砂に根差すは悪辣の華_前編



【リクエスト内容(要約)】
 共有した創作設定をもとにした夢小説。

界獣共の揺籃歌錯視とケーキ天満月に荼毒このあと金稼ぎに奔走したと同世界観です
◎固有名詞をニュアンスで読んでいただければこれだけでも読めます





 鮮やかなる赤髪を砂嵐に遊ばせながら、熱砂の地サンドアレーナ≠悠々と往くひとりの男がいる。足取りに迷いはなく、もしその様子を見ている者があったならば彼がただ漫然と砂中を漂い続けているわけではないということは誰の目にも明らかだっただろう。
 いっそ悪意すら感じ取れるほど熱く照り付ける陽射しの下にあっても、惜しげもなく剥き出しにされた浅黒い肌には汗のひとつも浮きはしない。激しく吹きつける砂の刃さえものとはせず、せいぜいが時折うざったそうに二対・・の腕で豊かな長髪を払う程度である。
 ―もちろん、異形の身を持つ彼は人ではない。

 貴き竜・・・の遺骸から産まれ出でた超常の異獣界獣イネイン。世界に生きとし生けるあらゆる生命体を模倣し、殖え続け、それが生まれ持って与えられた使命であるかのように人畜に害を成す獣たち。竜の寵児たちは、仮令たとえその模倣先が元は矮小な獣であったとしても徒人ただびと風情の手には余るほどの凶暴性を持つ。
 では、人間≠模倣して産まれた界獣イネインの危険性とは? ……言うまでもなく、通常の界獣イネインとは桁外れの知恵と異能を兼ね備えた絶望的な脅威界獣イネイン特異フィ個体アスとなる。
 血で染め上げたように深く赤い髪を持つ力の獣―グリード・フィアスもまた、イネイン・フィアスと呼ばれる脅威がひとりである。

 フィアスには互いに種としての力を競い、食らい合ってはその血肉を糧としてさらなる力を蓄えるという習性がある。
 悍ましい生態を持つフィアスの中にあってもグリードが同族喰いの無頼漢≠ニ忌まれるのは、数々の強者を討ち取ってはその身を剥ぎ取り、自らに接合するという悪癖を持つがゆえであった。並外れた力自慢からは腕を、悪路を綽々しゃくしゃくと駆ける者からは脚を、対峙し打破した者たちの肉体から優れた部位を文字通りもぎ取って、自身の身体の一部としてしまうのだ。
 当然、彼はなにも無目的に酔狂なお人形遊びに興じているわけではない。
 これは同族喰いに通ずるものなのだが、フィアスには「最も強き者こそが竜へと至れる」という信仰染みた一念がある。グリードは並居るフィアスたちの中でも特にその念を強く懐いていた。これこそが彼の生きる意義であるといっても過言ではないほど、強烈に。
 強くあること。
 強くなり続けること。
 これは理屈などではなく、言わば生物としての本能に近い。強くあらねばならぬように生まれついたから、グリードは力を求め続けている。

 さて、そんな彼には目下狙い続けている獲物≠ェいた。
 名を、アシュレイ・フィアス。影≠自由自在に操る珍妙な異能を持つフィアスで、かつて死闘を繰り広げた者共の中で唯一取り逃がし、あまつさえ己が身の一部を奪い去っていった男である。
 ただ純粋に力を交わし合った末に敗れ、惨めにも捨て置かれたあの日のことを彼は忘れもしない。未だ癒えず身に刻まれたままの傷と失ったはずの右目が、最後の最後につまらぬ意図あってのことか汚された闘いを思い返すだに激しく疼いてならない。
 その疼きはグリードへ絶えず叫ぶのだ。
 命ある敗者は敗者ですらない。果たされなかったかつての戦いをもう一度。そして今度こそ奴の血を満たした杯で勝利の祝杯を挙げるのだ―、と。
 黒々と変質した歪んだ手指で、彼は右目を覆う眼帯をぐしゃりと握り込んだ。下にちらりと覗くうろの眼窩は深い闇を湛えている。虚ろだ。
 この虚空の中へは義眼を嵌め込んでみても、獲物から奪い取った眼球を嵌め込んでみてもどうにもしっくりとこなかった。果てには削り出した岩まで詰め込んでみたものだがどれもが間に合わせにすらなりもしない。
 フィアスが他のフィアスから与えられた傷は治りが遅い。体表に無数に走る傷はこの頃になってようやく不意に血を噴き出さなくなったばかりだ。右目のほうは、未だ回復の兆しも見えない。グリードが昨日今日と一線も交わらず生きてきたはずの他者から身体を強引に奪い取っても瓦解せず、元より己の肉体であったかのように然としていられるのは、フィアスの驚異的な回復力あってこそだ。腕尽うでずくで引き千切られた視神経はみっともなく垂れ下がったままで、試しにと詰め込んだ目玉には待てど暮らせど繋がりはしなかった。
 いつまでも馴染まないのだ。己が身の肉にも、研ぎ澄まされたグリードの感覚においても。
 この馴染みのなさが自らの血肉と交わらぬ真実異物であるからなのか、それとも宙ぶらりんにされたままの闘いの結末のせいかはわからない。
 ―だが、グリードは後者であると導きめいた確信を持っている。

 狼爪を備えたけだものの脚で柔らかな足場を掻き分けながら、広大なる砂の海をグリードは黙々と往く。
 迷いなく先を見据えるみどりの隻眼は、愉悦を含んだ殺意にぎらついていた。



 砂海を泳ぎ続けた彼が辿り着いたのは一本の年老いた大樹を中心として形成された枯れた林、そこへひっそりと佇む名もなき村であった。
 砂漠の街マハスティ≠謔閧ウらに北東にあるこの地は、かつては豊かで清潔な水が湧き出るオアシスとして賑わっていたのだろう。かろうじて枯れきらずに残る大樹とそこかしこに未練がましく立つ木々からその面影が微かに窺える。
 しかし今となってはそのほとんどが立ち枯れた林によって物悲しく彩られた砂地に埋もれ忘れ去られた、寂れた村だ。活気という活気を全てマハスティに吸い上げられたと見えて、まるで死んだように静まり返っているが、グリードの片耳ながらに鋭い聴覚はまばらにある人の気配を鋭敏に感じ取っていた。
 ゆえに、すぐに気付いた。ここにアシュレイはいない。
 獣の左耳をびんとそそり立たせて、前へ左へと忙しく向けてみるもやはりフィアス特有の気配は感じ取れない。
 珍しいことではない。アシュレイの行方を、グリードは彼にしては稀なまめさで以て情報収集をしては追い続けているのだが、どうしても動きは後手にならざるを得ず、行き違いとなってしまうことも間々ままあった。アシュレイが、グリードにとってはなんの関心もそそられないつまらぬ小娘をなんの縁あってか共連れとするようになってからは一層意識的に追跡を撒くような痕跡も度々見られたから、そのせいもあったかもしれない。
 無駄足を踏んだ―とは落胆しない。事前に得た情報から、アシュレイがこの村に向かっていたということは確実だ。人間が、己の命が懸かっているという局面で嘘を吐くのは容易ではないということをグリードはよく知っている。人間のその弱さこそが彼の情報源だからだ。

 ―あれだけ異様で目立つ男が、誰の目にも記憶にも留まらねェわけはねェんだ。

 グリードは己を棚に上げて思う。
 視界に飛び込む色といえば砂色ばかりの、これだけ小さな人里であればなおさらである。真白い紙に墨を落としたようにアシュレイの姿は人目を引いたはずだ。目立つを通り越して最早珍獣扱いであったに違いない。いつも通り、適当な輩をひとりふたりと締め上げればすぐに足取りは辿れることだろう。
 村には全体をぐるりと囲い込むように、黄褐色をした日干し煉瓦で申し訳程度に拵えられた背の低い塀があった。その高さといったらグリードの腰に届くか届かないかというほどしかない。塀と呼ぶのも烏滸がましい、そのちゃちな囲いの中央にぎゅっとせせこましく締め上げられるように、これまたちっぽけな門は頼りなげにぽつんとある。
 村を囲うどれもが警備としての体を為せるような頑強な造りでは決してなかったが、その代わりとでも言うべきか、門塀は足を踏み入れるまでもなく村内がいかに寂れ廃れているかを実に雄弁に物語っている。この様を目の当たりにして押し入ってくる間抜けな賊などそういないだろうから、ある意味では防衛としての役割を果たしていると言えよう。
 グリードは少し考えてから正面門の反対側、村の背中側へと回り込んで、角が風化して丸くなった煉瓦の塀をひょいと乗り越えた。己を満足させられるほどじゅうぶんに腕の立つ者がいるわけもないつまらぬ地で、無用な騒ぎを嫌ったためである。
 おあつらえ向きに、塀を越えたすぐそこには村の中心から遠ざけられるようにして石造りの小民家が一件だけちょんと建っていた。
 照りつける日や砂を纏った風が吹き込むのを防ぐためだろう、飾り気のない外壁には極端に小さな戸と窓がそれぞれひとつずつだけついている。それだけの外観から住民の在宅を見わけることは常人には難しかろうが、当然グリードにとってはこんな石壁のひとつやふたつ、然したる障害ではない。必死になって小さな穴ぼこへ片目を凝らさないでも、中に人がいることはうに知れている。
 誰におもねることもなく、グリードは無遠慮に家の中へと踏み込んだ。
 家へ入るや否や、無意識のうちに鼻がすんすんと辺りを嗅ぎ回る。大凡おおよその模倣先は人間でありつつも獣に近い習性を獲得しているグリードの嗅覚は、同じフィアスらと比べてもより鋭い。その優れた嗅覚が、到底人家には似つかわしくないにおいを正確に嗅ぎ取っていた。
 さて、中にいたのはひとりの人間の女だ。さすがにグリードを警戒した様子で、椅子に深く座りかけたままの姿勢で身を固く縮こまらせている。

「……あなた、誰?」

 女は日を隔てる石壁が作り出す物陰からじっと動かずに、疑り深く誰何すいかする。だがグリードの正しく人並み外れた瞳は暗がりにおいてなお、女がいかにもかよわげな妙齢の娘であることがわかった。
 それに違和感を覚えた。そんなはずはなかろうと周囲に素早く視線を巡らせるが、彼が懐いた違和感は依然として氷解しない。

「ねえ、ちょっと」

 なにも応えないグリードに対し、女が苛立たしげな声を上げる。見慣れない異様な風体の男に口を利くにしては随分と強気な態度だが、―無理もない。

「私、目が見えないのよ。まだそこにいるなら意地の悪いことをしてないで、名乗りなさいよ」

 「知ってるでしょ」と言わんばかりの言葉尻の荒い語調に、馴れ馴れしさの奥にひっそりと息を殺した薄い敵意を感じ取る。
 女の目元には襤褸ぼろの包帯を荒々しく巻いただけの目隠しがあった。砂漠の女でありながら渇き知らずのつやとはりのある艶めかしい褐色の肌に、白っぽく煤けて濁った汚らしい包帯は馬鹿に浮いている。この目隠しがいったいなんの趣味や思惑でのことかはわからないが、グリードの関心の最たるはそこにはない。
 しかし、いくら周囲を注意深く探っても自らの疑問を解決する答えが得られないとわかった彼は、仕方なく女のほうへ向き直った。彼の動きを察してか、女の闇に沈んで黒々とした顔に改めて緊張の色が滲む。

「そう怯えねェでも、なにもしやしねェよ」

 「ハ」と浅く鼻を鳴らしてグリードはせせら笑う。どこぞの御嬢気取りのフィアスとは違って、彼に弱者を甚振って昂るような歪んだ趣味はない。

「オレサマの質問に正直に、素直に答えさえすりゃァ、不都合はなにも―」
「ああ、もしかして、旅の人?」
―は?」

 予想外が過ぎた。言葉を遮って放たれた女のやたらに喜々とした響きを持ったひと声に、グリードは間抜けた一音を上げてつい口を噤んでしまった。

「なんだ、外の人だったのね。なにも言わず急に入ってくるから驚いたじゃない。どうしてこんななにもない村に? ―ひょっとして、迷ったの?」

 訊ねておいて、女はグリードが答える間も与えはしない。

「マハスティに行きたいなら、村の正面の門から抜けて暫く南西に下っていくといいわよ。砂漠って、当たり前だけど辺り一面砂ばかりで目印がないんで、慣れてない人だと迷いやすいのよね。海沿いを辿っていくといいわ。あなたが少なくとも前と後ろの区別がつくっていうなら、問題なく辿り着けるはずよ。
 ああ、でも、他人様ひとさまの家に入るのに挨拶のひとつ、当たり前の礼儀もない人だもの。もしかして、あなたの生まれ故郷には後ろを前と思って歩いていく為来しきたりでもあるのかしら。それなら、私にはちょっと救ってあげられそうもないわね。
 ところでドア、開けたならきちんと閉めてよ。砂が入るでしょ。それぐらい、子供だって言われないでも当たり前にできることよ」

 グリードが口を差し挟む隙もない。
 日頃界獣イネインと刃を交えることもないような市井の女であれば、通常グリードと真正面から向き合うと怯えて話にならない。やや強めに脅しかけて、ようやく話が通じるようになるぐらいだ。たまに初めからまともにひとこと口を利くことができる女を相手にすると、「肝の据わった大した奴だ」と感心するものだが、この女はこれまでの奴らとはなにかわけが違う。

「……馬、鹿げた奴だな。目隠しなんてしてりゃ、誰だって目が見えねェに決まってらァ」

 その理由が恐らく目隠しをしているせいであろうと見当をつけた彼は、ひとまず言われた通り戸を閉めてやりながら、自身がなんのために家に押し入ったのかも一時忘れてそれだけ口を開いた。
 グリードの言葉を聞いた女はきょとんとしてから、一層小馬鹿にするようにくすくす笑った。おもむろに、自らの目元を覆う包帯にぐっと手をかける。
 ひと思いに取り去られた包帯がひらりとなびく。露わになったその顔には、およそ人の手によるものとは思えぬような惨たらしい傷が刻まれていた。
 女が、深い溝が刻まれた目蓋を押し上げて目を瞬く。傷つき白っぽく濁った女の眼球は、暗闇の中にあってそれでもやけに夜空に瞬く星々がごとく燦然と耀いている。

 魔法のような目をしていた。

 女が、愛嬌あいきょうを振り撒き慣れた家猫のように両目をきゅうっと細める。

「いやあねえ。誰が好き好んでこんな目隠しをするって言うの。怪我をしたのよ。だから目を開けても見えないわ、お馬鹿さん」

 あっけらかんとして女は言う。それを皮切りにしてまた息も吐かせぬ罵倒染みた言葉の飛礫つぶてが返るかとも思ったが、それだけだった。

 妙な女で調子を崩されてばかりだったが、ようやく当初の目的を思い出したグリードが「白い髪に黒尽くめの出で立ちをしたアシュレイという男を知らないか」と問い質すと、意外にも女は「確かに、そういう風貌をしているらしい男が村に来ていた」と素直に口を利いた。
 どうやらグリードがせっせと仕入れた情報は随分と遅れていたらしい。アシュレイ一行は遡ること数週間前、すでに村を発った後だと言う。
 それだけのことが聞ければもうよかったのに女は今度こそ沈黙を知らぬようにやたら楽しげにぺらぺらと口を利いて、訊きもしないことまであれこれとグリードに言って聞かせ始めた。村の下に埋もれている砂の粒の数までグリードに教え込まん勢いだ。
 だが、情報さえ得られればこの村も女も彼にとっては用済みの存在である。早々に踵を返して立ち去りかけた彼を、女が透かさず引き留める。

「わざわざ人探しのためなんかに、こんな見どころもなにもない田舎くんだりまで足を運ぶくらいだもの、暇なんでしょ? もうちょっとだけでも話に付き合ってちょうだいよ。まだ日も高いことだし、うちを日除けに貸してあげるから」
「なんたってオレサマがわざわざテメェの指図を受けてウン≠ニ頷くと思うんだ? テメェにもこのしみったれた村にも、もう用はねェと言ったろ」

 素気すげなく返すグリードに、女はなにか言い返そうとしたのか口を開こうとする。が、それよりも早くグリードはさっと首を捻って戸口のほうを見る。その動きを感じたらしい女がぱたりと閉口して、また口を開いた。

「なに?」
「砂を踏む音がする。誰か来る」

 そう言っている間にも、さくさくという音は徐々に近付いてくる。訊ねるからわざわざ答えてやったというのに女は妙な顔をして、見えもしないくせにいぶかるようにグリードを仰ぎ見た。

「……私には聞こえないけれど。あなた、耳がいいのね。獣みたい」

 今度はグリードが言い返そうとしたが、女はやはり矢継ぎ早に言葉を吐き出すので口を挟む隙がない。

「多分、村の男ね。数日に一度、うちまで水とか食糧とかを届けに来てくれるの。
 ―ねえ、うちの村、余所者よそものにはちょっといい顔しないの。あなた、見つかったら面倒だから、もうちょっと部屋の奥まで行ってよ。ああ、それと、あなたは無作法な人だから一応言っておくけど、寝室には入らないようにしてちょうだいね」
「だからなんでオレが―」
「うるさいわね。匿ってあげるって言ってるんじゃない。おとなしく言うこと聞きなさいよ。あんまり聞き分けのないこと言ってると、お尻を万回引っ叩いて躾をするわよ」

 ――――誰が、誰を匿うって?

 グリードは思わず目を見張って女をまじまじと見た。
 多少上背はあるようだが腕は細いし、ほとんど出歩くことがないのか、裾の長いスカートから時折覗く足も萎えている様子だ。

 この見るからに弱々しい女が、まさか今、「自分がお前を守ってやる」と抜かしたのか?

 あまりに驚愕が過ぎて不覚にも呆気に取られたグリードは、またも不覚を重ねてつい女の言いつけに従ってしまい、一歩二歩と後退あとずさりして暗がりの中へと身を潜めた。グリードの足の爪がちゃかちゃかと石の床を叩く異音を正しく足音≠ナあると認識したらしい女は、挑発的に小首をかしいで満足げに唇を吊り上げる。
 先ほど自分で取り去った包帯を手早くまた目元へ巻き付けた女は、やや蹌踉よろめきながらもしっかりと地に足をつけ立ち上がって戸口のほうへと向かう。
 と、同時に握り拳をドアに叩きつけるようなノックがどんと一度響いた。分厚い木板を嵌め込んだようなドアであるから、ノックも相応に強くしなければ聞こえないのだろう。
 そのときにはすでに戸口に辿り着いていた女は、二撃めが与えられるよりも前に扉を開ける。あまりに早すぎる応対に驚いたか、来訪者が「わっ」と短く声を上げたのが聞こえた。

「そんなに強く叩かないでも聞こえるわよ。無作法な人ね。ドアが壊れたらどうするつもり? うちのドアが使いものにならなくなっても、あなたが責任を取ってうちの前で朝も昼も夜も通して衝立になってくれるって言うなら、お好きにしてもらっても一向に構わないけれどね。
 ああ、もしそうなったときには、あなたは衝立なんだから衝立らしくして、口は利かずに動きもしないでちょうだいね。四六時中、衝立じゃなくて誰かに傍にいられるような気になったらちょっと―、かなり―、……だいぶ、薄気味悪いじゃない?」

 どうやら女は突然家に押し入ってきたグリードの無礼を嫌って止まぬ言葉の飛礫つぶてを浴びせかけていたというわけでもなく、いつでも誰に対してもこんな調子でいるらしい。むしろ同じ集落に住む村民を相手にしているほうが、グリードに対するよりもずっと棘がある物言いや態度でいる。
 物陰に身を潜めるグリードからは背筋が伸びてもどこかしんなりとした女の背中しか見えないが、やり取りから察するに相手は村の若い男であるらしい。声の張りや調子からして恐らく女と同じか、それよりも少し上の年頃だろう。あまり気の強い性質たちではないのか女の勢いに圧倒されっぱなしでいるようで、力なく何事か返している声が時折聞こえてくるだけで、あとは言いたい放題に言われている。

 待つこと暫く。会話にすらなり得ない女の独擅場どくせんじょうは、彼女の気が済んだことでようやく幕を下ろしたようだった。女がようやっと口を閉ざしたのを契機に、男の手から女の手へと麻袋と、重たそうな革の大袋が次々渡る。村民の来訪を知った彼女が当初言っていたように、男はやはり食糧と水を届けに来ていたらしい。
 あれだけ言われておいて自尊心もなにもないのか「中まで運ぼうか」などと申し出る男の厚意を素っ気なく断った女は、そのまま無情にもばたりと乱雑にドアを閉めた。それで、萎えた脚が度々崩れかける以外は危なげなく椅子まで戻ってくる。全盲の身なれど慣れた家の中を歩き回るくらいは造作もないのだろう。
 とすんと腰を下ろした女を見て、物陰から這い出したグリードは揶揄やゆするように鼻を鳴らした。

「ハ、テメェがドアを壊した暁にゃァ、テメェ自身が衝立になンのか?」
「いやだわ、なに言ってるの? 人は衝立じゃないわよ、お間抜けさん。村の男を呼んで直させるに決まってるでしょ」
「……そーかい」

 グリード自身、自身を理屈の通った性根でいるなどと誤認しているわけではないが、その己をして彼女の傲慢っぷりには呆れ返るばかりだ。
 下手なことを言ってまたごちゃごちゃ捲し立てられるのも煩わしく、彼は諸々の所感を大きく飲み下して口を噤んだ。
 黙りこくるグリードに構わず、女はというと先ほど受け取った食糧の整理を手探りで始めた。盲目の女を気遣ってのことか、干した魚や肉、豆類など、一見する限りはそのままで食べられるような食材が多い。
 その整理の様子をなんとはなしに眺めていたグリードは、先から頭に浮かび始めていた疑問がとうとう明瞭に形を成して眉を顰めた。

 ―村の奴らは、いったいなんたってこんな女に。

―どうして村人たちが私にあんなに気を遣うのか、不思議でしょう?」

 グリードの疑問に女が先回りして問う。グリードはやや面食らって内心深々と首肯した。それを表に出して示すことがなかったのはどうせ見えはしないだろうと思ったのと、素直にそうと認めてやるのが癪だったからだ。
 しかしながら、そうだ。水も食糧も潤沢であるとは思えないこの村で、ろくな仕事もできないだろうめしいの女にこうまでへりくだって尽くしてやる理由が彼にはわからない。

「ここの連中はね、私に負い目があるのよ」

 女は、グリードの胸中を全て解き明かしきったように言った。
 女にそれ以上のことを事細かにグリードに聞かせてやる気があったかはわからない。彼女の話したがりの性分が顔を出すより、グリードの疑問がさらなる芽を出すより、空気を震わせるものがここにはあった。

 ―ぐう、と。
 腹が鳴る。

「……あらあ?」

 女がわざとらしいひとことと共に俯けていた顔を上げる。
 人間であれば誰しもにある三大欲求という概念がフィアスには薄い。それらを全く必要としない者すらいる。
 だが、それはそれとしてグリードはものを食らうことが好きだ。生命活動に食事という行為を必要としない以上所詮錯覚には過ぎないが「腹が減った」と感じることもあったし、こうして反射のように腹が鳴ることもあった。
 それが、つまり、今だ。
 砂の海を暫く飲まず食わずで移動し続けていたためだろう。グリードの空腹≠ニいう錯覚がはたらくのにはすでにじゅうぶん過ぎる時間が過ぎていた。
 哀れっぽく鳴く腹の虫の音を、女は聞き逃さなかったらしかった。にんまりと顔を歪めて、憎たらしいほど正確にグリードのほうへ身体を向ける。手には干し肉を持っている。

「お肉はお好きかしら?」

 ―好きだ。
 好きだが―。
 やはり此度もなにかが癪でグリードは黙して答えなかった。

「なにもない村だけど、こんな村だからこそ保存技術は中々に鍛えられてるわよ。文字通り死活問題だからね。海は近いし獣も多少いることにはいるけど、この暑さの中で放っておけば獲ったそばから腐っていくんだもの。幸い香辛料スパイスの類いはそこそこ手に入れられるから、それで調味液を作ってね、漬け込んでから日干しにするの。
 ほら、ちょっと嗅いでごらんなさいよ。色んな香辛料スパイスのいい香りがするでしょ」

 言いながら、女はグリードの顔の前あたりで肉を持った手をぷらぷらさせた。わざわざこんな真似をされないでも、村の男が食糧を手に家の前に立ったときから、この香りはグリードの鼻腔を刺激して少しずつ、しかし着実に彼の食欲を引き出しつつあった。
 まったりと濃くスパイシーな香りの中を吹き抜けるように柑橘っぽい爽やかさの漂う異香いきょう。強かにされどしつこくなく垂れ籠める香りの裾野は、口に入れるより前から優れた味わいを主張してやまない。

「マ、多少の癖があるから人によっては苦手に思うようだけれどね。この間来た男の連れの女の子なんかは、ちょっと変な顔して食べてたみたい。でも、あなたにその心配はなさそうね。
 ―ねえ、これをあげるから、食べている間だけでも私とお話してちょうだいよ」

 ぷらん、と肉がもう一度眼前で揺らされる。腹の虫が再び盛大に泣き喚いたことでとうとう堪えかねたグリードは、女のほっそりした指から肉を毟り取った。

「決まりね」

 女は胸の前で無邪気に指を組み合わせて、それはそれは嬉しげに微笑んだ。



 散々語り尽くしたあとで、女はようやく多少満足したようだった。

「ああ、楽しかった! こんなにたくさん誰かと話をしたのは久しぶりだわ」

 ……などと、晴れ晴れとした顔で言う。反面、グリードは片方しかない耳を酷使しすぎたせいでやや草臥くたびれていた。
 だいたい会話と言うが、正確にはこの女が好き勝手くっちゃべるのをグリードは適当に聞き流していただけだ。
 それは例えば―。

―ところでグリード。あなた、あんまり服を着てないでしょ。音でわかるの。衣の擦れる音がほとんどしないもの。この陽射しの下、そんな馬鹿みたいな恰好で外を出歩いてここまで来たの? 信じられないことするわね」
「ああ」
「そんなに肌を出して……、火傷をしないの? 頑丈なのね。……ああ、わかった。人としてあるべき礼儀を残らず魔女に差し出した代わりに、丈夫な身体をもらってきたりでもしたんでしょう」
「ああ」
「ちょっと、適当な返事しないでよ。耳から砂が入って脳味噌全部が砂に置き換わってるんでもなければ、少しは頭を使ってものを言いなさいよね」
「喧嘩売ってんのかテメェ」
「売った覚えもないのに勝手に買わないで。一片残らず返した上でそれでもまだ買いたいって言うなら、きちんとお金を払って買ってちょうだいね」

 ―などといった具合である。
 女―ナマエは終始一貫こんな調子で、グリードはものを食う以外ほとんど口を動かしていない。
 この女の名前も、やはり訊きもしないのに勝手に名乗ってその上「聞いているの」だの「私の名前を覚えたなら、気を利かせて一度でも呼んでみなさいよ。グリード、初めから思っていたけどあなた、恋人がいたことないでしょう。こんなに気の利かない男とは初めて口を利いたわ」だのと小うるさいので、記憶するつもりもなかったのに頭に刷り込まれてしまったのだ。グリード自身の名前についても、あんまりうるさいので聞かせてやっただけに過ぎない。

 口振りからして、ナマエは人とのまともな交流を長らく絶っていたのだろうということが彼には感じ取れた。だがいくらなんでも村というひとつの狭い集団の中に身を置きながら、それはあまりに不自然ではないだろうか。
 ―そう、不自然だ。ふと行き着いた感覚にグリードは内心で己へ深く頷き返す。
 この女は―ナマエは、初めて対峙したそのときからずっと不自然の塊だった。市井の女には似つかわしくない傷を負っているのも、余所者であるグリードには馴れ馴れしい口を利きながら村民には刺々しい対応をするのも。
 こんなにおいを、させているのも。

「ねえ、もしもまだこの辺りに留まるつもりがあるなら、明日も私に会いに来てちょうだいよ」

 グリードの脳裏をぞろりと這う違和感など知ったことかと言わんばかりに―実際彼女がそれを知る術はなかっただろうが―、ナマエはグリードをやや見当違いの方角に見上げて言う。
 散々会話≠している最中もそうだった。暫くグリードが口を開かないままでいると、ナマエはしるべを見失った子供のような顔をして、それでも言葉を途切れさせることはなく彼がいるであろう方向をうろりと見上げた。
 目が見えないくせになにもかも見えているように振る舞っているのがそもそもおかしな話だ。だというのに彼女の無礼さに早々に慣れきってしまったグリードには、彼女のしおらしいさまがこと奇妙に映る。

「そんな義理はねェ」

 淡々とした返答に、ナマエが「ふ、」と短く息を吐いて包帯の下にある目元を和らげる気配がした。顔が、今度は真っ直ぐとグリードのほうを向く。

「お肉、まだあるわよ」
「今ここで、テメェから力尽くでぶんってやってもいいんだぜ」
「あら、いやだ。かよわい女に、そんな酷い真似しようって言うの? 野蛮ね。卑劣で残酷だわ」

 もちろん人間を脆弱なるつまらぬ生物としてしか見ない界獣イネインたるグリードが良心の呵責かしゃくなどという殊勝なものを持ち合わせているはずもないが、「かよわい女に無体を強いる」という言葉が些か彼の琴線に触れて押し黙る。
 グリードは卑劣を嫌う。その気味合は余人にはそうと理解の得られぬような彼固有の価値観から判断されるものだ。そしてその考えかたによって照らし合わせると、少なくとも「武力を行使して女子供から無理矢理にものを奪う」というのは、確かに彼の卑劣センサー≠ノ引っ掛かる。それはもうびんびんに。
 元より、今さら彼の実のない脅し文句が通用するような女ではなかったのである。グリードは強かに舌を打った。

かよわい女がひとりぽっちで、話し相手だけでもほしいって寂しがってるのよ。可哀想でしょ。哀れんで明日も会いに来なさいよ。できる限り、おもてなししてあげるから」

 哀れみとは対極にあるような気質をして、よくもまあいけしゃあしゃあと抜かしたものである。自分自身、よっぽど己をかよわい≠セのとは思っていないような女のくせに、女としての弱みをかえって強みとして振り翳すことになんの躊躇いもないらしい。
 先も言ってやったように、グリードにはナマエを哀れんでやる義理も謂れもない。そもそも彼はそういった感情とは生来ほとんど縁遠くして生きてきた。干し肉だって確かに美味かったが、別に余所で替えがきかないというほどの味わいでもない。
 だからグリードの中にじんわりと染み渡るようにして定まったこの決断は、ただの気まぐれとひとつの確認・・でしかなかった。

「ねえ! 明日も来なさいよね」

 立ち去るグリードを背中から追いかけてくる女の声に、彼は返事もしなければ振り向きもしなかった。
 何度でも言うが、癪だったからである。



 翌日、グリードが家まで訪ねていくとナマエは大層はしゃいで、肘掛け椅子から立ち上がるとなにもつっかかるものがないにも関わらず盛大に床へ転げた。

「本当に来るとは思ってなかったから」

 グリードが己を助け起こすとは露ほども思っていなかったらしい。ナマエは探り探りで石の床と椅子とを撫でながらなんとか定位置に腰を下ろして、拗ねているようにも照れているようにも聞こえる言葉つきで言った。紅を引いたように艶のある唇を、子供のように尖らせて。
 別に助けてやろうと思ったわけではないがたまたま前に差し出していた腕の行き場をなくしたグリードは、四本の腕を重力に従わせてそっと下ろす。

「礼儀の欠片もないあなたにも、ひと欠けの人情くらいはあったのね、グリード。大事にしたほうがいいわよ。きっと数少ないあなたの美点に違いないから」

 やっと腰を落ち着けたと思ったらそうやってまた生意気な口を利く女の身からは、やはり昨日さくじつと同様フィアスの残り香が強かに纏わりついているのだった。
 それはまるで、女自身がフィアスそのものであるかのように強く、―強く。



 あれから幾日が経ったものか。
 グリードが訪ねていくたび、ナマエはよくぞここまでと思うほど飽きることなく、話の種を尽きさせることもなくぺらぺらとなにからなにまで喋り尽くした。

 曰く、父親は石工の下っ端で、もっぱら石切場で石を切り出していたのだとか。
 曰く、早くに儚くなった母親は舞踊に大変優れており、村に居着くまでは大道芸人の一派に加わって地方を練り歩いていたらしいとか。作物の不作で身体を弱らせて、そのまま儚くなったとか。
 他には、目が見えていた頃にはまだ枯れずにあったオアシスの、黄褐色の砂の直中ただなかで青い水を湛えた神秘的な美しさ。鮮やかな緑をした草花のかぐわしさ。木々へ羽休めに寄りつく極彩色の愛らしい鳥たちの話……。
 ナマエの話はあちらこちらへ忙しなく飛び交い、結局のところなにが言いたくてこの話を自分に聞かせたのかと問い質してやりたいほどだった。
 「ほんの小さい頃、父親と喧嘩をして裸足のまま外へ飛び出したら太陽で散々熱された砂で足の裏を火傷して、そのままひとっ飛びで家へ取って返した」なんて話をして、いったいグリードのどんな返事を期待しているというのか。ナマエが絶えることなく零す話題のどれもが、グリードからしてみれば実にくだらない話ばかりである。
 しかしナマエの意図を疑う一方で、グリードは彼女がただただ自らの傍で放たれる生きものの存在感をのみ望んでいるのではないかと理解し始めてもいた。
 ナマエは多分、人に―もっと言えば、己以外の生命体に飢えていた。だから相槌は愚か呼吸もしないような石の壁に向かって喋り倒すのでは欲求が満たされない。それでいて彼女はなお選り好みをしていて、なんの訳あってかグリードより余程暇つぶしに適しているであろう村民たちを話し相手に捕まえることだけは決してしたくないようだった。
 なぜならナマエは、村の人間たちを嫌悪しているから。のみならず、敵意まで懐いているから。
 ナマエが口を出して「そう」と言ったわけではないが、グリードから見る限りこれは明瞭な事実であった。

 ふと、飽きもせず虚空に目の先を固定して口を動かし続けるままだったナマエが、うろりと顔を上げた。手元には薄汚れた包帯が握られている。ほっそりとした指先が、それを手慰みにかいじいじと弄んでいる。彼女の濁って光を通さない、しかしそれ自体が光明であるかのような白っぽい瞳が右へ左へと当所あてどもなく彷徨う。
 グリードが生返事にも疲れて暫く黙りこくっていたためだろう。干し肉も疾うに食べ終えていたから咀嚼音さえ久しく絶えている。暗闇の中で聴覚だけが頼りのナマエは、グリードがなんの音も出さずにいるとすぐにその存在を見失ってしまう。
 きょろきょろと不安げな素振りが目障りで仕方なく、彼は狼爪を備えた足を重たく持ち上げるとナマエが腰かける対面に置かれた空の椅子の足を極軽く蹴りつけた。
 「がた」と響いた突然の硬い音に、ナマエが華奢な肩と言葉の調子をぴくんと跳ねさせる。一瞬だけ口を噤んでから安堵したように胸を撫で下ろしたナマエは、また不具の瞳をひとところにじっと固定させた。
 この椅子はいつからかナマエがグリードのために勝手に用意し始めたものだ。しかし椅子には肘掛けと、座面とひと繋ぎの背凭れがあり、尻に獣の尾を垂れるグリードにとっては目にしているだけで窮屈で堪らないから一度も座ったことはない。
 ナマエのなけなしの心遣いをグリードが無下にし続けていることに彼女は気付いているはずだが、不思議とそれについて小うるさく捲し立てられることはなかったし、批難するような気配さえ感じ取ったことはない。普段はどうでもいいことをあれだけねちねちと言い立てるくせに。

「それでね、ええと、そう。さっきの話の続きね。
 ねえ、グリード。あなた、ここに来る途中で海は見てきた? 私はもう十数年と海なんて行ってないけど、昔、父さんの手が空いてるときなんかはちょくちょく連れていってもらったの。貧乏暇なし≠ネんて言う通り、そんな機会なんてめったになかったんだけどね」

 ひと呼吸ののちに、くだらない話が再開される。
 このなよなよした女をグリードが唯一感心する点は一度話して聞かせた話をナマエ自身がきちんと覚えていて、それを何度も繰り返して彼へ聞かせることがないということだ。
 新鮮ながらもつまらなく平凡で、欠伸が出るほど退屈な数々の話を聞く限り、少なくともナマエがこんな大仰な怪我をこさえる理由がないようにグリードは思う。
 だがナマエが惨たらしい傷を負っているのは紛れもない現実で、ならばそうであるための理由は確かにあったのだ。


―――
23/03/09


(管理人:瀬々里様)
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