Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

17-17




「とにかく、生き残ることだけを考えましょう」

私は類さんの手を引きながら自分にも言い聞かせるようにそう言った。銃撃が途絶えたことから、敵は女幹部を始末するという目的を遂げたと見て良いだろう。ならばすぐにでも撤退したいはずだ。とっくの昔にあの機体は航空自衛隊のレーダーサイトに捕らえられている。元からそう長く留まるつもりはなかったため、失敗したら丸ごと爆破などという手で来たのだ。ならば何故、いま再び機体が近付いてきたのか……考えたくない、が、動かなければ。繋いだ手をしっかりと握り直す。

「類さん走って!」
「は、はい!」

同時に発砲音が響いてきた。ここは車軸に近い中心部。明確な狙いをつけて再開された砲撃に巻き込まれないように、私達は外へ遠ざかるべく走った。砲身の角度は車軸に残った爆弾に固定され、もはや人間に見向きもしない。そう広くもない足場は乱暴な攻撃でところどころ崩れかかっており、下へおりる階段は途中で千切れ垂れ下がっているような状態だった。少し行ったところに別の通路があるが、途中で穴があいて下階の暗闇がぱっくりと口を開けている。ここを通過できれば……。

「飛びましょう」
「む、無理です!落ちたら……」
「万が一落ちたとしても1階分くらいです。底までは行きません」

渋る類さんの腕をとるが、怖がって竦む足は動きそうにない。煙で視界が悪いのが余計に恐怖を煽っているのだろう。でも、と頭をふるふると左右に振る彼女の短い髪に、どこからか飛んできた火の粉が降りかかる。このまま車軸近くにいれば爆発に巻き込まれてしまう。もう猶予がないと判断した私は、類さんの腕を思いきりガシリと掴んで、力任せに引っ張った。いきなり助走を始めた私に引っ張られ、けれど行かなくてはならないことは理解しているのか、彼女が焦ったように足を動かす。よし、これならいける。

「大丈夫、死にはしない!」
「……えっ、きゃっ!?」

ちょうど片足で踏み切った時に、観覧車の外側で何かが爆発したような轟音が響いた。暗かった周囲が一瞬明るくなって、静止した車輪の影が地上に落ちるのが見える。立て続けに、紫電をまとった光る球体が観覧車の内部から放出されたかと思うと、打ち上げ花火のような音を立てて敵の機体の上で炸裂した。……何だ?無事に穴を飛び越え、向こう側に着地して空を見上げる。そこですぐさま響いてきたのは1発の重い銃声。ドン、と大きな音を立て、敵の乗る機体が傾くのがここからでも見える。安室さんが合流すると言っていたから、おそらく何かやったのだろうが……最初のは回収した爆弾を投げつけて爆発させたのだとしても、あの球体は?その後のは赤井さんか。鉛玉1発で軍用の輸送機にダメージを与えてしまうとは、なんていうかそれは人間業じゃない。後でどうやったのか聞かなければ。しかし、そう思ったのも束の間。敵は往生際悪く、車軸への攻撃をやめなかった。やがて爆発で損壊したノースホイール側の車軸は機能を失い、金属の軋むような不気味な音と共に、車輪がぐらりと基部から剥がれる。

「……!」

まずい。何てことをするんだ。観覧車がふたつのホイールともども崩落するよりは良かったかもしれないが、ブレーキの解除された車輪はゴンドラの重みでじわじわと回転を始める。車輪が丸ごとなくなって、開けた視界の先に明かりのついた建物が見えた。あれは水族館だ。無理に結合部が引き剥がされたことで、どこからかバラバラと破片が降ってくる。色々な事が一気に起こりすぎて呆然とする類さんの手を引いて、私はまた走り始めた。そろそろ足が痛い。
ぎゅっと強く手を握ってきた類さんに、前を向いたまま、ほら、飛べたでしょうと私は笑う。もうやけくそというか、空元気の域だ。すると背後から思いがけない言葉が聞こえてきた。

「ナナシさん……やっぱりあの人のこと知ってるんでしょう」
「……え?」

確信を持ったような声音だった。走りながら後ろを振り向いて、私は驚きに目を見開く。大きな目いっぱいに涙を溜めて、彼女はじっと私を見ていた。泣くほど怖かったのか。そう思ったが、どうやらそれだけではないらしい。何か言いたげな彼女の目。走るたびに振動で溢れ流れた涙が、頬を伝いきる前に夜風に攫われて後方に散って行く。それは私達の背後にある転がった車輪と同化して、リングに輝きを与えるかのようにキラキラと輝いて見えた。何かを言おうとしてもしゃくりあげてしまい、言葉にならず唇を噛む彼女から目が離せない。こんな状況にも関わらず、いまさら綺麗な人だと、そう思ったからだ。何だろう、この胸につかえる感じの妙な気持ちは。彼女の震える唇が動く。

「だって、あの人にそっくりだもの……」

今日ずっと、そう思っていたの。類さんはそう言った。私が知らないと言った、あの人。

「……それって、写真の彼のこと?」
「……私と彼、数年前に起きた立て籠り事件の現場に居合わせたんです。それが出会いで……。彼、ただのドライバーなのに事件に巻き込まれやすいみたい」

その時に今のような危険な状態になって、大丈夫だから、死にはしないからと、まったく同じ言葉を言われたのだと。この異様な状況に感覚が麻痺しているのかもしれない。彼女は昔を思い出すように目を細めて泣きながら笑う。

「あ……」

自分でも気付かないうちに足を止めて、私はお行儀悪くも口を半開きにして瞬きを繰り返した。そうか……刑事さんが私を調べるためにわざわざ素人の彼女を使っていたのは、同時に監視するためだったのか。
ディヴィ・ジョーンズの監獄は旧約聖書が元になった慣用句。普通の人間はそんな言葉、知らない。身近に語って聞かせるような人物でもいない限りは。さらに写真の彼の"職業"は、いつか誰かも成りすましていた配送業者で。結婚の約束をしていたのに、自殺してしまった。そんなはずはないと、ずっと彼女は彼の死の真相を追っていて。どこかで彼の拳銃を見つけてしまった彼女は彼自身にも疑問を持ち、混乱しただろう。彼女が所持していたのは日本の警察に広く配備されているニューナンブだ。それでも足を止めることはできなかった。彼女は……星村類は。


……疲れちゃったから、お兄ちゃん、眠るんだって。
起きたら指輪を渡したいんだって。


倉庫で耳にした、女の子の声が脳裏に蘇った。

水族館に向かって転がっていた車輪は、いつの間にか動かなくなっていた。




Modoru Main Susumu