ポーラータング号


 ペルツの船にいた3人はローの能力でポーラータング号に乗り移った。甲板の床はまだ濡れたままだ。人影に気づいたシャチが駆け寄ってくる。

「ベポ!無事か!?」
「うん!皆心配かけてごめん」

 ベポが両手を広げて怪我は無いとアピールをしたので、他の船員(クルー)も一安心した。ペンギンはその後ろにいる船長を見て驚きの声を上げた。

「キャプテン、その子は!?血塗れじゃねーか!」
「詳しい話は後だ。おれは今からこいつの治療を始める。お前達はもう一度潜水の準備をしてくれ」
「アイアイ!」

 全員大きな返事をして持ち場に戻った。ローは大人しく腕に収まっている怪我人を抱えたまま、足で扉を開けて船内へと入って行った。

▽▽▽


 ローは様々な医療器具が並ぶ部屋に辿り着くと、中央にある無機質なベッド上にナマエを座らせた。彼女の素人目にもこの部屋の設備はかなり整っていることが分かる。ナマエは何やら準備を進めているローの姿を見て尋ねた。

「船長さんはお医者さんなんですか?」
「ああ、船長兼船医だ。今から肩の傷の手術をする」

 ローはそう告げると大きな裁ち鋏を手に取った。ナマエが頭にクエスチョンマークを浮かべて見上げれば、彼は一言断りを入れた。

「悪いが、邪魔だから上の服を切っていいか?その怪我だと自力で脱げねェだろ」
「あ...確かに自分では無理そうです。でも...」
「手術中はうつ伏せになる。前は見ねェよ」

 ナマエの言葉が尻すぼみになっていく。ローは異性に裸を見られることに戸惑っているのかと思ったが、ナマエの心配は全く別件だ。むしろ背中の方こそ見られたくないものがある。しかし治療を断るわけにもいかないので一言だけ念を押した。

「何を見ても、どうか他言はしないでください」
「分かった」

 ローはただ事ではないと感じとり、相手の精神的負担を減らすためにも全身麻酔を行うことに決めた。麻酔が効いて意識を失った彼女をうつ伏せにさせ、背面から服を切った。露わになった白い背中に刻まれているのは“天駆ける竜の蹄”こと天竜人の紋章だった。彼女の過去はどうやら訳ありらしい。しかし今のローにとって患者であることに変わりはない。速やかに手術に取り掛からねばと思い直す。肉が抉れているが、弾丸は上手く骨を避けて通り抜けたようで比較的楽に縫合できた。動物(ゾオン)系の能力で肉体が強化されていたことも幸いしているのかもしれない。ローは分析をしつつも手術を完璧に終わらせた。

▽▽▽


 ナマエが目を開けると、見慣れない配管と天井が視界に入った。肩の痛みと上半身を覆う包帯で身動きがとりづらいので、視線だけを動かして周りを確認してみる。どうやら手術室とは違う部屋のようだ。いつの間にか手術衣も着せられている。そのまま数分間静かに寝転がっていると、扉が開いてローがやってきた。

「起きたか。手術は無事終わった。まだ動かせねェから、しばらくはそのまま安静にしてろ。食事は別の奴が持って来る」
「本当に何から何まで、ありがとうございます」
「気にするな。おれは医者として当然の処置をしたまでだ」

 ローはそう言ってベッド脇の椅子に腰を下ろした。背後の机からバインダーとペンを手に取る。

「お前には聞きたいことが山ほどある。船に乗せてやる以上、おれの質問には正直に答えてくれ。カルテも書かなきゃならねェし」
「分かりました」

 ナマエは素直に頷くのを確認したローは早速質問を始める。

「まず名前から」
「す、すみません!そういえば自己紹介がまだでしたね...。ミョウジ・D・ナマエと申します」
「...!お前も“D”なのか」
「父方の親族は皆それを引き継いでいるそうです」
「そうか...」

 ナマエの母親曰く父親は海賊だそうだが生まれてから一度も会ったことはない。当然女ヶ島にもいないので詳しいことを説明できず口を噤む。ローは彼女の名に“D”がつくと知り、興味がわいたようだった。
 その後はナマエの生年月日や血液型、アレルギーの有無や病歴等の情報を聞いてカルテに書き込んでいった。いたって健康体で特に問題はない。キリの良さそうなところでナマエがおずおずと尋ねた。

「あの...船長さんのお名前をお聞きしても?」
「トラファルガー・ローだ」
「トラファルガー様」
「おい、その仰々しい呼び方はやめろ」
「す、すみません...!ローさんならよろしいですか」
「まあ好きにしろ」

 ナマエは恩人の呼び名に敬称をつけることに何の違和感も抱いていないので拒否された事実に少し驚いた。ローは妙な呼び方をされずに済んだと分かると、一息ついて改めて質問を再開した。

「この島から連れ出してくれと言っていたが、どこか目的地はあるのか?」
「できれば故郷に帰りたいのですが、さすがにそこまでお願いするわけにはいきません。次の島で降ろしていただいて構わないので、どうかこの船に乗せてください」
「まあ待て。故郷ってのは“偉大なる航路”(グランドライン)にあるのか?」
「はい。アマゾンリリーというところです」
「女人国か」
「ご存知なのですね」
「噂だけな。さすがに“凪の帯”(カームベルト)には入れねェが、最寄りの島までなら乗せてやる」
「い、良いんですか!?」
「ベポがお前のことを気にかけてるみたいでな。この船に乗せてやってくれって、さっき頭を下げにきたんだ」

 ナマエは屋敷でのベポとの会話を思い返しながら、彼の義理堅さに驚いた。そしてローはさらに言葉を続ける。

「その代わり、他の船員(クルー)と同じように掃除や給仕の手伝いもしろよ」
「もちろんです。私にできることなら雑用でも何でも引き受けます」
「じゃあこれで契約成立だな。それと、お前は正式な船員(クルー)じゃないとはいえ、この船の船長はおれだ。船長命令には従ってもらう」
「承知しました」

 船長命令と聞いたナマエはローの目を真っ直ぐ見つめて頷いた。何か大きな覚悟を決めたらしいが、体は強張っている。それに気づいたローは彼女の緊張を解くために言った。

「おれには毛皮屋みたいに女や虎を侍らせる趣味はねェ。基本船内は自由に過ごしていい」
「...っ!あ、ありがと、うございます...!」
「席を外す。ゆっくり休め」

 身構えていたナマエはローの言葉に脱力してポロポロと涙を流し始めた。この船ではもう、過去のようには縛られなくて良いのだ。ローが気遣って退室した後もナマエは静かに泣いていた。

▽▽▽


 しばらくしてナマエの呼吸も落ち着いた頃、部屋にノック音が響いた。扉の向こうからベポの声が聞こえてくる。

「ナマエ、起きてる?開けていい?」
「どうぞ」

 ナマエが返事をするとベポがトレーを持って部屋に入ってきた。

「ご飯持ってきたよ!食べれる?」
「ありがとうございます。いただきます」

 ナマエが笑顔を見せるとベポも嬉しそうに口元を緩めた。慣れた手つきでオーバーテーブルを用意してトレーを乗せた。湯気がたつシチューにパンが添えられている。ベポは椅子に座り、ナマエが食べ始める様子を見守った。するとその時、突然廊下からドタバタと音がしたかと思えば勢いよく扉が開いた。

「ベポずりぃ!おれも会いたい」
「おれもおれも」
「おい押すな!」

 白いつなぎを着た人々が雪崩のように部屋に入ってきた。ベポが焦っているようだが、皆はナマエに興味津々で気にしていない。突然のことに彼女も驚いたが、会釈をしてきちんと名乗った。

「しばらくお世話になります。ミョウジ・D・ナマエです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくなー!」
「キャプテンから少し事情を聞いたよ。故郷の近くまでこの船に乗って行くんだって?」
「分からないことがあったら何でも聞いてくれ」
「それ食べ終わったらポーカーでもやろうぜ」

 賑やかな船員(クルー)達がナマエのベッドを取り囲む。歓迎されているのは素直に嬉しかった。海賊とはこんなに気の良い集団なのかと感動していると、再び扉が勢いよく開いて鋭い声がかかった。

「お前ら静かにしろ!そいつは怪我人だ!」

 入口に目をやれば眉間に皺を寄せたローが立っていた。しかし船員(クルー)達は動じるどころかぶつぶつ文句を言っている。

「えー、キャプテンのケチ」
「こんなところで1人じゃつまんねェよな?」
「うるせェ。ベポ以外全員出ろ」
「アイアイキャプテーン」
「また会おうなーナマエ」

 ローに促され、他の皆は残念そうに退室していった。その背中を見ながらナマエはクスクスと1人で笑っていた。安静が解かれて皆に会えるのが今から楽しみだ。
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