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18-4 (3-2, 3-3)



……目立っているな。近くの駐車場に車を止め、ホテルのエントランスにふたりで足を踏み入れた時、そう感じた。見てくれが派手なので視線には慣れている方だ。子供の頃は嫌な思いをすることが多かったこの外見も、時と場合によっては優れた武器になると知ってからは何も感じなくなった。一周回ってズルい、とは友人達の言葉である。一周回った経緯を問い詰めようと思っているうちにそれは叶わなくなってしまったが、言いたいことはまあ分かる。まず、普通に警察官だと思ってもらえないのは笑うところだろう。現に俺はそういう方面で弄られ慣れてもはや軽く受け流せるレベルに達していたが、今となっては俺が警官だと知る人間もほとんどいなくなってしまった。潜入先を欺くという面では役に立っているから、そう悪くもないと思える。今は。
しかし自分に向けられる視線には慣れていても、連れが見られているというのはなかなか落ち着かないものだ。エレベーターに乗り込んで、隣にいる彼女を見る。視線を感じたのか、彼女もまたこちらを見た。

「安室さん……」
「はい、何でしょう?」
「……何でもないです……」

彼女は彼女で何か言いたげだった。おそらく視線が突き刺さっているのは隣にいる男のせいだとでも思っているのだろう。人目を惹いているのは確かだったが、何もそれは片方だけのせいじゃない。俺が不思議と彼女を見てしまうように。なにも、彼女は誰もが振り返る容姿だとか、服装が奇抜であるとか、そういうわけではないのだ。曖昧な表現は好まないが……気になる、という表現が一番しっくりくるかもしれない。それは諜報に身を置く人間にとっては見過ごせないことでもあった。

ホテルの最上階にあるレストランは、都内でも有名なカジュアルイタリアンの人気店だ。気取らないスタイルで、こういった場所にあまり馴染みのない若者にも人気がある。彼女の年齢を考えてこの店を選んだものの、どうやらそちら方面の心配は無用だったようだ。ポアロでの様子を見ていたので予想はしていたが……随分、慣れている。ナイフとフォークを使って丁寧に料理を切り分け、口に運ぶ様をじっと見つめると、それに気付いた彼女は小さく笑って瞬きをひとつした。そうやってこちらに笑い掛けてきたのも束の間で、もぐもぐと口を動かしたあと、パッと別の表情に変わる。頬を緩めて、おいしい、と、思わずといったようにその唇から出た声は、いつもポアロで聞いているのと同じだった。

「……ナナシさんはこういったお店によく来られるんですか?」
「いえ、ここまでちゃんとしたお店にはあんまり。美味しいものに目がないので、人よりよく食べてはいますけど」
「それは見てれば分かりますよ」
「……そう言われるとちょっと恥ずかしいです」

いつもあんなに隠しもせずに食事を楽しんでいるのだから、今更だと思うのだがそういうものか。
少しだけ俯いてしまった彼女は何やら考え込むように、一口大に切ったアスパラに更に切り込みを入れる。そして小さくなったそれにもう一度ナイフを入れて、極小にカットしたもはや何の野菜か分からない白いものを口に運んだ。そのペースだと閉店までに食べ終わらないのではないか。それを眺めて、女性に対して失礼な発言だったかと首を傾げる。

「気に障りましたか?」
「いえ、ぜんぜん……安室さんに言われたら急に恥ずかしくなりました」

ちらりとこちらを窺うように一瞬だけ向けられた視線に、思わず笑ってしまう。隙あらば違和感の正体を突き止めようと接触する安室透に見向きもせずに、あれだけ食後のデザートを食べることに命を掛けているのに、今更か。食べることは純粋に好きなのだろう。美味しそうにものを食べる人というのは、確かにひとの目を惹きつけるものだ。しかし彼女のように、日常にありふれたものを毎回喜んで食べる人間というのはなかなかいない。何度も食べているはずなのに、まるで初めて口にしたかのような反応なのだ。それは全力で噛みしめているような、その度に受け入れ直しているような……とにかく特別なことだというのが伝わってくる、そんな。違和感があるほど洗練された所作が染み付いているくせに、そんな平凡なものに何度も心を奪われる。まだ彼女とは付き合いが浅いためにそう多くは知らないが……非常にアンバランスだと言わざるを得ない。そしてその様子を見るたびそこに何かがあるのかと首を傾げる安室透は、彼女がきらきらと目を輝かせて見つめる先が自分の作った料理だと分かると、やはりくだらなくて笑ってしまうのだった。




風見は問題なく任を遂行したようだ。ホテルに3基あるエレベーターの2基は停止し、残った1基に人が集中する。彼女から離れないように人の波に流されつつ、その肩に腕を回して隅に誘導した。何かを隠しているとすれば鞄の中だろう。これからしようとしていることを他人に気取られないために、周囲の人間から隠すように彼女を覆ってしまう。定員オーバーだろうというくらいにエレベーター内はぎゅうぎゅう詰めだ。潰してしまわないよう、また、鞄が壁側に挟まれてしまわないように彼女の背後にある壁に腕を突く。すると、はっと息を飲んだ彼女が腕の中で俺をじっと見上げてきた。……あまりにもまじまじと見つめられたため、企みに気付かれてしまったかと内心考えてその表情を窺う。しかし目が合いそうになると、彼女の視線はするりと別の場所に逸らされてしまった。その指は申し訳程度に俺の服の端を摘んでいる。この体勢だ。たとえ何とも思っていない男であっても、意識してしまうのは当たり前のことだろう。そのまま気を逸らされていてくれれば良い。エレベーターは下降を始めている。
こちらから仕掛けようと思っていると、ふいに彼女の手が伸びてきて、曲がっていた俺の服のタイを指に引っ掛けて真っ直ぐに直した。単に目に入ったからそうしたのだろうが、この密着した状況でそれをされたら大多数の男は誤解するだろう。彼女はそんなことはまったく考えていない様子で、今度は何故か自分自身の手を見つめ始める。一体何が気になっているのかと、つられてじっと見ていると、その指は再びこちらに伸びてきて俺の二の腕に触れた。

「……?」

女性らしい細くて白い指にきゅっと摘まれて、俺は面食らった。瞬きを繰り返す間、彼女は俺の反応などお構いなしにさわさわと腕の筋肉に触れてくる。……何だ……?
安室透は人当たりが良く誰にでも親切で、容姿のこともあって女性にはモテる。そのつもりがなくとも誤解されるようなことは多々あったし、中にはこうして触れてくるような女もいた。しかし、目の前の女は安室透に異性としての興味があるようには見えず、こういったことを仕掛けてくるとは思いもよらなかったのだが……首を傾げる俺に一切見向きもせず、彼女は服の上からするりと指を滑らせる。それは、女がそういう目的をもって男に触れるのとは程遠いものに思えた。まるで確かめるかのような、この動きは。その瞬間、自分でも何故なのか分からないが、僅かな焦りが生まれる。

「……悪戯はいけませんよ」

奥底に打った小さな波に、瞬時に彼女の手を握り締めたが、それは自然な動作に見えただろう。自分のとは比べものにならないくらい細く白い指。華奢なその指の間に少しかさついた自分の指を差し入れ、絡める。柔らかな指だった。彼女は一瞬、驚いたように俺を見たが、すぐにまたその目線は逸れていってしまう。とくりと皮膚の下で脈打つ鼓動は確かに、彼女がいま心を奪われたことを示しているのに……握った手が気になるのか、じいっと見つめてはあからさまに思案顔になった。そうして考え込む、薄く開いた唇は何事も言わないまま再び閉じられる。彼女はどこか別の何かを見つめている。
もはやこれはここ数週間で癖になったことだが、安室透は彼女が見つめる先がやはり気になった。少しだけ指を動かしてなぞるようにした彼女は、安室透を……僕を見ているようで見ていない。

「……ナナシさん」

名前を呼んでもナナシさんは答えなかった。まるで見えない壁でもあるかのようだ。その得体の知れない壁の内側に割って入るかのように、顔を寄せる。……考え事ですか。そう低い声で囁けば、彼女は声を上げてようやく僕を見た。近い、そう小声で訴える慌てぶりには可笑しな気持ちになる。意識されないと逆に視界に入りたくなるものなんだな、と新たな発見をした。男のひとだと、そんな見たままの言葉に瞬きをしたのは初めてだ。……もっと困らせてやろうと思ったのも間違いではないが、目的は忘れるな。
壁に突いたままの腕の力をほんの少しだけ抜いて、擦り寄せるように彼女の薄い肩に鼻先を近付ける。ひ、と小さく悲鳴を上げたのに気付かないふりで、空いている片腕でその体をぎゅっと抱き締めた。いつも彼女から香っている甘い匂いが濃くなる。びしりと固まってしまった彼女は、鞄の中を探られていることには気付いていない。ここまでしてこの状況を作り出したが、差し入れた指にそれらしき手ごたえはなかった。……まあ、そうだろうな。忘れ物を取りに行った薄暗い社内で、たとえ多少不審なことがあったとしても、大抵の人間は行動を起こすことなくそそくさと退散する。
何もないならばそれは良いことだ。ポアロのマスターに世話になっている身としては、常連を減らしてしまうのは忍びない。それだけだ。僕が男だと気付いてくれて良かった、そんなことを言いながら柔らかな肢体を抱き締めていたが、作られた安室透が本当にそんな感情を抱くはずもなかった。





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