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18-11 (9-2と10の間)



ディスプレイのブルーライトのみが己を照らす部屋で、コツコツとヒールを鳴らす音が近付いてくる。パーティのあったホテルの上階の一室。時刻は深夜0時を回ったところだ。この時間にもなれば外を走る車もほとんどなくなり、時折サイレンが近くの首都高を通り過ぎて行くのが耳に入る。邪魔な雑音を鬱陶しく感じてくしゃりと前髪を掻き上げ、ライティングデスクの上で起動準備に入ったノートパソコンの画面を眺めた。こちらに向かって歩み寄ってくる靴音は一定のリズムで、その主がまったくの無警戒な心理状態であることが読み取れる。それにしては異様と言っても良いほどの規則正しいそれに耳を傾けていると、ぴたりと、ヒールの音が止んだ。

『安室さん、いらしてたんですね。こんばんは』

潜り込んだ先で消息を絶った部下は、嶋崎が新規に起こした事業でチームを引っ張るほどの優秀な活躍を見せていた。遺体が遺棄された現場は八坂がよく出入りしていた倉庫のうちのひとつだ。嶋崎という男は元々は建設事業やそれに付随する土地の売買で一気に利を上げ財を成した人物で、暴対法が施行されてからも限りなく黒に近い地上げ屋や所謂裏社会の協力者を上手く取り込んで企業を大きくして行った。同業者ならばまず手は出さない、やり手の男だ。恐らくは身内にも見せられない暗部があるだろう。故に始めのうちは八坂が嶋崎の重要な秘密でも握って殺された可能性も考えた。だが、もしそうなら遺体を自社の倉庫に遺棄することは考えにくい。あの男ならばもっと上手い処分の方法を知っているだろうし、すぐ足のつく拳銃での殺害方法を選ぶとは思えなかった。

『……おかえりなさい』

立ち上がったパソコンの画面に、新着メール23件の表示。上から順に開きながら、暗い部屋で目を細める。

『うっ……いつも通りカッコいい、ですけど』

少しだけ上擦った声に、メールを読み進めていた自分の指が止まった。
……一度は横領事件で調査の対象から外れかかっていたミョウジナナシに関して、嶋崎との接点を調べるために新たに数回の尾行を行なっていた。もちろん、他の人間では尾行できないため自らである。その中で、何故こうも彼女は自分の気になる行動ばかりするのかと思わざるを得ない一件に新たに遭遇したのは2日前のこと。彼女が米花町にある「工藤邸」から出てくるのを目撃したのだ。

工藤邸……そこは疑惑の邸宅だ。地元の人間にはそこそこ知られた家であるらしい。家主は世界的な推理小説家、工藤優作。眠りの小五郎の背後にちらつく小さな影は小説家と何らかの関係があるようだが、詳細は不明のまま。あの少年とミョウジナナシは仲が良く、単に知り合いの家である工藤邸に遊びに行った、ということもあり得るのだが、今問題視している点は別のところにある。

ベルツリー急行の一件以来、赤井秀一が生きてどこかに潜んでいるという疑惑はほぼ確信に変わっていた。唯一分からなかった死体すり替えのトリックは、最後に手に入れた楠田陸道が拳銃自殺したという情報によって既に明らかになっている。無数のピースを繋ぎ合わせて、その事実にたどり着いた時には戦慄したものだが……眠りの小五郎の裏で糸を引くのと同様、鍵はあの少年だった。来葉峠の一件以降、江戸川コナンの周囲に現れた人間は限られている。沖矢昴。米花町にある工藤邸に、急に住み始めた大学院生。つまりはそういうことだ。赤井秀一とミョウジナナシはあの工藤邸で接触していることになる。
ただ、彼らにとって沖矢昴が赤井秀一だという事実は厳重に隠してきた秘密のはずだ。ミョウジナナシがどれだけ害のない一般人だとしても、素顔を晒して会うことはないだろう。ちょうど顔を合わせた時期はベルツリー急行の後。「安室透」を探ろうと彼女に接触したのかもしれない。店員と客、と言うには距離が近いと見られていることは確かだった。安室透を探られて困ることはないが、彼女の……重要な参考人の周辺をうろつかれるのは迷惑な話だ。

『…………』

するりと布擦れの音が聞こえる。手を伸ばして彼女に触れた時に、袖の中に仕込んだレコーダーが服に触れたのだろう。こうして録音された声は直接聞くよりも落ち着いた雰囲気に感じる。平静を装いながらも焦って頬を染め、どうにか切り抜けようと困る彼女の姿を思い返した。拾うはずのないか細い吐息まで聞こえた気がして、僕はデスクに頬杖を突いて目を伏せる。2時間前に別れた女の声をもうずっと繰り返していた。殺してやりたいほど憎むあの男と彼女の関係は……。
「安室透」を探るために利用されているだけならば良い。奴は安室透がバーボンであることを知っているから、少しでも情報を聞き出したいと思っているだろう。だが、もしFBIと関わることによって組織絡みの事件に巻き込まれても、赤井秀一が日本人である彼女を守る義理もない。妙なことを吹き込まれて、嶋崎の情報が彼女から得られなくなるのも困る。それに、男と女などどうなるか分かったものではない……やはりどうにかして、彼女を掌握する必要がある……。

『……あなたの名前、教えてくれるなら』

彼女の声が静かに響く。同時に柔らかな唇の感触を思い出した。
ふと瞼を上げると、新着メール1件の表示。つい30分前にも送ってきた差出人だった。



I want 2 see u. Can I see u 2moro?
I'm saying this because I'm worried about your body!

ILYSM.
Hermit

会いたい、明日はどう?あなたの体が心配だから言ってるの。メールの文面にも関わらず早口に捲したてる様が伝わってくるところが、異国の女らしい。前の会えないかというメールに返信をせずにいたため焦れてまた送ってきたようだった。相手はベルモットが目を付けている他国の公的機関の女性職員だ。後々重要な証言をさせてとあるポジションの重役を失脚させるからくれぐれも丁重に扱えというご要望で、何故か相手をさせられる羽目になった。この場合の丁重にとは、うまく飼えの意である。……どうも外見のせいか女を騙すのが得意だと思われている節があるのだが、甚だ心外だ。探り屋と言いつつ、僕はこう見えて実は武闘派である。

As you wish.

Sincerely yours,
Bourbon

仰せのままに。一言だけ書いて送信ボタンを押す。送信完了のポップアップを横目で見てから、伸びをするように背もたれに寄りかかった。力の抜けた半身の重みでギシリと椅子が軋む。

「……知るか」

吐き捨てるように口から出た言葉は、再びはじめから再生された録音物のヒールの音に掻き消された。




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