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この地球に生まれ落ち自我が芽生えた瞬間から私は独りだった。父も母も仕事ばかりで家には居ないことが多く、そんな両親は私が中学に上がって直ぐに他界した。両親の死によって私は所謂“孤独”な少女になってしまったけれど孤独であることは決して苦では無く寧ろ不気味なくらい身体に馴染んだ。
そんな孤独を甘受するのでは無く、寄り添い共存するような日々を重ねながら生きていた中学三年目の冬のある日、私はとある人物に出逢う。

(海王みちる...)

出逢ったとは言ったものの初めては媒体越しで、『美しすぎるうら若き天才バイオリニスト!』『ミステリアスな才色兼備バイオリン奏者!』と如何にもメディアが好むキャッチコピーで話題になっていた彼女を初めてきちんと認識したのは、学生に向けて催された海王みちるのリサイタルに参加した時だった。都内にある学校から成績優秀者が招待されるというもので、私もその一人として招待された。それが実は後に闘うこととなる無限学園が生徒のスカウティングの為に開催したものだったという話は今は置いておき、そこで初めて私は彼女の演奏を聴くことになった。バッハのG線上のアリアや、ヴィヴァルディの四季、クライスラーの愛の喜びといった誰しも一度は耳にしただろう朗らかで耳馴染みのある曲を演奏する海王みちるに私の心は強く惹きつけられた。それは彼女の旋律から自分と同じ“孤独”を感じ取ったからだ。

(...これは...一体....)

加えて彼女の演奏が耳から流るるように脳髄を刺激する度に脳の中に宇宙が展開された。太陽系から泳ぎ出た先に拡がる星々の大河、その河の果てにある他の惑星と比べると少し歪に潰れた惑星に黒髪を腰まで伸ばした一人の女が佇んでいる。錫色が鈍く反射する赤鉄鉱の根城の中で、開け放たれた天窓から女は宇宙の行く様を無感情に眺めており、ふとその女の浅葱色の瞳と目が合った瞬間に私は悟ったのだ。その女は私自身なのだと。その時自分が何の為に地球という地に生まれ落ちたのか、何が為に存在しているのか、そして何故孤独を胸に生きているのか全てが符合し、ゆっくりと彼女の演奏と共に噛み砕きながら私はもう一人の己を受け入れた。

リサイタル後も私は繰り返し海王みちるの演奏を聴き漁ったというのも、同じ孤独を抱く者の旋律の音は単純に心地良く、まるで漣の音だけが支配する海原に身を預けているかのような落ち着きを私に与えてくれた。そしてリサイタルの時広がったビジョンが彼女の奏でる音色を聴いていると再び脳内に拓かれ、私は彼女の旋律の中でもう一人の自分を観察した。対になった蒼白い星を行き来しながら一人来る日も太陽系とその外に幾億も存在する星々を見つめる日々はきっと側から見ると退屈で仕方ないだろうけれど、私は胸に確固たるものを持ちながら星々の移ろいを眺めている。

(私は何者なの...)

けれど、拓かれはしたものの意思の疎通は叶わず、私が何故そこにいて自分が何者なのかという実態は掴めないままだった。符合した先にある答えに辿り着けないもどかしさは海王みちるに会って話すことで解消されるかもしれない、私の心を惹きつけもう一人の私のビジョンを暴くように見せてきた唯一の存在に対してそう考えるのはごくごく自然なことで、そんな想いは意外な形で叶うこととなる。
それは、リサイタル終演後にスカウトされた無限学園高等部に入学して暫く経つと、海王みちるが天才レーサーとして名を馳せていた天王はるかと共に編入生として無限学園高等部に入学したからだ。世間に名を轟かせていた2人の転入はそれは話題になり、彼女たち2人が織りなす独特な空気感故に人に囲まれることは無かったけれど、何処にいても2人の存在は人の目を惹き、話題に事欠かない存在だった。

「哲学科の月居ひすみさんよね」
「海王みちる...?」
「あら、私のこと知っていらしたの」

だから、学園が落ち着いた頃にひっそりと接触しようとしていたのにまさか彼女の方から来てくれるとはつゆとも思っていなかった。放課後の人気のない教室で先生に頼まれたレポートを書いている私と机とに陰を落とした海王みちるは、窓から漣のように入り混じる茜色に輪郭を縁取られていて、その絵画のような麗しさに圧倒される。先刻まで数多の語彙を脳に浮かべ整然と紙に書き並べていたにも関わらず、其れ等が一瞬に砂となってサラサラと散っていく。

「し.....」
「し?」
「...CD全部持ってます」
「あら、それは光栄だわ。ありがとう」

急速な語彙の消失は彼女の演奏を聴いているうちにすっかり海王みちるのファンとして磨きをかけてしまったお陰で、口許を弛め私へと手を差し出す所作の全てが嫋やかな彼女に脳の裏側がジンジンと痺れる。

「是非貴女とは一度お話ししたいと思っていたのよ」
「そうですか...」

差し出された手と頭を僅かに傾かせながら言った海王みちるはきっと握手を求めている。今の今までシャープペンシルを走らせていた所為で芯の擦れがついているだろうから、一度綺麗にしてから出直したい所だけれど、無視して悪い印象を残してはならないとファンの面の私が言っている。だから椅子を引いて立ち上がり素直に彼女へ手を伸ばす、とあっという間に白魚のような彼女の手の平に私の手が包まれる。

(!?....あおい...惑星...?)

そんな絹にように滑らかな肌に触れた途端に、肌から脳へピリッと電気が伝うかのように流れ、その先に彼女の演奏を聴いている時同様に宇宙空間が拡がった。目の前に顕現して見せた星はラピスラズリのような紺碧に、潮が舞うように優雅に走っている。その深い碧に魅入っているうちに引力に導かれた身体が惑星にまるっと包まれた。まるで波に攫われるように抱擁された身は、星の腹に向かってゆっくりと沈み、深さと比例して頭が軋む。梵鐘の音が低く響くような鈍痛に徐々に視界が狭まり、そして完全に視界が閉じたと同時に私は意識を手離した。

次に目を醒した場所は星の上だった。身を沈められた惑星とは違う星に、海王みちるの演奏を聴きながら観察していたあの星の上に私は立っており、目の前には“私”が居て互いの視線が絡まる。

「ようこそ、大河の果てへ」

目が合ったのはリサイタル以来だったけれど彼女の声を聞いたのはこの瞬間が初めてで、加えて私に向かって話しかけている。同じ声音の筈なのに...いやだからこそだろうか、皮膚が粟立ち自然と背筋が張った。

「眩い太陽系に焦がれた数多の輝き。そんな星々から成ったエリダヌス大河の最果て...それがこの星アケルナルよ」
「アケルナル....」
「そして私はセーラールアル。このアケルナルで番人...なんて名乗るには烏滸がましいわね」
「セーラールアル....」

いずれ叶うならばと望んでいた対話だったけれどあまりにも唐突すぎて思考が追いつかないせいか、うわごとのように彼女の言葉を繰り返すことしかできない。けれど彼女...ルアルからの言葉自体は理解はしていて、ゆっくりと噛み砕きながら頷いて見せるとルアルも微かに頷き薄い唇を開く。

「けれどまさかこの私が地球に転生しているなんて... シルバーミレニアムの崩壊と共にこの身も魂も消え去る運命だとばかり思っていたわ」

シルバーミレニアム、崩壊、消え去る運命、それらのワードに脳がジンジンと痛み、頭を抑えるとそっと両の頬に彼女の手が添えられた。いつの間にかすぐ目の前までやってきていた彼女は「...その罪を思い出す時が来たようね」と呟いた。“罪”、確かに発されたその言葉に視線を上げると、アクアマリンの様に澄んだ瞳に捉えられる。その途端に、彼女の額が光を帯び、額に嵌められたティアラが静かに消失して月の刻印が現れた。眩いばかりの光のはずなのに、瞳はすぐに光へと慣れ、その瞬間に膨大な量のビジョンが頭に展開されて、ふっと私は気を失うそうになった。

「大丈夫よひすみ、このままお眠りなさい。徐々に噛み砕けばいいわ。詳しくはこの記憶と前世の私を暴いてみせた彼女が説明してくれるはずだから」

崩れるはずだった身体を確かに目の前のルアルに抱き止められ、その言葉を聴き終えると同時に意識が遠のいて行く。


「...どうか、貴女の征く途は穏やかでありますように」

そう、呟かれた言葉を最後に私は意識を手放した。




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