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問題児


ドアが三回ノックされた。
どうぞ、と答えると、失礼しますという低い声とともに人が入室してくる。依頼主に「彼」と呼ばれていたから男性だということは知っていた。
警察庁警備局警備企画課。その名前だけ聞くと馴染みがないようだが、警察組織に詳しくない人間でも「公安」だと言われればピンとくるだろう。ただしテレビドラマのように危険を冒してどこかに潜入したり、組織内の仲間を監視したりなどということはない。なぜなら警察庁に属するこの部署は全国の公安警察を取りまとめ、指示を出すのが主な仕事だからだ。……けど、私が知らないだけで例外があったらしい。

私はテーブルに近付いてきた人物を見つめた。仕事モードの時の自分は基本的に何事にも動じない自信があったのだが、内心は結構緊張している。警察組織の上部に在籍しながら、異例中の異例でとある世界規模の犯罪組織に自ら潜り込みスパイ活動をしていた男……それが目の前にいるのだ。まあその情報は事前に依頼主からふわっと聞いていたので良いとして、予想外だったのが男の外見である。男は長身で浅黒い肌に地毛と思われる金色の髪、青い目で、私が想像していた警察庁のエリートの人物像とはまるでかけ離れていた。グレーのスーツを着てビシッとしているが、少しタレ目なのも手伝って甘いマスクの超イケメンである。モデルですと言われても疑いはしないだろう。何というか、無駄にかっこいい。警察官がそんなにかっこいい必要ってある?と思うくらいかっこよかった。純日本人ではなさそうに見えるが、警察官だから国籍は日本なのだろう。とても警察庁に所属するエリートには見えない。神経質そうなインテリメガネが来るぞ……と勝手に思い込んでいた私は出鼻を挫かれてしまった。

「初めまして、ミョウジナナシです。降谷零さんですね?どうぞお掛けください」

つとめて緊張を見せないように、私は笑顔を作った。
事前に渡されていた資料には本人の大まかな経歴や組織で活動していた時の簡単な犯罪行為略歴が記されており、目を通すのに三時間かかった。読む量がたくさんだったわけではなく、あまりにあれだったので少し読んでは挫折を繰り返していたのである。
確かに、これじゃ存在を大っぴらにできないな……というような悪行の数々が頭を過ぎる。本当に、この人が?と思うようなことがたくさん書いてあった。たとえきょう目の前に現れたのがインテリメガネだったとしても、本当に、この人が?って思っただろうけど。
降谷零。それが彼の名前だ。名前も印刷物に残せないため当日まで秘密、写真ももちろんないという状態だったため、さっき警察庁内で手続きをしてようやく名前を教えてもらったのだ。

「…………」

椅子を勧めたのに、彼はテーブルの前に突っ立ったまま動かない。ずっとこの手の面談を拒んできたらしいので、元から抵抗があるんだろう。もちろん彼も仕事だから仕方なく悪事に手を染めたのであって、根底は正義感溢れる警察官だ。それも警察庁にまで上り詰めるほどの。それを壊れているかもしれないからカウンセリングだなんて、本人が嫌がるのも多少は分かる。カウンセリングは今日一回のみで終わるわけではないので、単純に時間を割くことが難しいという事情もありそうだ。だとしたら今日、詰め込みすぎて余計に滅入らせるのは良くない。今回はさっと終わらせて、彼が次回足を運びやすいようにする方がいいだろう。そう思っていつまでも座らない彼の顔を見上げる。すると何故か、彼の目は私を見たまま驚きに見開かれていた。

「降谷さん?どうかされましたか?」
「……いえ、……初めまして」

はっと我に返った様子の降谷さんは私の斜め向かいに一脚だけ置かれていた椅子を引く。低くて落ち着いた、優しげな声だ。表情では分からなかったけれど、少し戸惑っているようにも聞こえた。座ってもやっぱり大きい。
とりあえず席についてくれたことにほっとして改めて名前を名乗る。彼がじいっと私を見つめてきた。……彼は別に何か問題があってこうしてカウンセリングを受けさせられているわけではない。きっと早く終わらせてほしいのだろう。私はテーブルに置いたブルーのファイルから一枚の紙を取り出す。

「では、始めさせていただきますね。事前に書いていただいたシートでは、特に問題はないと書かれていますが……」

心の状態をチェック方式で記入してもらうシートだ。気分が落ち込んだりすることがあるか。夜に眠れないことはあるか。将来に希望を持てないと思っているか。それを「まったくない」「まれに」「時々」「いつも」から選んでもらう。一般的な内容で、さすがに潜入していたことにいきなり触れる項目はない。もちろんこれで本当に本人の状態を確認するというのもあるが、話の取っ掛かりというやつだ。
事前に彼に記入してもらったシートは全て「まったくない」にチェックが付けられていた。……ほっといてくれ。そんな彼の声が聞こえる。こういう人に対しては時間をかけて信頼関係を築き、本音を引き出すことが必要になるが、時間的な制約もありなかなか難しいだろう。「何も問題がない」と言い張るのを無理に引き留めることはできないし。手強いなぁと思っていると、降谷さんは私が持つ紙を見て「あ」と声を上げた。

「実はそれ、適当に書いてしまって……」
「え?そうなんですか?」
「ええ、それを書いた時はちょっと急いでいたものですから……申し訳ありません」
「…………」
「もう一枚、紙をいただけますか?」
「はい、大丈夫ですよ。では、こちらを」

ファイルから抜き取った新しい用紙を降谷さんに手渡す。後で提出しますね、そう言って彼は少しだけ笑った。……急に雰囲気が変わった。彼がこのやりとりを必要ないと考えていて、さっさと終わらせるためにシートを「まったくない」で記入したのは間違いない。それなのに記入し直す……?それか私の思い違いで、本当に時間がなくて適当に記入したのだろうか。後で提出するということは次回も来るということだ。



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