のアジトとかじゃないのか。確かに絶対に盗聴の心配がない場所なのかもしれないけど、普通に助手席に乗ってきたので道も大まかに覚えてしまった。自宅だとは思わなかったというか、ようやく危ない情報をひとりで抱えることから解放されるという気持ちから、そこを気にする余裕がなかった。一言でいえば完全に油断していた。ちらりと玄関を見てもさっき脱いだ2人分の靴しかなく、それ以外には何も置かれていない殺風景な空間だ。ぱっと見て男が住んでいるのか、女が住んでいるのかも分からない。視線を戻すと、青い瞳がじっとこちらを観察している。

「どうして……?」
「……何が?」

何が、じゃない。首を傾げた男を右手で押し退けたが、玄関の方には行かせてもらえず追いやられるように廊下側に一歩踏み出した。その奥には部屋がある。

「……私、伝言を伝えたら帰りますから。メモを」
「それは困ります。無事にモールを脱出したら話し合う約束でしたよね」
「な……そのつもりならなぜ警戒させるようなことをするんですか?」

そう、この男、せっかく大人しく家に上がり込んだ対象に対して、情報を引き出す態度ではないのだ、さっきから。これでは相手に警戒されてしまうではないか。もちろん最後まで話を聞いてから態度豹変されても困るのだが、その前にわざとこんなことをする意味が分からない。元から少しだけ意地の悪いところもある安室さんだけど、この場面で職務より私情を優先するとは思えない。何か狙いがあるはずだ、何か……。
内心で戸惑う私の肩に、大きな手が触れる。動作が見えていたのにぴくりと反応してしまい、しまったと思ったが、仕方なく安室さんをじっと見上げた。今日初めてその男の唇が笑う。

「あなたは驚くほど鋭いかと思えば、こうやって時に酷く無防備になりますね」
「無防備って……」

だって、それは安室さんだから。普通の男のひとじゃないから。
私の心の声が聞こえたかのようなタイミングで、彼は瞬きをひとつして僅かに瞼を伏せる。こんな状況だからなのか、それとも場所のせいか、目の前の人がなんだかいつもと違う人に見えた。

「僕の何を見てそうしているんですか?」
「……え?」
「僕が少なからずあなたにこうして触れたいと思っていること……気付いてますよね」
「…………」
「不思議なのはそんな男に大人しく付いてきて、何もされないと決めつけているその根拠ですよ。……あなたは僕を見ているようで、見ていない。違いますか」

私は驚いて目を丸くするしかなかった。決めつけている根拠。過去の男と彼の立場はとてもよく似ている。陽の当たらないところに身を置き、存在しないことを求められ、様々な姿を使い分けて人を欺く。実際、彼の行動や思考を読もうと思ったら「過去の自分ならどうするか」を考えるのが手っ取り早かった。いつも彼の行動や発言の動機を自分の経験則に基づいて考えていた。今日だってそうだ。昨日大きな事件があったばかりでまだ手が離せないはずなのに、安室さんは時間を割いて私を迎えに来た。それは例の情報を一刻も早く手に入れたいからだ。私はそう思い込んだ。だって、過去の男ならばそう考えたから。私が「公安の降谷さん」と他の誰かを重ねていることに、この人は気付いているんだ。怖い、と感じることは今までにもあったけど、実態のない亡霊にまでたどり着いてしまうなんて。
彼は何も言えない私の肩からその手を離して、頬に触れてくる。温かい手だった。

「誰を見ているのか教えてくれるなら……何もせずに帰しましょう。今日はね」
「……聞いて、どうするつもりですか?」

言えるはずもないけれど。彼の唇をおそるおそる見つめる。

「決まってるじゃないですか……部外者にはご退場いただくまでです」
「そんなの、無理」
「なぜ?」

だってその部外者は内側にいるから。開きかけてすぐに閉じた唇を、今度は彼が見つめている。……あなたが見ているのは本当は誰なのか、僕らはずっと気にしている……そう私に言ったのは組織の男だったか。でも、まさか気付かれてしまうなんて。しかもこれ、絶対に誰なのか教えられないんだけど、え、どうすればいいの?一瞬、架空の人物をでっち上げてしまおうかという考えが頭をよぎったが、私自身が思ったよりも動揺していたせいで安室さんに通じそうなストーリーが思い浮かばなかった。答えられない私の腕を取って、彼が促してくる。

「とにかく、奥で話しましょうか」
「っ……ここで大丈夫です!」

咄嗟に振り払おうと動かした腕が安室さんの右胸に当たった。そんなに強い力でぶつかったわけではないのに、う、と呻いた彼が微かに苦悶の表情を浮かべる。まさか、怪我がひどいのだろうか。全然そんな風には見えなかった。慌てて腕を引っ込めた私は焦ってその顔を下から覗き込む。

「ご、ごめんなさい!もしかして昨日の怪我が……?」
「……ナナシさんは怪我、しませんでしたか?」
「ええ……私はどこも……」

きのう怪我をしないようにと念押しされたことを思い出して、頷く。それより、ひどい傷なら安静にしていないと駄目なのに。こんなところで揉めている場合ではない。
そうですか、と呟いた安室さんの腕が再び伸びてきたが、また傷に触ってしまったらと思うと動けなかった。腕だけでなく体ごと寄せてきた彼を訝しむ間はない。

「!?」

浮遊感と高くなった目線。ネイビーのシャツから覗いていた褐色の肌が目の前にあって……ゆらゆらと覚束ない足の感覚で宙に浮いたことに気付いた。前触れもなく抱き上げられ、ぎょっとして声も出なかった私はただ目を見開くしかない。安室さんは至近距離からじっと見つめてきて、状況を理解する前の私に向かって平然と言う。

「暴れないでいただけますか。傷に響くので」
「……え、?」

無意識にしがみ付いた紺色のシャツ。指先が食い込んだのは、さっき私が腕をぶつけてしまったところだった。



Modoru Main Susumu