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17-3



東都水族館。
私達が到着したのは開館前だったが、ニュース効果もあってか、入口には既に入場待ちの待機列が出来上がっているほどだった。水族館よりもクローズアップされていた世界初の二輪式大観覧車は高さが100メートル級の巨大観覧車である。世界初なだけあって二輪式とは馴染みのない言葉だが、北側のノースホイールと南側のサウスホイールがそれぞれ逆向きに回っている、なんとも不思議な構造だ。普通にホイールがひとつあるより、単純に2倍の人数が乗れることになるのだろうが……変なの。まあ、ホイールをひとつ回転させるだけでも重量の問題で高い技術力が必要になるところを、輪っかがふたつともなれば設計した人間がいかに傑出した技術者であるかが分かるというものだけど。

「ナナシさんとお呼びしてもいいですか?」
「あ、はい」

テーブルを挟んで向かいに座った星村さんにそう尋ねられて、私は眺めていた観覧車から彼女に視線を戻した。運ばれてきた紅茶にミルクを入れる彼女の横に、拳銃の入った紙袋が鞄と一緒に無造作に置かれている。……度胸はあるな。敷地内にあるレストランはオープン直後なだけあってがらんとしており、私達以外に客は見られない。

「私のことも、下の名前で呼んでください」
「分かりました……類さん」
「ナナシさんは、普通の人ではないんですよね?」
「えっ」

星村さん……さっき軽く自己紹介をし直したのだが、下の名前を類さんというらしい……は、都内の一般企業に勤めるOLなのだそうだ。私も普通の会社に勤務するただの女ですと説明したばかりにも関わらず、そんな風に聞かれて言葉に詰まる。20年以上の努力でかなり一般に溶け込めているつもりだったんだけど……やはりどこか変なのだろうか。私の微妙な顔を見て、類さんは慌てたように手のひらを胸の前に出してひらひらとさせた。

「すみません、変な意味じゃないんです。どこから見ても普通の方なので、不思議で……」
「え、何がですか?」

こちらとしてはごく普通のOLさんに銃で脅されて水族館に連れてこられたことの方が不思議だ。怪訝に首を傾げる私に、彼女は何やら言い淀んで、横に置いていた鞄から緑色の手帳を取り出した。光沢のない、長年使い込まれたような質感のそれを捲って、挟まれていたものを抜き取る。こちらに見えるようにテーブルの中ほどに置かれたのは、1枚の写真だった。

「この人を知っていますか?」

覗き込んで見れば、穏やかな感じに笑う優しそうな男の人。知っているかと問われてじっとそこに写る姿を見つめる。若いが、私や彼女よりも少し年齢は上だろうか。記憶をたどってみても該当はない。どこかで見たかな、と思うには普通の人すぎて、記憶に留まりそうになかった。

「いえ、知らない人ですね……」
「……本当に!?本当に知らないんですか?」

私が首を横に振ると、類さんは立ち上がりそうな勢いで身を乗り出し、大きな声を上げた。思わず周囲を気にしてしまったが、店内には相変わらず客はおらず、端の方にいるウエイターさんがちらっとこちらを見たのが視界に入る。

「お、落ち着いてください……この人は?」
「…………」

私が慌てた顔をして宥めると、彼女ははっとしたように目を大きく見開いて、浮かせかけた腰をすとんと椅子に戻した。がくりとうなだれると肩に付かないくらいの黒髪がさらりと揺れる。

「私に聞きたいことって、もしかしてこの人のことですか?」

どうして、私に?そう尋ねると、類さんはゆっくりと顔を上げて、自らもまた写真に視線を落とした。その瞳は切なげな色を灯している。本当に全然知らない人だ。なぜ私が知っていると思ったのだろう。
彼女はしばらく男を見つめていたが、やがて意を決したように話し始めた。

「彼は以前私の会社に出入りしていた、電子機器を販売するメーカーの運送を担当している方で……半年前に自殺しました」

亡くなっていたのか。しかし、行方不明とかならともかく、既に死んだ人間を知っているかと聞いてくるということは。そうですか、としか言えない私に、彼女は写真から視線を移してこちらをじっと見つめてくる。

「……私はその自殺に疑問を持っていて……ある方が、自分の言うことを聞けば真相を教えると言ってきたんです」
「それってつまり、本当は自殺ではなかった……ということですか?」
「私はそう思っています……結婚の約束を、したばかりでしたから」
「なるほど……その真相を教えると言ってきた人は、あなたに何て?」
「……まず、あなたと仲が良い安室さんに近付いて、親密になるように言われました。それで、できるだけあなたのことを探るようにと」

やはり彼女は誰かに言われて動いていたようだ。そんな理由だとは思わなかったが。私と仲が良い、ということは、その人物の目的は私だったわけだ。安室さんが「今はあなたに会わない方がいいと思った」と言って即、私と距離を置く判断をしたのは正しかったといえる。

「安室さんとの関係を聞いてきたり、付き合ってるっていうのを私に言ってきたのは、反応を見るため?」
「い、いえ…………もし既にあなたと安室さんが恋人同士だったら、略奪のような真似はできないと思ったので……事前確認というか、」

類さんは気まずそうにそう言って目を伏せる。なるほど、探れと言われたはいいものの、真面目な彼女はわざわざ私に聞いてきたわけか。安室さんとどういう関係なのか、と。私を探るのが目的なら勿論そんなことをすべきではないが、他人の男かもしれないと分かっていてちょっかいをかけられるような人ではないのだろう。亡き恋人への思いを利用して、そのような女性を使う人物に腹立たしさは感じるが、なぜこの人を使う必要があったのか疑問ではある。





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