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過去に繋がる電話


『……おまえ、もしかして迷子なのか?』
「迷子……っていうのとはちょっと違うような……旅館の人が見当たらなくて困ってるの」
『よく分からないけど……その旅館のまわりに家はないの?そこで聞けば』
「あっ……そっか、そうだよね」

当たり前といえば当たり前のご意見に、私は三回くらい頷いてしまった。ずっとぶっきらぼうな口調だが、いきなり公衆電話にかかってきた電話を受け、意味の分からないことを喋る大人の言葉を聞いて真面目に考えてくれた。なんていい子なんだ。でも見ようによっては私が電話ボックスに子供を呼び寄せたように見えるだろうし、事案になったらまずいからそろそろ切らないと。

「ごめんね、やっぱり私間違えてかけちゃったみたいで……本当に助かったよ。ありがとう、えっと……名前を教えてもらってもいいかな?」
『……零』
「れいくん、ありがとう」
『…………』

名前を聞くかどうかは迷ったけれど、お互いに名乗っておけば名前も知らない他人ではなくなるし、まずは事案回避では?と思ったのでそうした。おそらく呆れて黙ってしまった「れいくん」にじゃあねと言って、受話器を戻す。子供に呆れられちゃったよ……でもまさか公衆電話にかかっちゃうなんて思いもよらなかったから……。
結局あとから女将さんがやってきて、近所の家に聞きに行くことはしないで済んだ。夕食に出すために裏山に山菜を取りに行っていたらしい。電話のことは私が番号を押し間違えた可能性もあったので、ひとまずは黙っていることにした。

しかしこの不思議な体験を、私は村に滞在中に幾度となくすることになる。本当に奇妙なことに、電話をかけるとあの公衆電話に繋がってしまうのだ。それは電波の辛うじて入る私のスマホからかけても同じだった。番号をちゃんと電話帳から呼び出しているにも関わらず、だ。そして決まって、電話に出る相手はあの「れいくん」だった。
「れいくん」とは色々な話をした。私がこの村に来たのは抱えていた仕事が終わり、少しはゆっくりしろと言われて仕事用の端末を取り上げられてしまったからなのだけれど。この場所を選んだのは私ではなく、「急に休めって言われてもどこに行けばいいか分からない」とぐだぐだ愚痴をこぼす私の代わりに宿を予約してくれた友人である。こんなオカルト旅館、いや、オカルト村だとは聞いていなかったので、戻ったら色々と吐かせよう。

まあ、でも、何もないところで退屈すると思っていたのが、私の旅はわりと充実していた。早朝に自然と目が覚め、視界に映える新緑の道をひとりでのんびり散策する。戻ったらお風呂に入って、用意された朝ごはんを食べる。山うどの煮物やわらびの炊き込みご飯は斬新な料理でも高級な料理でもないけど、遠い昔にお婆ちゃんの家で食べたような、懐かしくて素朴な味がした。お昼は地元の方が寄り集まる広場に連れて行ってもらい、どさくさに紛れて網焼きのホタテやはまぐりをいただいてしまったり、夜は夜でタラの芽やキスの天ぷらが出てきて食べすぎて胃がやられてしまった。なんと食べることと横になることと散歩しかしていない。そしてその私のしょうもない出来事をれいくんに話すというのがここでの私のサイクルだ。

……本当は次の仕事のことで先方に連絡をしたかったのだが、どうやっても電話はれいくんに繋がってしまうので途中から諦めた。これ、一体どういう原理でれいくんが必ず出るようになってるの?れいくんもちょっと迷惑そうに電話に出るんだけど、切るときは寂しそうなのがとてもかわいい。これがツンデレにときめく人の感情か……わかる。
食べ過ぎて動けない、このままでは旅が終わる頃には2キロくらい増えているかもしれない……そんなことを嘆いたら、れいくんは呆れたように「食べてそんなにすぐ太るわけないだろ」と言った。きみのように弾丸のごとく動き回れて成長過程にあり、常にエネルギーを燃焼している子供はまだ知らないだけさ。なんか食べ過ぎたな、と思った翌日に体重計に乗ったら余裕で増量しており、その後も居座ったまま元に戻る姿勢すら見せなくなる憎き脂肪達の存在を。
子供が相手だと、自然と話題は限定的になる。仕事のことや、恋愛や結婚の話題。そういった常に身近にあったはずの私を縛る物事のことを何も考えず、きょうこんなことがあったよ、なんて言葉を交わすのは随分と久しぶりだった。れいくん、あのね。そうやって切り出す私に、ぶっきらぼうに「……何?」と返してくれる。心に灯がともるような、穏やかなやりとり。旅が終わりを迎える頃には、私はすっかり電話が好きになっていた。




降り立った駅のホームで、私は一歩踏み出そうとした足をとめてはっと息をのんだ。
鞄に入れていたスマホが着信を知らせている。電話が鳴る……それは一週間ぶりのこと。
私は米花町へと戻ってきていた。

『やあ、電話が繋がらなかったけどどこにいたんだ?』
「ごめんなさい。ちょっと旅行してたんです。電波が届かないところで……もしかして何度もお電話いただきましたか?」
『いや、大丈夫だよ。ゆっくりできたか?』
「はい、とてもいいところでした」

それは連絡を取らないといけないと思っていた知り合いの男性だった。昔何度か仕事を頼まれたことがあり、今決まっている次の仕事も彼からの依頼だ。昔はそこそこやんちゃ風の出で立ちだった男も、年を重ねてだいぶ落ち着いた雰囲気を纏うようになり、電話で話すときは何だかこっちが緊張してしまう。もう少し仲が良ければそんなこともなかったんだろうけど……今は警察庁のお偉いさんなのだ。事前にもらっていた資料の内容を思い出しながら、私は改札を通る。

「例の件、本当に私でいいんですか?私は専門家じゃないですし、プロに頼んだ方が……」
『前にも言ったが、彼のことは大っぴらにどこかに依頼できなくてね……君にしか頼めないんだ。引き受けてくれるな?』
「……わかりました。精一杯やらせていただきます」
『ありがとう。詳細は今度打ち合わせよう。私の予定を秘書にメールさせるから、空いている日を連絡してくれ』

はい、分かりました。
通話を終了させて、私は小さく息を吐いた。

警察庁警備局某課に属する、とある係。所謂全国の公安警察のトップだ。今回私が「見て」ほしいと依頼を受けたのは、その係に所属し、一年前まで反社会的組織に潜入してスパイ活動を行なっていた警察官。他にも調査のために探偵として活動するなど、同時に複数の顔を持っていた諜報活動のプロ……公安のエリートである。長い潜入捜査を余儀なくされた人間にはカウンセリングやその後通常任務に戻るためのサポートが必要となるが、その人物はずっと拒んでいたらしい。警察庁内でも特殊な存在のため、上層部であってもなかなか口を出すことができないのだとか。それで今回動くことになったのが、私に仕事を依頼してきた男性だ。その公安の人物は彼に恩があるため、しぶしぶ条件付きで首を縦に振った、ということのようだが……。
公安という所属だからなのか、名前は資料に書かれていなかった。初回に知らされることになるんだろう。それにしても、警察庁に通うなんて緊張するなぁ。もしかしたらその公安のエリートさんのご機嫌を損ねて一回きりで終わる可能性もあるけど。

背後でドアが閉まる音がして、電車がホームから出て行く。ガタン、ゴトン、遠ざかって行く音を聞きながら、私は手の中のスマホを握り締めた。
新しい仕事が始まる前の緊張感と少しの不安、さらにもっと控え目な僅かな期待感を胸に。




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