Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

16-26




階下の騒ぎが次第に近くなるのを聞きながら、私はただ立ち尽くしていた。
以前にも似たような状況はあった。その時も暗闇の中でこんな風に声をかけられて、別の人物と間違われたままうっかり秘密を知ってしまった。しかし、あの時とは決定的に違う部分がひとつある。

「しかもサツがいやがるじゃねぇか……理由を説明してもらおうか」

流暢な日本語だ。そして高圧的。もしや白髪かとも思ったが、じっくり見てみるとやはり銀色の髪をしている。その目は鋭く、冷え切っていて、普通の感覚の人間であればこの男が危険であると察知できるだろう。間近で見れば見るほどそう感じる。……そう、男と私は、互いの顔を見ながら向き合って立っているのだ。
いくら暗いからといって、あんな射撃が可能な人間が、この距離の相手の顔を判別できないということはあり得ない。確かに私はキャスケットをかぶっているし、黒ずくめだし、髪はまとめているのでいつもの姿ではないのだが……よほど男の知り合いに似ているのだろうか。それくらいしか、こうして声をかけられる理由が考えられない。まあ、だとしても先程の男の行動はおかしい。明らかに私の顔を見てから攻撃を仕掛けてきたし、それも本気ではなかったようですぐに止めた。……本当に、何だ?今思えば何かを確かめるような、そんな動きだったが……。

「……ジャケットは燃やしたんだろうな」

男の知る私に似た人物は無口な人なのだろうか。何も答えない私に、もう3度も言葉を投げかけてきている。ジャケット……何の話だ?何を言っている?いずれにせよこれ以上黙っているのはかなり苦しい。ここは頷いておくべきか。何のことかまったく分からないけど。何ていうか、警察の皆さん、早く来て。

「……てめぇ……まさか」

元から穏やかではない低い声に殺気が混じる。私は内心で物凄く焦っていたが、男から視線を外すことはしなかった。この男が私を誰かと勘違いしているのは間違いない。もし迷うような態度を見せれば即座に左手の拳銃で撃ち抜かれるだろう。私は瞬きを一回して、エスカレーターの方角を黙って指差す。懐中電灯の明かりはすぐそこまで迫ってきていた。男がそちらに顔を向けて、チッと舌打ちをする。

「例の件でしばらく騒がしくなりそうだからな……バラすなら証拠は残すな。今回の件は後で報告しろ。俺が納得の行くようにな……」

男は2階の様子を眺めながら一方的にそう言って、最後に私を一瞥した。踵を返した男の背を、今ならこの右手の銃で撃つことができる。が、やめておいた方が良いだろう。その後ろ姿に一切の隙はない。離れて行く男の背を見つめながら、少しだけ緊張の糸が緩んだ私の頬に汗が伝う。ラスボス感が半端ないが、あれでも親玉ではないらしい。組織の危険人物……世界中の悪意を凝縮したような雰囲気の男だ。あそこまで"それらしく"振る舞う人間はなかなかいない。しかし、銃を向けた私に普通に話しかけてきていたが、逆の立場だったら私なら一発くらい殴っている。だって味方のくせに発砲して人形をぶつけてきたんだぞ。怒らないわけがない。案外優しいのか。何なんだ。……だめだ、このところ複雑な事件に巻き込まれている私だが、今回は本当に意味が分からない。
私の視線の先で、暗がりの中に最後まで見えていた長い銀髪も、やがて闇に溶けるようにすっと消えていった。

ハンカチで銃を拭き、やってくる警察に見つからないように移動しながら考える。道の途中で、お借りした銃はまだひっくり返っている警備員風の男に返却した。
結局、刑事さんは現れなかった。流れからすると刑事さんがあの男を呼んだのだろうが、男は「妙な連絡寄越しやがって」と私に言ってきた。私と刑事さんは別に似ていない、というかまず性別が違う。いや、まあこの暗さで男女の判別はひょっとしたら不可能だったかもしれないが……知り合いならば目鼻立ちとか、身長で分かるだろう。もしかすると、あの男と刑事さんは会ったことがない、とか。それにしては親しげだったけれど。もし本当に会ったことがないのなら、どうやら同じ体術を体得している私と刑事さんを間違えたのも一応の説明は付く。……顔を合わせたことはないのに体術の特徴を知ってるって、どういう状況なんだ。それに男が言っていた言葉も気になる。

「ジャケット……」

何か犯罪に関する証拠品なのか、そんなものを処分したかどうかの確認なんて、やけに小さな話だ。他にはスラングで犯罪歴という意味もあるな。もっとディープなところで言えば、刑務所内の囚人のプロフィール。もう少しあの男や刑事さんのことが分かれば、踏み込めるかもしれない。しかし情報を得ようにも、その入手先は非常に限られる。

「ナナシさん!」

名前を呼ばれて振り向くと、フロアにいくつかあるうちの中央のエスカレーターから、安室さんが駆け上がってきたところだった。見れば3階はすでに複数の警察官が上がってきているようで、あちこちを捜索している様子が見える。安室さんは私の目の前までやってくると、大きく息を吐いて安堵の表情を浮かべた。

「よかった……探してもいないので、焦りました……」
「…………」

下りるように言ったのに何でまだ3階にいるんだとか、爆発に巻き込まれなかったかとか、色々と言ってくる唇を見つめる。もうすっかり組織のお兄さんはどこかに行ってしまったようだ。
刑事さんはともかく、組織のこととなると情報の入手先はこの男しかない。が、組織のお兄さんから聞き出すのに何を要求されるか分かったものではないし、それどころかこちらの情報だけとられてあとは手を出させてもらえない可能性すらある。……確かに彼からすれば、一般人に軽々しく関わって欲しくはないんだろう。けれど……自分が犯した不始末は、自分でケリをつけなければならない。怒られそうなことを考えながらじっと安室さんを見上げていると、ハッとした彼が私の両肩を掴んできた。

「ナナシさん、怪我でもしたんですか?見せて……」
「あっ!?ないです、全然大丈夫ですから!」

上着を脱がされそうになって慌てて両手を前に突き出す。怪我はないです、あなたに銃撃されそうになりましたけどね。
安室さんはそうですか、と言いつつもそのまま私の手首をしっかりと掴んだ。……ん?

「あの、ひとりで歩けます」
「…………」

そんなに心配をかけてしまっただろうか。大人しく手を引かれてエスカレーターから下の階へと下りる。近くを通る制服を着た他の警察官がまったく声をかけて来ないが、安室さんってこういう状況になった時にいつもどうしているんだろう。だって指示をしたくても誰も安室さんのことを知らないではないか。と思っていたら、彼らが持ち込んだ大型の照明器具に照らされて、1階のエントランス付近に見覚えのある男が立っているのが見えた。眼鏡を掛けていて、いつでもきりっと崩れない硬めの表情と特徴的な眉毛。そしてどことなく不機嫌そう。一般の人が想像する公安はこんな感じ、というのを体現しているような人だ。

「あれって確か……風見刑事?」

前に一度会ったことがある。そうか、こういった現場指揮は安室さんの代わりに彼がやるのか。安室さんは彼に話があるのだろう。そう思って立ち止まりかけたのだが、歩幅を緩めない彼に引っ張られるようにして風見刑事の前を通過する。あ、あれ?話さないの?

「後は任せたぞ」
「はい」

短いやり取りでふたりの会話は終了したようだ。安室さんに引っ張られながら、風見刑事と目が合った。

「え、え?お話ししなくていいんですか?」
「ええ、後で電話しますので」
「ちょ、あの……そんなに引っ張らないでください、……どこに行くんですか?」
「…………」

このまま行けば外に出る。私はここから帰る足がないのでタクシーでも呼んで……って、ちょっと待って。まさかこれ、安室さんの車に向かうつもりか。いや、今行ったらダメでしょう?何がダメって聞かれたら困るけど、車に乗って私の家に送ってくれてさようなら、の確率は限りなくゼロに近い。ということは行き先は一つしかないわけで。確かに話し合いが必要なのは同意する。同意するけど、いきなりすぎるというか、今はちょっと心の準備が……!

「……っ!!」

私は自分の足に思いきりブレーキをかけたが、まったく何も感じてなさそうな腕にグイグイと引っ張られて引きずられてしまう。この、怪力め。必死で踏ん張りながら、飼い主に反抗する犬よろしく無言の抵抗を続けていると、そんな私達のそばを数人の男達が通り過ぎていった。横目で見れば、制服姿の警官に囲まれているひとりの男。それは警備員服姿でもなく、貧相な感じの特徴のない男だった。恐らくは1階に紐で繋がれていたので、保護されるのだろう。男もなぜこんなことになっているのか分かっていない様子だ。こ、これだ。これしかない。私は掴まれていない方の手を素早く挙げ、その集団に向かって「そ、その人、私がやりました!!」と自首する羽目になった。これでひとまず、暴行の容疑がかかった私はこのまま安室さんと一緒に消えるわけにはいかなくなる。

……チッ。

斜め上から聞こえてきた舌打ちが、私を恐怖に陥れた。




Modoru Main Susumu