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18-8 (8の5日前)




爆風を浴びると同時に、視界が開けた。一気に大きくなったディーゼルエンジンの音と吸い込まれるように吹き込んだ突風が轟々と耳元で鳴り、攫われないように咄嗟に列車内の壁に背を預ける。突然の事に驚愕したその一瞬で、切り離された車両は呆気なく遠ざかって行った。貨物車は単独で車軸に動力を伝達する術を持たない。車輪が回転速度を落としていくのがスローモーションのように見える。開いた瞳孔に、赤く塗られた鉄道橋とその真ん中で停止した車両が映った。直後、大きな音とともに貨物車が爆発を起こす。……彼女を乗せたまま。

「……っ……!」

確認せずとも明らかなのは、あの密室ではひとたまりもないということだけだろう。あと一歩でシェリーを確保できるところだった。手筈では連結部を破壊した後、その音を聞いた組織の仲間が貨物車内の起爆スイッチをオンにすることになっていた。自分が連結部を破壊しない限り、貨物車は爆発しないはずだったのだ。シェリーを仕留めるつもりの仲間を欺いて、連れ出すつもりだったが……何者かに投げ入れられた手榴弾が合図となり、爆発は起こってしまった。
手榴弾を投げた影はあの男に変装したベルモットに見えたが、違う。誰だ……?
あっという間に列車は遠ざかり、その車体が粉々になったかどうかも確認できない。立ち昇る黒煙が青空を汚すのを、遠ざかっていく列車内から呆然と眺めるしかなかった。

「…………」

風に煽られながら、沸々とした不快感と怒りに唇を噛み締める。彼女の面影を持つ娘に、もう少しで手が届くと思ったのに。むざむざ見殺しにすることになってしまった。あの男は……赤井秀一に似ているように見えたあの男は、いったい……?ともかく、いつまでもここにいるわけにはいかない。幹部と落ち合って、作戦が「成功」したことを確認しなければならないだろう。最後にもう一度灰色混じりの空を見てから、踵を返す。そして足早に列車の中程に引き返していると、服の内側で端末が振動した。表示された番号に目を細め、足を止めて通話ボタンを押す。

『A109E、いつでも向かえますが』
「……撤収しろ」
『……は?』
「作戦は失敗した。……撤収だ」

知らず押し殺した声は底冷えするように響いた。用意したヘリは無駄になった。耳に押し当てた端末の向こうでは指示が飛び交い、慌ただしくやりとりが始まったのをどこか他人事のように聞く。
……赤井秀一が生きているかもしれない。奴が撃たれて死んだと聞かされた時から疑惑はずっとあった。あの男は殺して死ぬような男ではない。ましてや正面から頭を撃ち抜かれて死亡した、などという馬鹿げた話を信じられるはずもなかった。対峙したことのある人間ならば奴の死を疑いそうなものだが、映像で確認していたためか他の幹部も赤井秀一の死を鵜呑みにしているようだ。奴を殺せるのはキールでもジンでもない。奴を殺せるのは……。そう、生きているのならばそれは幸いなことなのだ。死んだと思われているあの男を見つけ出し、組織に引き渡せば幹部としての現在の地位は揺るぎないものになるだろう。最悪、死体でも構わない。
……警察官である自分はもともと正義感の強い男だった。この国を守るという信念のもと組織に潜り込んだ。人をこの手に掛けることもいとわない、そんな男ではなかった。皮肉にも奴への深い恨みは僕を組織の人間として躍進させるに至ったのだ。もしあの男と何の確執もないままだったなら、正直いってここまで組織の内部に食い込めていたか分からない。ほんのささやかな礼として、最後は苦しまないように逝かせてやろうと思うくらいには、僕は組織の幹部を演じきっていた。偽物の人格を演じながらも、深い殺意は紛れもなく本物で。蜷局をまく憎悪を飼い慣らすには、本来の自身の姿はあまりにも潔白すぎる。組織の人間でいる間は楽だったのだ。……殺してやる。この恨みは奴のためにある。だが、いつしかそれが他の人間にも向かうのではないかと恐怖を抱いてもいた。今も左手から繋がった電話の先が僕を確かに繋ぎ止めてはいるが、それを自覚してしまうくらいの症状であることに気付いている。

「……くそ、」

煙の中で薄っすらと見えた影が頭から離れない。耳に押し当てたままの端末がミシリと音を立てた。

『……その、こんな時に報告すべきではないかもしれませんが』

そんな風見の声で少しだけ冷静になる。手短に話せ、そう答えると部下は一言『八坂の件で』と言った。思わず端末を握り直す。半年ほど前に潜入先で消息を絶った公安の部下は、最近になって倉庫の中で遺体で発見された。何か情報を掴んでいたのは間違いない。だがその情報は彼の周囲を探しても見つからず、未だ誰に殺されたのかも分かっていなかった。状況から見て、犯人は別の場所で殺害してわざわざ倉庫内に遺棄している。つまり八坂がどこぞから送り込まれた諜報員だということに気付いているというメッセージだ。そんな中で堂々と公安の人間が探りに行くわけにはいかない。最近になってどういうわけかベルモットが八坂の潜入先に近付いていることを知り、協力する形に見せかけて捜査できないかと画策中であった。

「……進展はあったのか?」
『はい。写真を送りましたので確認をお願いします。……それでは』

必要最低限の会話で部下との通話は終了した。再び列車の先頭車両へ向かって移動しながら、メール添付されているファイルを開く。煌びやかな照明と丸いテーブル、豪華な料理……何かのパーティーの時の写真のようだ。写っているのは嶋崎豊……八坂の潜入先の創業者か。その斜め後ろに控え目に立ち、男の腕に手を添えるようにするひとりの女。それを見つめて、ゆっくりとひとつ瞬きをする。

「…………戻って来い、か……」

外は危険だからと言って、安室透の髪を撫でたあの女。ミョウジナナシの姿がそこにあった。

「…………」

戻ってやろうではないか。彼女が望む男かどうかは知らないが。
無意識に力を込めて握った端末の液晶に、ビシリと亀裂が入った。




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