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17-5




小さなゴミひとつ落ちていない、整備された水族館の敷地内。イルカショーのアナウンスに、はしゃぎながらステージの方へと駆けて行く子供達とすれ違う。私と類さんは水族館の隣にある大きな花壇の前で足を止めた。
水族館の中とイルカのステージ、レストランと、さらには土産物屋が入っている建物も一通り見てみたが、ここまで刑事さんの姿は見当たらなかった。メインは水族館なのだがとにかく敷地が広い。既に開館から3時間が経過している。昼も過ぎて、これからもっと人が増えるだろう。ちなみに電話は、呼び出し音はなるけれど何度かけても出なかった。……あのやろう、いつでも電話してみたいなノリで番号渡してきたくせに。

「ナナシさん、大丈夫ですか?さっきから調子が悪そうですけど……」
「あ……いえ、ちょっと考え事をしてて。それより、刑事さんがここに来て何をするつもりなのか、電話では話してませんでしたか?」

私の問いに、水族館マップを広げている類さんがうーんと唸って宙を見つめる。

「そう言えば……準備がある、って言ってたような……万が一の時のために」
「準備?」
「それから、関係ないかもしれませんけど……ディヴィ・ジョーンズの監獄に行かなくて良かったって」
「……ディヴィ・ジョーンズ?そんな単語をよく覚えてましたね?」
「ええ……聞いたことがあって、覚えていました。確か、海底の名前でしたよね?」
「…………」

ディヴィ・ジョーンズ……それは船乗りの間で信じられていた悪魔のことだ。その悪魔の監獄とは、溺死した船乗りや沈没した船が眠る海底を示す。監獄に行かなくて良かった、ということは誰かが船に乗ったのだろうか?有名な慣用句だが、海難事故が多かった昔ならばともかく、現代でその言葉を使うのは不釣り合いなように思える。そういえば奴らはM9だとか軍用の爆薬だとか、物騒なものを所持していたな。よく空港で運び屋が捕まるというニュースがあるが、重火器や危険物の密輸は空ではなく海を使うことが多い。もしかしたら単に海に沈まなくて良かったということではなく、うまく海の向こうから日本に密輸できたことに掛けているのかもしれない。……水族館で、万が一に備えて準備?船で運んだ何かを使用して……。

「なるほど……夜にやってきて、夜に去る……」
「……え?」
「ディヴィ・ジョーンズですよ。元は旧約聖書に登場する海に投げ込まれた預言者……誰も知らない場所から夜に来るんです。船で運んだものを使ってここに何かを仕掛けるつもりかも……夜だとしたら銃は現実的じゃないし、爆弾の類か……」
「…………」

水族館で何をしようとしているのかは分からないが、人の大勢いるこの場所で良からぬことを企んでいるのは間違いない。乗客のいる列車を軍用爆弾で吹っ飛ばす連中だ。裏切り者の始末と水族館の関連がさっぱり分からないけど、もしや組織の社員旅行中にノックを炙り出して吹き飛ばすとかじゃないだろうな。なんてふざけたことを考えていられるのも今の内かもしれない。
万が一ということは、何かがない限り準備をしたその仕掛けは発動しない。準備にも時間がかかるだろうから、水族館の本館のように人が大勢いる場所ではなく、長時間見つからないところだろう。類さんの持つ敷地内のマップを横から覗き込んで確認する。それができそうなのはまだ調べていない建設中のエリアと、観覧車の基部か……中がどのようになっているか見てみないと分からないけど、可能性としては高い。考えを巡らせていると、じっと見つめる視線を横から感じる。

「どうしました?」
「い、いえ……さっきまでとは別人みたいなので、びっくりして」
「あ、ああ……周りに探偵がたくさんいるので、こうやって推理する癖がうつっちゃったみたいです。安室さんもそうですけど、ポアロの上の階も探偵事務所だし」

適当に笑って誤魔化す私に、類さんは一応納得したようだ。私の口から出た安室さんの名前に、そういえば、と控え目に尋ねてくる。

「ナナシさんは、安室さんとはお友達……なんでしょうか?」
「お友達……まあ……そ、そうかな……」

知り合いというには深く、友達と呼ぶには情が複雑に絡みすぎている。しかも単なる恋情ではなく、人に言えない系の。気安さは多少あれど向き合えば緊張感があって、早々隙は見せられない。いつだったか、あなたを支配したいと言われたことがある。同じようなものが私自身の中にも確かに燻っているのを自覚している。気持ち、というより衝動に近いかもしれない。……あれ?これって恋愛どうこうというよりライバルの心情に近いのでは?……まあ、普通ライバルは相手をベッドに放り投げて襲いかかってきたりはしませんけどね……。

「前に商店街でナナシさんに偶然会ったとき、安室さんがナナシさんを気にされていたようだったので聞いたんです。私と一緒にいるところを見られてもいいんですか、って」
「はあ……」
「安室さん、ナナシさんはそういうことを気にしてくれないので……って言ってましたよ」
「……や、そりゃまあ気にしてないわけじゃないんですけど……というか恋人でもないし、そうなる予定もないっていうか、」
「そんなこと言ってると婚期逃しちゃいますよ?……私が言うのもなんですけど」

いつの間にか恋話みたいになってるなぁと思いつつも、腕を組んで正面の巨大な観覧車を見上げる。ここからだとちょうど真横だ。二連の大車輪がそれぞれ別の方向にゆっくりと回転するのを眺めて、安室さんのことを思い浮かべた。かつての自分がそうであったように、おそらく彼も誰かと将来を約束するようなことはないのだろうと思う。いつ死ぬともわからない身で囁く甘い言葉ほど薄情なものはない。
自分の帰りを待つ人がいる人間は強いと言いますが、そうじゃない人間の方が強いと思いませんか。そう言った彼は、続けて「今までそう思っていた」とも言っていたけれど。仮に彼の考え方が変化して、愛のようなものを囁く対象が私だったとしても、私はそれを受け入れることができそうにない。

それは遠い昔に、身勝手な男が成し得なかったことだからだ。




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