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17-8




声を掛けたものの、その人物は別の方を向いたまま動かなかった。時折隙間からやってくる風の音で聞こえなかったのだろうか……私の声に反応したような気がしたんだけど。うーん、ひとまず自力でやってみよう。くるりと梯子に向き直って、位置を確認する。梯子を登りきったところは行き止まりになっており、そこからでは背が足りなくてやはり微妙だ。しかし、よく見てみれば梯子の途中で別の通路に飛び移れそうである。ひょっとして赤井さん、ここからではなくあっちの通路から手を伸ばして置いたのかな。
両手で梯子を掴みまずは片足を乗せ、ゆっくりと登っていく。幅が狭いし細いしで、何だか小学校の校庭に置いてあった遊具みたいだ。子供の頃は感じなかったがわりと握力がいる。2段、3段、少し登ったところで帽子が風で飛ばされそうになって足を止めた。……服装を誤ったな。観覧車に登るなんて分かっていればこんなことには……スカートだから足元がスースーする。というか帽子は類さんのところに置いてくれば良かった。帽子をかぶり直して足を次の段に乗せ、体重かけて上に移動する。が、ブーツで梯子はさすがに無謀だったらしい。

「……わっ!?」

つるりという効果音がぴったりな足の滑らせ方で、梯子から片足を踏み外して私の体はがくりと傾いた。……と思ったのだが、何とびくともしなかった。ちなみに片足はまだ梯子から外れたままである。

「……?」

両手を離したわけではないので落ちなかったのは分かるけど、なぜ片足で姿勢を保っているんだ。驚いて散漫になっていた意識が戻ってくると、腰を支えられていることに気付く。誰かが、私の後ろにいる。ちらりと見えた青い袖で、私が声を掛けた作業員らしき人だと分かった。やっぱり聞こえていたのか。急に変な奴が梯子を登り出したので慌てて来たのかもしれない。

「あ、ありが……」

とう、ございます。
お礼を言おうと振り返って、大変なことに気付いてしまった。
私が梯子を数段登っているにも関わらず近い位置に帽子があるので、かなり背が高い人だ。腰を支えている両腕はびくともしなくて、かなり力強い男の人だというのがわかる。作業着と揃いの帽子にはイルカのマーク。そんな俯き加減の男の帽子から、金色の髪が見える。見下ろしている私からは口元から下からしか見えないが、薄暗くてもわかる褐色の肌。……これ絶対に安室さんだわ。それ以外にないでしょう。お礼の途中で不自然に口を閉じて黙り込んだ私は、男の唇が薄く開くのをただ見つめるしかできない。

ナナシさん、と。静かに名前を呼ばれた。
あなたは僕の言うことを聞かない。今朝見つけたメモにはそう書かれてあった。ええ、あの刑事に関わるなって言われたのにこの行動ですよ。何も言い返せない。本当におっしゃるとおりで。預言者かな?しかし、安室さんがここにいるということは、いよいよ組織が裏切り者を始末する話と水族館が関係ありそうな雰囲気になってきた。刑事さんもここにいるらしいし、何なの?集合場所がここなの?そしてあの爆弾は誰が仕掛けて、どうするのか、だ。たぶん刑事さんが仕掛けたんだろうけど、私達がコントロールルームにいると分かっていながら殺さずに閉じ込めたのはなぜなのか。
考え込みそうになっている私を、安室さんは顔をあげて上から下まで見てくる。

「……ここで何を?」
「あ……安室さんこそ何してるんですか、そんな格好して……」

踏み外していた足を梯子に乗せて、私は安室さんの方に向き直ろうとした。だがしっかりと腰を掴まれているので体を捻っても顔しか後ろを向けない。

「それはこちらの台詞です。こんなひらひらした服で……危ないでしょう」
「ちょ、ちょっと事情があって……あの、そっちの通路に行きたいんです、わりと今すぐ」
「…………」

そう言って通路を指差すと、安室さんはちらりとそちらを見た。別にひとりでも行ける高さなのだが、頼ってお願いした方が上手く誤魔化せるんじゃないかという邪な気持ちからである。なんて女だ。背後の男は、はぁ……とやや長い溜息を吐いてから、腰を支えていた手にぐっと力を込めて私が登るのを手伝ってくれる。そうして片手で私を押し上げながら、何故か梯子の最初の1段に安室さんも足を引っ掛けてきて、ふたりの体はさっきよりもぴたりと密着した。

「……僕だったから良かったものの、知らない人間に頼むようなことではありませんね。あなたはどうしてそう、」
「安室さん、くすぐったい……」
「…………お説教は後にします」

いつもとは違う高さで背後から喋られると変な感じがする。あと硬めの作業着とか帽子のつばが微妙に擦れて擽ったい。安室さんはまた深く息を吐いた。私は落ちないように支えてもらいつつ、梯子の途中まできて通路の手すりに手を伸ばす。鉄製の棒をぎゅっと握りしめて、通路へと一気に飛び移った。……今気付いたけど、ワンピースなのでかなり際どい行動だった。絶対見えただろうが紳士な安室さんは見えたよとか言わなかったし顔色も変えなかったので、無かったことにする。下を見れば梯子からおりてこちらを見上げている安室さんの視線とぶつかった。

「それで?あなたはここで何をしているんですか」
「はい、赤井さんから受け取るものがあって。さっき話しを……」

たぶん、安室さんが聞きたかったのは「なぜこの東都水族館にいるのか」ということだったのだろう。だが、それでは刑事さんのことを言わなければならなくなる。それは駄目だ。いくら彼があなたは僕の言うことを聞かない、と半ば諦めているとしても、絶対怒られる。そこに気を遣うあまり、私は失念していた。

「……は……?」

そんなことより、安室さんがもっと怒るであろう話題が何なのかを。





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