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問題児


彼はこの面談を了承するにあたって、ある条件を出している。それは、今まで一度も日本の官公庁及び一般企業に関与したことのない相談員の手配だった。それは徹底していて、産業カウンセラーのように会社に詰めている者ばかりではなく、官公庁、企業に勤める人間に接触したことのある相談員も不可であった。普通に仕事としてカウンセラーなどをしていたら、確実に接触する。つまり、プロは連れてくるな……そういう要求だったのだ。理由は分からない。

「ミョウジ先生のことを聞いてもいいですか?」
「……ええ、構いませんよ」

そのようなわけで、私のプロフィールについては彼自身の厳しいチェックが入っているだろう。それなのにそんなことを言い出したので内心で首を傾げる。子供以外に先生と呼ばれるのは何だかくすぐったい感じがした。

「先生の経歴は拝見させていただきました。ずっとこの辺りに住んでいると書かれていましたが……ご両親は日本にいらっしゃらないとか」
「はい、仕事の都合でなかなかこちらには来られなくて。小さい頃から叔母の世話になっていました」
「…………」

なぜ、両親の話を?と降谷さんを見る。その青い瞳は彼が着席した時からずっと私を見つめていた。あまり相手を見つめすぎて威圧することになってもいけないからと、私の方は適度に視線を外しているのだが、彼はというと本当にじーっとこちらを見ていて、これじゃ私がプレッシャーである。女性の相談員を前にした男性が急に雰囲気を変える理由としてあるのは「好みのタイプだった」というのだろうが、今回は当てはまらない。彼は事前に私のことを写真で見て知っていたはずだからだ。

「……旅行は好きですか?」
「え?」

唐突すぎるその質問に面食らう。な、なぜ旅行?もしかして彼の上司から私が最近旅行に行ったことを聞いた、とかだろうか。けど答えにくいことでもないので頷いて返事をする。最近はなかなか遠出もできていなかったが、旅行自体は好きだ。ひょっとして降谷さんなりに私と打ち解けようとしてくれているのだろうか。彼にその気がないなら仕方なしと思っていたが、そうじゃないならこれを逃す手はない。

「観光地もいいですけど、田舎に行くのもいいなぁって最近思ったんです。この季節だとタラの芽の天ぷらとかが美味しいですね」
「ああ……スーパーで売られているものは品種改良されたものが多いですからね。自生しているタラの芽は香りが違います。見分けるには慣れが必要ですが」
「え?降谷さん、山菜に詳しいんですか?」
「……子供の頃に山遊びをしていたので、そこそこは」

降谷さんと山菜が結びつかなかったけれど、住まいが田舎のほうだったのかな。そこで今日初めて見えた彼の感情らしい感情は、昔を懐かしむような、どこか寂しげなそれだった。望郷の念というやつか。ずっと死と隣り合わせの危険な任に就いていた彼も、ふと故郷に想いを馳せることがあるのだろうか。

「でも、それで山菜に興味を持つなんてすごいですね」
「……あるひとがとても美味しいと力説するので、自分で探してみたくなったんです。スーパーには売っていないし……近くに山もなかったので、まずそこから探しましたけど」
「や、山から?行動力があったんですね……」

山を探しに行くって、子供の探究心はすごい。今でこそタラの芽もスーパーで売られるようになったけど、以前は場所によってはあまり出回っていなかったに違いない。
降谷さんはずっと私を見ている。そういう癖なんだろうか。それとも、そうして反応を窺っているのかも。穏やかで、話しやすい人だ。おまけにかっこよすぎて、仕事じゃなかったら私はずっとドキドキしていたと思う。とても犯罪組織に潜り込んでいた人には思えない。色々な顔を使い分けていたというから、これが彼の本性かどうかはかなり怪しいけれど。

「先生は……」

降谷さんの言葉を遮るように、ブーブーとバイブらしき音が鳴り響いた。私は電源を落としているので降谷さんのものだ。職務上携帯の類は手放せず、呼び出されたら行かなければならない場合もあることは事前に聞いている。ポケットからスマホを取り出し、画面を見た降谷さんは、鳴っているそれに出ることなく再びポケットにしまった。綺麗に整った眉を下げ、申し訳なさそうな顔をする。

「所用が出来てしまいました……すみませんが、今日はこれで失礼します」
「わかりました。……出なくて大丈夫ですか?私はすぐ出て行きますが、」

おそらく人前で出られないような相手からの電話なのだろう。早く対応したいだろうと思い、簡潔に返事をして腰を浮かせればハッとした降谷さんの腕が伸びてくる。すっぽりと私の手を包み込むくらい大きな彼の手に引き留められ、私は中途半端な体勢で動きを止めた。とても温かい、男の人の手にぎゅっと握られて思わずどきりとしてしまう。

「先生……次はいつ会えますか?」

座ったまま身を乗り出すようにして、降谷さんが私を見上げた。スマホは鳴り続けている。

「あ……次回の予定はまた改めて決めさせていただこうと思っていたので……できる限り降谷さんに合わせます」
「分かりました……もし、ご迷惑でなければこれを受け取っていただけませんか?」

そう言って降谷さんがスーツの内ポケットから取り出したのは、今鳴っているのとは別の黒いスマートフォンだった。不思議に思い彼を見ると、降谷さんの連絡先が入っているのだという。

「僕はここに来ない日の方が多いので……職員を間に挟むとなかなか連絡が取れない可能性があります。先生の個人的なメールアドレスを聞くわけにはいきませんから」
「え、でも……いいんですか?お仕事用なんじゃ」

傷ひとつない、新しい機種だ。既に降谷さんの連絡先が登録されているということは、他に使う目的があって携帯していたのだろう。戸惑う私の手を掴んだまま、降谷さんは「たくさん持っているので大丈夫です」と笑った。その間も彼のスマホは振動している。ここで長々とやりとりをするのも気が引けて、私はありがたくそれを受け取ることにした。

「僕の方からその端末にご連絡させていただきますね」
「はい、ありがとうございます」
「では、また。……あ、僕が出て行くので先生は座ってください」
「は、はい」

長くて骨太な指できゅっと握られ、座るように促されて慌てて腰を下ろす。それを見届けてから、降谷さんは私の手を解放して退室していった。
グレーのスーツがドアの向こうに見えなくなってから、私は呆然としてテーブルの上の黒いスマホに視線を落とす。……な、なんだろう。すごくドキドキしてしまった。もちろん見た目がとてもかっこいいので女として惹かれるというのもあるけど、そうではなく、なんだか……勘違いさせるような素振りだったからだ。一般的に、カウンセラーとその患者が恋愛関係になることはタブー視されているが、信頼関係を築いていく上で好意を持たれやすいのは確かである。でも、今日は初回。……あの態度は一体。

「……先生かぁ」

相手は人を欺くプロだ……初めて会った私にそう簡単に胸の内を見せるとは思えない。これは、何かある。
握られていた自分の手を見つめて、私は落ち着かない鼓動をいつまでも感じていた。



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