救出


 ベポが攫われてから数時間後。ポーラータング号の甲板で望遠鏡を見ていた女性船員(クルー)が声を張り上げた。

「キャプテン!2時の方角に海軍の船が見える!」
「クソ...!ベポも帰ってこねェし、まさかペルツの差金か」

 昨日の酒場でのやり取りから、ペルツがベポを奪おうと強硬手段をとることはあり得ることだったのにベポを1人で出歩かせたのは間違いだったとローは自分の判断に苛立ちを覚えたが、反省は後回しとする。彼は今やるべきことを判断し、ハートの海賊団一同に指示を出した。

「お前らは潜水して海軍との戦闘に備えろ!俺はペルツの所へ行ってくる!」
「アイアイキャプテン!」

 仲間達は大きく返事をすると各々の担当ポジションについて準備を始めた。ローは愛刀の鬼哭を担いで甲板を飛び降りた。懐には子電伝虫も忍ばせてある。船長を見送るとポーラータング号は潜水を開始した。

▽▽▽


 一方、その頃のベポは再び部屋にやってきたペルツと対峙していた。ナマエが固唾を飲んで見守る中、ペルツが問いかけた。

「さて、ペットになるか剥製になるか...決めたか?」
「どっちにもならない!」
「強情な奴だな…まあ良い。お前達、とりあえず船に運んでおけ」
「はい!」

 待機していた使用人がぞろぞろと檻に群がり台車で運び始めた。ベポは冷や汗をかきながらナマエを見つめるが、なす術もなく部屋から連れ出された。こうなってしまえばナマエは彼の無事を祈ることしかできない。ペルツは胸中を見透かしたように冷たい視線を浴びせた。

「ナマエ。お前は護衛隊とともに屋敷に残れ。もしハートの海賊団が乗り込んできたら撃退しろ」
「承知しました」

 ナマエは平静を装って一礼したものの、内心では僅かな希望を思い描いていた。もしベポとハートの海賊団を引き合わせたら自分はここから解放されるかもしれないのだ。しかしペルツは念入りに釘を刺す。

「もし裏切った場合...護衛隊と使用人にはお前の射殺許可を与えている。あの白熊と仲良くなったようだが、妙な真似はするなよ」
「はい」

 ナマエに心臓を掴まれたような緊張が走る。ベポの話に希望を抱いたままでいたくても今の立場が簡単には許してくれない。一か八かハート海賊団に協力するか、死を恐れてペルツの言いなりになるか。彼女は今後の人生を左右する二択を突きつけられていた。
 ペルツの部下によってナマエの海楼石の首輪が外された。戦闘に備えて服も着替える。ハートの海賊団が本当にこの屋敷を襲いにくるという確証はなかったが、念には念をと武装した護衛隊が屋敷中に散らばった。ナマエは屋敷の中央にある書斎室の前で待機した。
 それから程なくして館内放送用の電伝虫が一斉に騒ぎ出した。

『東棟3階で侵入者発見!東棟3階で侵入者発見!』

 放送を聞いた護衛隊が侵入者を捕らえようと駆け出した。ナマエも急いで東棟に向かう。もし船長がいるのなら、ベポの事を話せば自分をここから救い出してくれるかもしれない。上手く周りの目を欺いて交渉できやしないかと思考を巡らせた。
 ナマエが東棟に辿り着いた時、廊下に護衛隊の兵士が集まって壁ができていた。その中央に立つ見慣れない男性の姿を視界に捉えた時、兵士を取り囲むようにして薄い膜のようなものが現れた。彼女は嫌な予感がして後ろに飛び退く。

「“ROOM”... “シャンブルズ”!!」
「うおおおぁぁぁあああ!!!」

 サークル内にいた兵士の身体や武器がバラバラに分離した。たった1人であっという間に数十人を戦闘不能にした人物はそのまま堂々とナマエの方へ歩いてくる。単独で乗り込んできたのを見るに、かなり手練れなのだろう。彼が船長かもしれないと考えたナマエは威嚇の為に獣人型に変身して対峙した。交渉する前に攻撃されてしまったらひとたまりもないからだ。彼が少し距離を保って歩みを止めたところでナマエの方から沈黙を破った。

「ハートの海賊団の船長さんとお見受けします」
「お前は...。悪趣味なペットかと思ってたが、用心棒も兼ねてたのか」
「ええ、そんなところです」

 ローはナマエの獣型の姿を見ても動じなかった。それどころか鋭い視線を向けて問いかる。

「ペルツとベポはどこだ。お前なら知ってんだろ」
「知っていますが、私もタダで答える訳にはいきません。条件があります」
「何だ?取引か」

 ローは訝しげにナマエの顔を見た。彼が攻撃する仕草を見せないのを確認してからナマエは声を潜めた。

「私をこの島から連れ、」

 パァンと乾いた音のせいでその言葉が最後まで続くことはなかった。肩口に鋭い痛みが走り、思わずうずくまる。火薬と血の匂いが鼻を刺激する。

「うっ...!!」
「ペルツ様を裏切ったな!!侵入者と共に捕えてやる!!」

 ナマエの後方の角から銃を構えた兵士が飛び出してきた。ローがすかさず能力を使用する。

「クソッ。外野は黙ってろ!!」
「ぎゃああああ!!!!」

 兵士は四肢を切り刻まれて床に転がった。銃を握っていたはずの手には代わりに小石が収まっている。続いてローはナマエの腕を掴んだ。彼女は攻撃されるかと思って身構えたが、一瞬で周囲の景色が裏庭に変わった。彼の能力で屋外に脱出したのだと理解する。夕焼け空の下で気が抜けたナマエは思わず変身を解いた。獣人よりも体格が小さくなり、毛皮も無くなったので傷口が目立つ。それを見たローは能力で屋敷からタオルを盗み、華奢な肩に巻いてやった。

「気休めの止血にしかならないが、上から手で抑えておけ」
「あ、ありがとうございます」

 ナマエ指示通り右手でタオルをしっかり押さえた。相手から敵意が感じられなくなったので意を決して頼み込んだ。

「お願いです。どうか、私をこの島から連れ出してください...」
「...ああ、分かった」
「ありがとうございます...!」

 ローは何か訳ありだという事を察して首を縦に振った。ナマエの目に涙が滲むが、ぐっと堪えて彼の仲間の所在を告げた。

「ベポさんなら、ペルツ様の船に乗せられているはずです。ハートの海賊団と海軍の戦闘が終わるまで海上に逃げるとおっしゃっていました」
「面倒だな」
「船着場まででしたら、案内できます」
「構わない。案内してくれ」

 ローはそう言うとナマエを横抱きにした。突然のことにナマエは目を白黒させる。

「わ、」
「失血で倒れたら困る。大人しくしとけ」
「はい...」

 もっともな返答に抵抗することもできず、ナマエはそのままの体勢で道案内をした。 屋敷の裏にある道を抜ければすぐに船着場が見えてきた。見慣れた商船が陸から少し離れたところに浮かんでいるのを発見してナマエは声を上げた。

「あれがペルツ様の船です!」
「まだ追いつけそうだな」

 ローは目標を肉眼で確認し、懐から子電伝虫を取り出して通話を始めた。

「お前ら全員無事か?」
『アイアイ!海軍の船に大穴を開けてやったぜ!』
「よくやった。そのまま島の裏手までポーラータング号を回してくれ。ベポが敵船に連れ去られた」
『アイアイキャプテン!!すぐ行くぜ!!』

 仲間の賑やかな返事を聞くとローは子電伝虫をしまった。夕焼け空を見上げて何かを確認したかと思えばナマエを抱える腕にしっかりと力を込めた。

「よし、行くぞ。振り落とされるなよ」

 次の瞬間2人は空の上にいた。周りで海鳥の群れが驚いて羽をばたつかせる。ナマエは何が起こったか分からないまま息を呑んで固まっていた。さらにもう一度景色が切り替わったと思えば目当ての船の甲板の上だった。この人はワープの能力者なのかとナマエなりに考察してみるが答えはまだ不明だ。船長はナマエをそっと床に下ろし、船首の方に佇むペルツへ歩みを進めた。足音に気づいたペルツが振り返り、声を荒げた。

「トラファルガー...!?ナマエめ、貴様裏切ったな!?」
「毛皮屋、さっさとベポを返せ」
「断る!!!」

 ペルツは銃を構えて怒鳴った。ローはこれ以上話すのは無駄だと判断し右手を構えた。

「“ROOM”... 」
「何をする気だ!?」

 警戒したペルツが発砲するが、弾丸は空中で即座に切り刻まれた。青ざめるペルツに対してローは担いでいた刀を鞘から抜いて大きく一振りした。

“切断”(アンピュテート)
「畜生めが!!」

 ペルツの身体は背後にある船首と共に真っ二つに斬られ、海へと落ちていった。戦闘を見守っていたナマエは呆気に取られる。こんなに一瞬で決着がつくとは。ローは何事もなかったかのように踵を返すと屋内に入っていった。檻は案外すぐ見つかったのですぐにそれを破壊した。鎖もついでに斬ってやれば、泣きべそをかいていたベポが飛びついてきた。

「キャプテーーーーーン!!ありがとうーーー!!!」
「ったく、簡単に攫われてんじゃねェ」
「すみません...チョロいクマで...」
「無事で何よりだ」
「キャプテーーーーーン!!!」

 騒々しいベポを引き連れて外に出る。ベポは甲板で座り込むナマエを見つけるとパッと笑顔を見せた。

「ナマエも一緒だったんだ!」
「はい。ベポさんの言った通り、船長さん強かったです」
「そうでしょ!」

 ナマエの声にベポは誇らしげに頷いた。この2人に交流があったと知らなかったローは驚いたが、これでナマエに対する警戒心は完全に解けたようだった。そして何とも丁度良いタイミングで彼らの潜水艦、ポーラータング号が現場に到着した。甲板に集まっている白い繋ぎを着た船員(クルー)達が大きく手を振っている。

「キャプテーン!ベポー!迎えに来たぞー!」
「みーんなあーー!!」

 ベポもバタバタと手を振り回して答えている。海賊というにはあまりにも和気藹々とした雰囲気にナマエが面食らっていると、ローは再び彼女の身体を抱き上げた。

「お前も来い。治療してやる」
「...っ、ありがとうございます」

 こんなに良くしてもらっていいのだろうかとナマエは涙が溢れそうになるのを必死に耐えた。
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