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16-25




敵だと思っていた人間が敵に発砲した。逆に味方だと思っていた人間が発砲してきた。その場の空気は急激に混迷し、懐疑心を生む。真実を知るのは私だけ。ほんの僅かな瞬間この空間を支配する。私は機を逃すことなく、銃を紳士服の店から反対側へと向けた。次に狙うのは安室さんのほうだ。こう暗いと一般的に精密な射撃は難しいが、当てる気はないからアライメントを取る必要もない。もっと言えば、そもそも発砲しなくても良いのだ。隠れている表示板からわざと銃を覗かせて、ぐるりと大袈裟に照準を彼に変える動きをすれば。こちらを注視していた安室さんが弾かれたように走り出す。……私に向かって。

「……えっ」

思わず声が出てしまった。いや、そうくるとは思わなかった。退路を自ら確保してエスカレーター側にいたのだから、銃を向けたらそのまま下に逃げてくれると思っていたのだ。まったく血の気の多い男である。焦った私は仕方なく表示板から離れ、距離を取りつつ銃を構え直す。撃たれないとしても接近されたらアウトだ。すると今度は別の方角から、私がさっきまでいた表示板に向かって弾が飛んできた。私の銃撃で一旦はテナント脇の通路に引っ込んでいた男だ。急に動いた安室さんを牽制するためだろう。安室さんは表示板に到達する前に足を止めて、男の銃の軌道からの死角……テナントとテナントの間の壁に体を寄せる。私からは安室さんが見えるが、男からは見えない位置だ。そして安室さんは顔を覗かせれば男を狙えるが、それをすると無防備な体勢を私に晒すことになるのでできない。逆に私の場所からは通路付近にいる男を狙えず、撃つために前に出れば安室さんに狙われてしまう。三竦み状態になってしまった。だが、まあ組織の危険人物と安室さんを対面させないという当初の目的は一応達成した。問題はここからどうするかだが……。残弾は11発。おそらく3人の中で一番少ない。

「………」

照明もない中、安室さんがジッとこちらを見ているのが分かった。この距離でバレる心配はないはずだが、勘付かれたのではとドキドキしてしまう。何せ平気で人の行動を先読みしてくる男だ。さっき安室さんが下に降りてくれたら、組織の男に適当に全弾撃ち込んで自分も一目散に逃げようと思っていたのに、番狂わせもいいところである。むしろそういう能力があるからこそ簡単に思い通りにはならないのかもしれないけど。彼が呼んだという応援が到着するまで、ここで竦んでいるしかないのだろうか。……まあ、退路は確保しておいた方が良さそうだ。私がキャスケットをそっとかぶり直して、僅かに後ずさりした、その時。
ズシン、重い衝撃音がフロア全体を揺るがして、大量のガラスが割れるような破砕音が離れた場所から聞こえてきた。

「っ!?」

野外でもないのにぶわりと強風がやってきて、よろめいて床に膝をつく。帽子が飛ばされないよう手で押さえながら、体を前に倒して片目を開け周囲を窺った。爆風だ。風と音がやってきたのは後方から。階段の仕掛けとやらが爆発したんだろうか。この直線距離でこの風圧なら爆薬の量はそう多くない。時限式だったのか、誰かが起爆させてしまったのかは分からないが。
そしてタイミングが良いと言うべきか。伏せながら見上げる広い天井に、無数の円状の光がぼやりと現れ、私はハッとした。下の階から照らしているであろうそれは何かを探すように上下左右にゆっくり動いている。そうしてできた光の道筋に、爆風で舞っている無数の塵が見えた。何事かを叫びながらこちらに近付いてくるのは安室さんが呼んだという応援だろう。結構な人数がいる。随分と早いが、そうか、ここに到着して私と一旦離れている間に呼んだわけではなかったのか。あの駐車場で既に呼んでいたのだ。恐らく出動要請だけしておいて、場所や状況はここに到着してから告げたに違いない。警察庁の公安である彼の名を名乗る人物が現れたというのは、もう彼だけの問題でもなくなるのだろうな。あの時はまるで我を忘れたかのように怒っていたのに、さすがと言うべきかやることは冷静である。

さあ、警察の皆さんがここに到着する前に、組織の男を撃退しなければならない。しかし、私が起き上がって銃を構えるより先に、安室さんが猛スピードでこちらに走ってきた。ま、まずい。そんなにすぐに起き上がれない。勢いよく床を蹴る振動が伝わってくるかのようだ。大股だった歩幅は次第に狭くなって、止まろうとしているのが分かる。私は床に肘をついて上半身を起こした半端な状態で、ぎょっとして思わず硬直した。だが、襲撃されると思って頭を再び低くした私のすぐ側を、彼は脇目も振らず走り抜けて行く。え、無視された?歩幅を狭めたのはフェイクか。
走り去る安室さんに向かって、別方向からの銃弾が浴びせられる。それらに捕まることなく、彼は素早くエスカレーターの手すりを左手でガシリと掴むと、そこを軸に左脚を振り上げてから反対の脚で踏み切り、難なく飛び越えて下の階に一気に駆け下りて行った。じ、迅速だ。ようやく体を起こした私の視界に、そんな安室さんの背を狙うかのように銃口を向ける男の姿。爆発に気を取られている間に移動してきたのか、さっきよりも距離が近い。くそ、触れさせるか。注意をこちらに向けさせるように、私は立ち上がってから男のすぐ側に銃弾を撃ち込む。男が怯んだ一瞬の隙に安室さんは見えなくなった。よかった、って人のことを気にしている場合ではない。次は私の番だ。警察も来てしまったことだし、引いてくれることを願うが。下層からの懐中電灯の明かりが時折通過して、こちらに顔を向けた男の相貌を浮かび上がらせる。

「……!?」

その姿を見て、私は驚きに目を見開いた。別に知り合いだったとかそういうわけではない。あんな射撃をする組織の危険人物というから、海兵隊にいるような腕っ節の強い凄腕ガンマンのような出で立ちの人物を勝手に想像していたのだ。黒い服、黒い帽子に、長い銀色の髪。離れた位置からでも分かる、前髪に見え隠れする氷のような双眸。なるほど、危険ってそっちか……と納得する。さらに驚いたのはその行動。男は発砲した私を見たあと、銃を向けることなくこちらにやってきた。近付いてくるにつれて背の高い男だと分かる。……え?なんか普通にこっちに歩いてきたぞ?戸惑う私に、男が勢いよく手を伸ばしてくる。

「!!」

一体なんだ、そう思っても捕まるわけにはいかない。伸ばされたのは男の右腕だ。その左手は銃を持ったまま。私も銃を右手に持っているがさすがに撃つことはできないので、払いのけるつもりで左手の甲を前に突き出す。おそらく帽子を剥ごうとしていた腕をするりとかわすと、今度は体を内側に入り込ませるようにして傾けてきたので、半歩下がって銃を持つ右手で制した。細身だがあれほどの射撃の腕だ。体幹も一般の男と比べない方が良いだろう。つまり細長いからといって油断するとまずい。わざと体重を掛けてくるような男の動きに、拒絶の意を表すように一瞬力を込めたあと、受け流すべくさっき下げた方とは反対の足を一歩下げる。そして右手の力を抜いた。が、普通なら急に力を抜かれてバランスを崩すはずが、男はぴくりとも動かない。感情の読み取れないふたつの目が、私をじっと見下ろしていた。

「…………」
「…………」

焦りを顔に出すことはしなかったものの、男ならば隙ができたことは容易に気付いただろう。だが、そこからどうするでもなく、男は私からあっさりと体を離した。私も男も帽子をかぶっているが、こうも近付けばお互いの顔は嫌でも認識する。男を狙ったり、安室さんに銃を向けたりと、先ほどまで意味不明な行動をしていた私を見て、てっきり何者だ、とでも言うと思ったのに。

「おいてめえ、何のつもりだ?妙な連絡寄越しやがって……」

その男は私に向かって忌々しげに舌打ちをしながら、そんなことを言った。




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