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過去に繋がる電話

五月。
苔むした石畳の階段が空に向かって続いている。
両脇に自生した若い木々がトンネルのように段差の道を囲い、風に揺られて絶えずさわさわと細い枝を揺らした。
緑の間から漏れるキラキラとした日差しがいやにまぶたの裏に灼きつくのは空気が澄みきっているせいだろう。前日に雨が降ったためか、濃い萌芽の気配が立ち込める。どこかひやりとした空気が心地良く、先程まで眠りこけていてぼんやりとしていた頭をすっきりと覚醒させてくれた。階段の天辺の澄んだ青色に吸い寄せられるように、石畳を踏みしめる。
上までのぼりきると少し開けた場所に出た。

「あら、ひょっとしてさっきの電車で来たの。若い人には退屈じゃないかい」

声を掛けてきたのは、木製の頑丈そうなベンチに腰掛けたおばあさんだった。その他には水飲み場がひとつ。地面は舗装されておらず土がむき出しになり、ところどころに木の根が這っている。何も持たずにいるところからして地元の方なんだろう。湿っぽい茶色の土の上をつまずかないように歩きながら、私はおばあさんに近寄った。

「すごく素敵なところですね。懐かしい感じがします」
「昔はけっこう人が来ていたんだけどねぇ、やっぱり目立ったものがないとだめね」

無人駅から見える石畳の階段をのぼって広場を突っ切った先に、この村唯一の旅館がある。会社や工業地帯があるわけでもなく、めぼしい観光スポットもない村でそれでも宿泊施設が存続しているのは奇跡とも言えるだろう。そもそも何故旅館が建ったかといえば、おばあさんが言った「昔は人が来ていた」からだ。この場所を勧めてきた友人の受け売りだが。昔は人が来ていた理由は確か、

「ふふ、でもね、この三日でもう四人も来ているのよ。あなたで五人め。すごいわねぇ」
「そうなんですか?賑やかになるのはいいですね」

おばあさんが明るい声を上げたので、私は思考を中断させてにこりと笑った。小さな村だ。ひとりの旅行者でも村人の間では話題になるに違いない。一ヶ月の来訪者がゼロということもあるそうだから、この三日で私を含めて五人とは誰だって驚くだろう。ところがおばあさんは嬉しそうにしたあと、皺だらけの手を頬に当てて首を傾げ始めた。

「……あら?四人が来たのはもっとずっと前だったかしら……」
「?その四人は一緒に来たんですか?」
「いいえ、バラバラよ。……そうね、おかしいわねぇ、なんだか一緒に来たような気がしたのよ」

わたしもボケたかねぇ、そう言っておばあさんは大きな口を開けて笑った。一緒になって笑ってから、よいしょ、と立ち上がった彼女の背を私は見送る。

「さてと、ぼーっとしてないで行くとしようかね。呼び止めてごめんね」
「いえ」

お話ししてくださってありがとうございます。そう言うとおばあさんは「良い子だねぇ……ウチの孫もこうだったら……」とひとしきり感心してから、年齢を感じさせない軽い足取りで石畳の階段を降りていく。強めの風が吹いてきて、ざわざわと木々が音を立てた。



到着した旅館はちょっと都内では考えられないくらいの広い建物だった。昔風の、というより古民家、いや、お屋敷。旅館前に立てられた看板の名前が正しいことを確認して、重厚感のある門をくぐる。玄関が開いていたのでそっと格子の引き戸に手をかけて、「ごめんください」と中に声を掛けた。……宿泊客なのでごめんくださいはおかしかったかな。民家の構造をしているだけあって、内部に照明の類はひとつもないのに、日当たりがよくとても明るい。中はそのまま古いのかと思えば綺麗に改装されている。しかし天井の太くて無骨な梁などはそのまま利用されており、昔ながらの家の温かな味わいを大事にしているのが伝わってきた。入口が開いていたので誰もいないことはないはずだが、旅館はシン、と静まり返っている。

「……あがっても大丈夫かな」

見ればフロントのものと思われる帳簿が奥の座敷に置かれていた。ずっと玄関先で突っ立っているわけにもいかないし、とりあえずは荷物だけでも置かせてもらおう。キャリーバッグは先に送っているので大した荷物でもないけど。靴を脱いで上がると、足元がキュっと軋むように鳴る。

「わ、」

驚いて引っ込めた足が再び廊下の板を踏んで、また同じ音がした。……なんかこういうの、何かの授業で習ったかも。確か昔の屋敷で外からの侵入者をすぐに察知するために踏むと音が鳴るつくりにしていたとか、なんとか。なるほど、これならフロントに常時人がいなくてもお客さんが来たのがわかる仕組みだ。

「…………」

しかし、納得した私の前に女将さんや中居さんは一向に現れない。おかしいな、そう思ってそろそろと奥の座敷に近付くと、カウンター代わりとみられる低い木のテーブルに電話が置かれていた。ご用の方はこちらまで、と書かれた紙に電話番号もある。なんだ、電話を掛ければよかったのか。ほっとした私は一旦荷物を畳に下ろして受話器を持ち上げる。よくあるタイプの固定電話だ。自分のスマホを使っても良かったのだが、この村に入ってからたびたび圏外になっているのでこちらの方が良いだろう。書かれている番号をプッシュして、呼び出し音を聞く。何回コールしただろうか、留守なのかなぁと心配したところで相手が受話器を上げた音がした。

『…………』
「もしもし?」

相手が何も言わなかったので、こちらから声をかける。しかしそれでも電話の向こうの人物はだんまりだった。

「あのー、今日泊まるミョウジですが」

おかしいと思いつつも自分の名を告げた。もしかして番号をかけ間違った?それとも、あちらの声が何らかのトラブルで聞こえていないとか。名乗ってもやはり相手は無言だったので、私は困ってうーんと天井を仰ぐ。するとようやく声が聞こえてきた。

『……誰だよ、おまえ』
「え!?」

つっけんどんな言い方。声の幼い感じや言い回しからして、これは子供だ。男の子。それで私はほっとする。きっと旅館で働いている誰かの子供がそこにいて、電話を取ってしまったんだろう、と。周りにいる大人が気付けば良いけど。いや、この子に言って大人にかわってもらう方が早いかも。

「今日この旅館に泊まる予定なんだけど……えーっと、ここの子かな?誰か大人のひとに代わってくれない?」
『何言ってるんだ?大人なんていないよ』
「?あの、私いま……ひらさか旅館っていうところからかけてるんだけど、ボクはどこにいるの?」
『……電話ボックスだけど?』
「え……?これ電話ボックスと繋がってるの?な、何で?」

私は驚いて目の前にある「ご用の方はこちらまで」と書かれた紙を見た。公衆電話にも番号はもちろんある。ので、電話をすることは可能だ。けれど今は悪戯が多いとかで番号を公開していないはずだし、旅館からかけた先が電話ボックスだなんておかしい。この村は特殊で、そういう運用をしているとか……?全国の公衆電話にどんな番号が割り振られているか知識がないので、番号を見ただけでこれは公衆電話だという判別は不可能だが、電話の向こうの男の子が嘘を付いているようにも思えないし……。もし公共の電話ボックスにかかってしまっているのだとしたら、ここで大人に代わってもらうのは危険だ。子供を誑かしたとか言われて、下手をすれば警察沙汰になってしまう。というか、何で電話ボックス。悩みに悩んでいると、受話器の向こうの声が訝しむように問い掛けてくる。



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