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18-12 (10と11の間)



霞が関でどこか様子のおかしな彼女に会った時に、引き留めておくべきだった。夜には工藤邸に乗り込み、沖矢昴の正体を暴いて赤井秀一を確保しなければならなかったため、彼女をそれ以上気にかけることができなかった。あの男が組織を抜けて以来初めて顔を合わせることになるはずだったあの日。結果、沖矢昴が赤井秀一であるという俺の読みは否定され、来葉峠で人質にしようとしたFBI の乗り込む車の中に、あの男は姿を現した……。
招集したメンバーを解散させ、事の顛末と無理に人員を割いたことに対する説明を上に行っている間に、すっかり夜は明けてしまった。彼女からのメールが来ていないことに気付いたのは昼過ぎ。そんなに心配しなくても、と言っていた彼女を思い出して、この時点で俺はそこまで気にしていなかった。


車内に笑い声が響く。珍しく愉快そうに声を上げたその女は、どこか勝ち誇ったように助手席からこちらを見た。

「だから言ったじゃない!あの赤井が生きてるわけないって……」
「ええ……僕の取り越し苦労でした……」

ハンドルを握り、前を向きながら女の視線を受け流す。赤井秀一は生きている。だが俺の正体を公安だと見破られて本名まで知られてしまったのは相当の痛手だった。沖矢昴と赤井秀一が別人ということについてはまだ納得できていないが、乗り込んでいったあの場で監視カメラが複数作動していたことを考えると、完全に行動を読まれていたのだろう。赤井秀一に出し抜かれたことは大いに気に食わない。しかし、それ以上に恐ろしいのは……。
もうこういうのは無しにしてよね。そう言ったベルモットの言葉の通り、今後組織の人間としてはあの男を追うことはできなくなった。組織のボスが恐れる赤井秀一。自身の組織内での地位を確実なものとするためにあの男を追うという名分は失われてしまったのだ。残っているのは個人的な怨讐のみである。シェリーを亡き者にし、赤井秀一の生死を確認した以上、安室透としてポアロにいる理由もなくなる。だがあの少年と赤井秀一が繋がっていることは間違いなく、今後もしばらくは探偵の安室透を続けることになるだろう。

「まぁ、これから先、勝手な行動は避けた方がよさそうね……組織内に鼠が入り込んで来てるって、ジンが問題視していたし」
「……あなたが単独で調べている案件は問題にならないと?」
「あれはいいのよ。そういえばその件、一緒にやりたいなんてどういう風の吹き回し?」
「今回は色々と迷惑を掛けてしまいましたし、お詫びにお手伝いしたいと思いまして」

あら、そう。そう言って女はプラチナブロンドの髪を掻き上げた。赤井の件を調べている間は行動を共にすることが多く、彼女に数回迎えに来いと呼び出されて気付いたことだが、ベルモットは単独で姿を変え潜入捜査を行なっている。それが嶋崎豊に関連することだと知ってからは、どうにか彼女に協力できないかと思っていたところだ。
組織の重要なデータが盗まれて、火消しに躍起になっているメンバーがいる……それがベルモットから最初に聞き出した情報だった。組織からデータを盗んだ人間というのが俺が送り込んだ八坂のことなのか、または別の人間のことなのかは今の段階では分からない。八坂が情報を掴んでいたことは確かだが、奴らから実際にデータを盗んでいたのか、それすらも分かっていないのだ。とにかく、ベルモットに協力するという形で動ければ捜査は格段にし易くなる。彼女が動いているのは盗まれたデータを取り戻すといった動機ではないようだが、邪魔さえしなければこちらが怪しまれることもないだろう。

「それで、僕は何をすれば?」

赤井の件がバーボンの早とちりで終わったこの流れで、自分が協力を申し出ることは自然だといえる。女も特に不審に思った様子はなく、それどころか赤いルージュに妖艶な笑みを乗せて小さく息を漏らした。

「あなた、あの子猫ちゃんが心配でそんなこと言ってるの?」
「……え?」
「噂ではあの嶋崎の愛人らしいけど……ミョウジナナシっていったかしら」
「ああ……彼女はポアロの常連ですよ……心配なんて、そんな風に見えましたか?」

予想外の名前に、思わず女の方に顔を向ける。嶋崎のことを普通に調べてもミョウジナナシの名前は出てこない。潜入しているのなら存在くらいは知っているかもしれないが。故にベルモットが彼女を認知しているとは思っていなかった。聞けばミョウジナナシは嶋崎の娘と仲が良く、たまに遊び相手になっているのだそうだ。そんなことまで知っているということは、ベルモットは思ったよりも嶋崎の近くに潜り込んでいるということか。これを逃す手はない。ここは話を合わせた方が良さそうだ。真顔になった組織の探り屋を、女は窺い見るようにしてくすくすと笑った。

「でも安心なさい……あのふたりに体の関係はなさそうだから」
「今はそうでも……男と女なんて、いつどうなるか分かりませんよ」
「ふふ……っ、あなたでも普通の男みたいな感情があるのね……驚いた」
「僕を何だと思ってるんですか……」

あぁおかしい、と笑い始めた女を横目に、アクセルを踏み込む。メーターの針が一気に右に傾いて滑るように加速する車体のリズムを感じながら、溜息を吐いた。その視界に、左からスッと紙のようなものが差し出される。

「それが嶋崎の娘。本当に愛人かどうか、あなたが確かめなさい……彼女に直接、ね……バーボン」



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