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sphenos


「いらっしゃいませ!」
「こんにちは」

出迎えてくれたのは若い女性の店員さん。
この前のところは隠れ家的なカフェだったけれど、ここは本当に近所にある喫茶店という雰囲気だ。特別内装に凝っているわけではないが、個人の店にありがちな雑然とした感じはなく、隅々まで清掃が行き届いている。

「一名様ですね」
「あ、待ち合わせをしているんです。すぐに来ると思うので待っていても大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。お水と、それからメニューもどうぞ」
「ありがとうございます」

案内されたのは窓際の座席。平日の午後三時前は混む時間帯ではないようで、店内の客は私ひとりだった。
トースト、ハムサンドなどの軽食からオムライスやクリームソーダもあって、喫茶店ぽいメニューが並んでいる。パスタメニューの横には「リニューアルしました!」との一文が吹き出しで付け加えられており、ナポリタンを始めミートソース、それからきのことバター醤油などの和風のものもあった。何となく、こういうところのナポリタンは変わったアレンジもなく正統派に美味しそうなイメージがある。今日は時間的にメインを食べるのは無理だけれど、休日にこういうところにふらっと立ち寄るのも良いなと思った。

「梓さん、そろそろあがりですよね?」

カウンターのほうから男の人の声がする。奥にもうひとり店員さんがいたみたいだ。穏やかな感じの低い声。メニュー表の向こうのぼんやりした景色が、視線をあげると鮮明になる。

「…………ん?」

ずいぶん派手な見た目の店員さんだ。色黒はともかく、目をひくのが金色の髪。女の人の隣にいるとその背の高さがわかる。180センチは余裕でありそう。横顔だけでもかっこよくて、お洒落な雑誌にイケメン店員として取り上げられていそうな外見だった。思わずメニューを持ったままじーっと見つめていると、女性と話していた金髪の人がこちらに顔を向ける。正面から見てももちろん、その顔はとても整っていて……。
……カラン。目があって瞬きふたつくらいの間を置いて、店員さんの手からお盆が滑り落ちた。

「ちょっと安室さん、大丈夫ですか?」
「え、ええ……ぼんやりしてしまってすみません。お客さんも少ないですし、あとは大丈夫ですよ」

彼はお盆をカウンターから拾い上げて苦笑した。……あれ?今更ながら声に聞き覚えがあることに気づく。声だけじゃない。色黒で、金髪……同じ特徴を持つ人を知っているではないか。

「……え」

こんな目立つひと、そうそういるものではない。変装しているわけでもないのにどうして見た瞬間に気づかなかったんだろう。どこからどう見ても普通に降谷さんだ。スーツ姿しか見たことがなかったせいか、一瞬別人だと思ってしまった。

「すみません安室さん。じゃあ、お先に失礼しますね」
「はい、お疲れ様でした」

店の奥へ向かう女の人をにこやかに見送る降谷さん。さっきから「安室さん」という名前で呼ばれている。偽名、だろうか。エプロンをしているし奥から出てきたので、ここで働いていることは間違いない。隠れてアルバイト……?と思ったが、いくら警察庁に出勤が許されていないとしても給与は保証されているはずだから、それはないだろう。そしてお盆を落とすくらい驚いていたのに、何事もなかったかのようにこちらにやってくる。どうしたらいいかわからず逃げたい気持ちと、長身の彼を見上げるために背もたれに背中をぴたりとくっつける私に、男はニコッと笑みを浮かべた。

「こんにちは」
「こ……こんにちは」

今度は私の手からぱさりとメニュー表が落ちた。うん、やっぱり降谷さんだ。すぐには気づけなかったが、それは私服にエプロン姿だったことと、まさかここにいるなんて夢にも思わなかったからであって、ニコニコの笑顔がまったくの別人に見えるとかそういうわけではない。なぜなら二回目の面談の時、降谷さんはずっと嬉しそうにしていたからだ。さすがにここまでの笑顔ではなかったけど……。

「…………」
「…………」

笑顔の降谷さんと、瞬きを繰り返すしかない私。
これは気まずいというかダメなのでは?
降谷さんがここで働いていることは置いておいて、今日私がふらっと立ち寄ったこの店で彼と偶然会っただけならば問題はない。が、実は今日、私は冴木さんに会うためにここにいる。先日降谷さんとの二回目の面談が終わり予定通りメールで報告を行ったのだが、内容について話があると冴木さんに言われたためだ。このお店を指定してきたのは冴木さんだが、いくらなんでも降谷さんの目の前で面談について話すわけにはいかない。何より、冴木さんとたびたび会っていると思われるのは避けなければ。信頼関係を築くことが第一の段階で、影で上司と会っていることが知られれば、本心から打ち解けにくくなってしまうからだ。
それにしても……どうしてうまい具合にここに降谷さんがいるのだろう。そういえば、最初に見た資料には探偵としても活動していると書いてあった。上の階は毛利探偵事務所だし、ひょっとしてそれの繋がりでここにいるのだろうか。……もしそうなら、冴木さんがそれを知らないはずはないのに。

「スマホ、今光りましたよ?」
「えっ?」

言われて顔を向けると、バッグから半分顔を出した自分のスマホがある。メールの表示だ。降谷さんから目を逸らしたい一心でそれを手に取ると、送り主は冴木さんだった。

『すまないが急用が入って行けなくなった。そこは評判の喫茶店だから、何か食べていくといい』
「えっ!」

さっきから「え」しか言っていない。突然すぎる連絡に思わず固まってしまう。だからこそ急用なんだろうけど、このタイミング。呆然としてスマホの画面を凝視する私に金髪のイケメン店員さんの影が落ちる。焦って、スマホを遠ざけた。

「もしかして、どなたかとお約束だったんですか?」
「そ、そうなんです……でも来られなくなってしまったみたいで。えっと、せっかくなのでケーキか何か食べていきます……」

慌てて帰るのも何だかおかしい。降谷さんは首を傾げている。私がここに来てさぞ不思議に思っていることだろう。でも、私だってこの状況が不思議だ。降谷さんはもう潜入はしていないと資料にもあったし、冴木さんもそう言っていたはず……もし以前ここに潜入していて、久しぶりにあの女性店員さんに会いにきたのならそういう会話があるだろう。そんな様子もないということはつまり……ずっと潜入している……?
探るような私の視線をものともせず、降谷さんは「あっ」と声をあげてその大きな手と手をぱちりと合わせた。なんだか可愛らしい。いや、それ以前にもの凄いイケメンなので何をどうやってもカッコいいのだが。これが「安室さん」なのだろうか……。



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