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17-18




敷地内が復電してから一時間後。押し寄せる警察車両の赤いパトランプを横目に、私と類さんは東都水族館を後にしていた。脱出、と言った方が正しいかもしれない。事件の一部始終を目撃していたに近いため、本来ならば最優先で聴取されるべきところを、即刻移動を言い渡されたのだ。……FBIに。
観覧車が停止してから置き去りにしていた類さんの拳銃を見つけ、誰かと合流しようとしていた時だった。ところどころ煤で汚れた赤井さんがやってきて、怪我の確認と、私達に移動を促したのだ。彼は日本で極秘に活動しているFBI。今回の"仕事"を、おいそれと日本の警察に喋られたら困ってしまう……というのももちろんあるが、私達の身を案じたのだろう。目撃者として聴取されるようなことがあれば、その資料は公式に警察内部に残ってしまう。今回のように敵に侵入されデータを盗まれるようなことが起きれば、知りすぎた私達は確実に組織の抹殺者リスト入りだ。
私達以外にも一応の目撃者はいる。ほとんど事情を知らないとはいえ、地上で事の成り行きを見守っていた警察関係者だ。変に一般人の証言があるよりも、都合よく事件を処理するにはやり易いだろう。それに私が見たままを喋ってしまうと、赤井さん以外に困る人物もいる。現在進行形で組織に潜入している安室さんや、その組織を追っているコナン君。……世の中には黙っていた方が良いこともあるということだ。

ジンの命令で爆弾を手配・設置した刑事さん、いや、有川憂晴に成り済ました男の姿は、事件後どこにも見当たらなかった。あの男にはまだ聞きたいことがあるけれど、今は接触するべきではない。……私から彼の正体を誰かに話すことはないだろう。それは組織に与するとみなされる行為なのかもしれない。だが、それでも私は、話せない。
類さんの恋人の死については、私から彼女に告げることではないため、安室さんの判断になるだろうな。八坂が警察官だったというのはもしかしたら薄々気付いているのかもしれないが、そこから公安にはたどり着かないだろうし。私が彼の死の真相を知っている、と類さんは聞かされていたようだが、そう吹き込んでいた相手こそが事件に関わっていたなんて。誰が手にかけたかはっきりとは言っていなかったものの、彼を殺した張本人かもしれないなんて……やりきれない話である。
……安室さんは八坂に恋人がいることを知っていたんだろうか。部署にもよるが、警察官であれば交際相手の名前を届け出ることは普通のことだ。公安ならばなおのこと。しかし潜入中で滅多に連絡を取らない捜査員と、上司とはいえ警察庁に所属する同じく潜入中の身の上の安室さんとの間で、そのやりとりが行われていたかは微妙な気がする。もし類さんを彼の恋人だと最初から知っていたのだとしたら……いや、これ以上考えるのはやめよう。安室さん怖い……。


「すごいお家ですね……」

隣にいる類さんの声で、私は現実に返った。
時刻は夜の22時、目の前には2階建ての洋館。私の散歩コース上にある家でもあり、前に一度コナン君に連れられてきた、高校生探偵・工藤新一君の自宅である。夜中に通りかかって物騒な視線をぶつけられた時とは違い、門燈が灯され、家の中にも明かりがある。寄り道をせずにまっすぐここに来るようにと、赤井さんに指定されたのだが……そう言えばここに住んでいるのは彼自身なのだ。彼はまだ水族館から出ていなかったはず。コナン君も私達が車に乗り込む時にはまだ現場にいたので、別の誰かがいるということになる。
チャイムを押すと、インターホンから『ハイ、どちら様?』と声がした。若そうな女の人だ。名前を名乗るとすぐに鍵を開けてくれて、入るように促される。玄関の向こうに立っていたのは長い栗色の髪の、綺麗な女の人だった。ちょっとその辺ではお目にかかれない美人だ。おそらく年齢はそこそこ上なのだろうが、毛先をくるりと巻いた髪型で可愛らしさも兼ね備えている。……どこかで見たことがあるな。そういえば、新一君のお父さんはとても有名な推理小説家で、その奥さんは確か……。
古めかしいが一目で高級だとわかる内装の洋館の玄関で、目の前には綺麗な女性。上がってと言われて、私と類さんは躊躇した。

「でも、私達すごく汚れてますし……」
「……家でお風呂に入って出直してきます」
「え?ちょっと待って!」

踵を返しかけた私達ふたりを、女の人が慌てたように呼び止める。爆風やら煙やらで、我々は埃まみれだ。正直、人の家に上がれる状態じゃないことに今気付いた。相手が赤井さんとかなら事情を知っているのでまだ良かったのだが、見ず知らずの美人となると後ろめたさ全開である。女の人は汚れた姿を見ても嫌な顔ひとつせずに、むしろにっこりと笑った。

「新……コナン君から聞いて準備してたのよ!今日は色々あって大変だったんでしょ?ふたりとも、ゆっくりお風呂に入ってね」
「……えっ?」

なんと、訪問2回目にしてお風呂をお借りすることになってしまった。類さんに至っては初回である。とても断りきれる雰囲気ではなく、私達は頭を下げまくった。


工藤有希子。それが彼女の名前だった。苗字から分かるように工藤新一君のお母さんだ。旧姓は藤峰。高校在学中に女優としてデビューし、卒業後19歳にして数々の賞を受賞するも、すぐに結婚して引退してしまった伝説的存在。私の世代だと子供の頃に有名だった女優さん、という感じだ。高校生の子供がいるとは思えない美貌である。これは美の秘訣をお窺いしなければ……。
新、コナン君がどのような話を彼女にしたのか分からないが、おそらく今回の件についてFBIと一緒に口裏を合わせるための話し合いで家に招いたというところか。しかも現場から直接の集合である。前のように探り合う関係ではなくなったようだが、彼らと安室さんとの間には色々とある様子。赤井さんとのただならぬ関係もだけど……やはり組織に潜入している安室さんとしては話せないことも多く、いまいち信用されていないのもあるんだろう。私が赤井さん達の立場だったとしても、「私」のような存在は取り込んでおこうとするだろうな。というわけで、今は赤井さんとコナン君がここに戻って来るのを待っている状態である。

……おそらく安室さんは今回の件でまたしばらく手が離せない。会えなかったので真っ直ぐここに来てしまったし、一応メールは入れておくか。お風呂上がり、新しい下着と服までお借りして、すっきりしながらリビングでスマホを操作する。
えーと、……知り合いの家にいます……次はいつ会えますか?……今日のことにまったく触れないのってどうなんだろう。じゃあ……言うことを聞かなくてごめんなさい、時間ができたら連絡ください?……怒りそうだな。安室さん、わりと怒るというか、短気なんだよな……。安室透は爽やかで人当たりが良いし、変なことを言ってもちゃんと聞いてくれる優しい人なのは間違いない。そしてそれがすべて作ったものかと言えばそんなこともなくて、基本的には穏やかなんだけど……。

「うーん……」

私は悩んだ末、最初の文面でメールを送信した。スマホを長椅子に置き、天井を見上げる。そのままぐるりと視線を巡らせて、壁に掛けられた絵画をぼーっと見つめた。あ、だめだ、急に眠くなってきてしまった。というか、今日は本当に疲れた……。斜め向かいでうとうとする類さんにつられるように、瞼が重くなって行く。少しだけと思って一度瞼を下ろしたら、抗いがたい眠気に勝てなくなって、呆気なく意識を手放してしまった。




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