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18-15 (12-4 と 12-5の間)



そんなつもりはなかった、とは。

時を刻む規則的な音がどこからか聞こえてきた。目を開くと、暗闇。手探りでソファから起き上がり、掛けられていたタオルケットを背もたれに引っ掛ける。急に起き上がったからか、ふわりと目が回る感覚がした。酒はまだほとんど抜けていない。何せ眠りについてからおそらく2、3時間といったところだろう。心身ともに疲弊していたところに少なくない量の酒だ。彼女に怪しまれないようにそこそこのペースで飲んでいたので、寝たふりのつもりが本当に眠ってしまったようだった。
寝ていたリビングのソファから立ち上がり、キッチンへ歩いてコップ一杯の水を飲む。ごくり、誰もいない真っ暗なフロアに自身が水を飲む音がやけに大きく聞こえた。一つ息を吐いて、冴えた頭で周囲を見回す。昼間に料理をしたり、荷物を運ぶのを買って出たりして探っておいたおかげで、この暗闇の中でもどこに何が配置されているかは問題なく認識できる。……彼女の部屋は2階だったな。

「…………」

音を立てないようにコップを流しに置いて、階段から上の階へと向かう。ミシリ。小さく軋む床板が緊張感を高めた。2階に上がるとようやく目が暗闇に慣れてくる。3部屋あるうちの2部屋は扉が開いており、すぐに彼女の部屋を見つけることができた。そろりと廊下を進み、一番奥の部屋の前で足を止める。中の気配を探りながらドアノブにそっと手をかけて、最新の注意を払って力を込めた。一時的に鍵を付けるかと提案した時に何も言わなかったため、予想はできていた。難なく扉は開く。開いたドアの隙間に指を差し入れて、音が鳴らないようにゆっくりと体を滑り込ませた。
部屋の角に置かれた丸い形の間接照明がうすぼんやりと室内を照らしている。感知タイプではないようだ。いつも付けっ放しで寝ているのか、消し忘れたのかは分からないが、おかげで部屋の中の家具の配置をすぐに把握できる。ドアを閉めてからベッドに歩み寄って、横たわる彼女を見下ろした。

「…………」

寝息すら立てずに静かに寝入っている。微かな明かりで浮かび上がる顔の陰影は彼女の穏やかな眠りを表していた。屈んで床に膝を突き、ベッドの上に投げ出されたように置かれたスマホを手にする。ロックが掛かっていて中は見られない。充電が半分を切っているところを見るに、いつの間にか寝てしまったんだろう。彼女も結構飲んでいたか。邪魔にならないようにスマホを近くにあったテーブルに置くと、彼女に手を伸ばした。
指先で摘み上げた彼女の髪を握り込んで、その寝顔を見つめる。指を緩めるとすぐにするりと逃げ落ちていくのが癖になって、何度か繰り返した。そんなことをしても起きる気配はない。

「ナナシさん……」
「…………」

彼女は俺を警戒していても、俺が男であるということに対しては警戒していなかった。普通の女だったら、恋人でもない男に家に行きたいなどと言われれば間違いなく体目的だと考えるだろう。赤井との関係を疑って、強引に迫るようなことをした男だ。あの状況ならば自分に気があるのだと勘違いしてもおかしくはないというのに、彼女は始めからその可能性を少しも考えていない様子だった。俺に他の目的があると……単に彼女が他の男と仲良くしていたから、こんなことになったわけではないのだと。そう考えている証拠だ。言い換えればこうして俺に部屋に押し入られるなどとは少しも考えていない。まるでそれが当たり前かのように、俺にそんな感情がないものと決めているのだ。決めているというより、自然と気付いている、その言葉が当てはまるのかもしれない。そして彼女はあのパーティーの夜に続いて、今度は俺に名を尋ねてきた。

「……僕の名前を聞いたんだから、答えてくださいよ」
「…………」

赤井と彼女が接触した原因は、元をたどれば我々がCIAの動きを細部まで察知できなかったことにある。彼女が言ったことが本当ならば、だが。まあ、最近のFBIの不審な行動と辻褄が合うので真実なのだろう……そこは反省しよう。もしきちんとCIAの動きを封じられていたのなら、彼女と赤井を不用意に近付けることもなかった。彼女の勤め先の専務と彼女の関係が何もないと分かった以上、FBIもそこそこ、少しは忙しいのだろうから無闇にちょっかいはかけて来ないはずだが……赤井単体に関していえばそうは言いきれない。あの少年と接点があるからだ。彼女は今後も公安にとって重要になるかもしれない人物で、そこにあの男の影がチラつくのは気分が悪い。今後もそんな理由で彼女に赤井との関係を問い詰める俺はさぞ滑稽だろう。正直に言った方がまだマシというものだ。あなたに別の男が近付くのが単純に面白くないのだと。
「ん……安室さ……」

髪に触れていたからだろうか、それとも寝ていると分かっていて声を掛け続けたからか。目を覚ましはしなかったものの、身動いだ拍子に彼女の体からタオルケットがずり下がる。不用意に揺れる控え目な照明がシャツの皺をゆらゆらと照らして影を浮かび上がらせ、その薄い布が覆っている膨らみの形をそのまま伝えていた。薄手のシャツはさっきまで着ていたものと同じだったが、下着は身に付けていないようだ。

「……」

無防備にも程があるだろう……ひょっとして罠か?いくらこの男が仕事のことしか考えておらず、そういう気が一切なかったにしても、そしてそれにあなたが気付いているのだとしても。
ん、と小さく声を漏らした彼女が顔の向きを変えて、白い首筋が晒される。それに目を奪われながら、何なら彼女が眉を寄せたり、指をぴくりと動かす全てを目で追いながら、俺は知らず喉を鳴らしていた。

「僕が何もしないって、どうしてそう思うのか聞きたいな……」

さっきよりもずっと小声で囁いたのは、目を覚まして欲しくないからだ。気付けば、手を伸ばしていた。

……そんなつもりはなかった、とは、古今東西あらゆる面で使い古された言い訳の言葉である。




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