逃走劇


 ナマエ達が奴隷になり4年が経ったある日。世界を震わす大事件が起こった。
 その日、ナマエは天竜人が飼っている肉食獣と対戦させられる予定だった。いつものように鎖を引かれて闘技場へ移動させられる。三姉妹は今頃外で労働をしているはずだ。今日も全員生きて牢に帰れるようにとナマエは胸中で祈った。覚悟を決めて闘技場の真ん中に立った時、外からやってきた使用人が観客席に向かって叫んだ。その後ろから血相を変えた天竜人も顔を覗かせる。

「皆様、危険ですので今すぐ避難してください!!!」
「お兄様ー!!魚人が火を放ったアマス!!!」
「何だと!?侵入者かえ!?!?」
「ここにも火の手が迫っているえー!!」
「警備は何をしているんだ!!」
「どけっ!!!わちきは死にたくないえ!!!」
「早くここから逃げるアマス!!」
「後ろの席の方から順番に避難経路へ向かってください!!」

 たちまち会場はパニックに包まれた。天竜人達はものすごい形相で出口へはけていく。あっという間に無人になり、闘技場中央の金網の中でナマエはひとり取り残されてしまった。唖然としたまま突っ立っていると、どこからともなく男女2人組が駆け寄ってきて金網を破壊した。

「あんた大丈夫か!?今マリージョアは火の海なんだ!」
「早く逃げましょう!さあこっちへ!」
「え、あ、はい!」
「そのまま走れ!」

 ナマエは言われるがままに金網の穴を通り抜け、闘技場を後にした。外に出て周りの様子を伺えば、多種多様な種族の奴隷が門の方面へ駆けていくのが目に入る。以前、あの向こうには下界と繋がるリフト乗り場があると天竜人が話していたのを思い出した。先程助けてくれた男女とははぐれてしまったが、とりあえず人の流れにのってナマエも全力で走った。背後にある天竜人の居住区からは真っ赤な炎と黒煙が立ち上っている。何かただ事ではない事件が起こっているのは確かだ。

「救世主が現れた!」
「今のうちに逃げるんだ!」
「正門へ行けーーー!!!」

 奴隷達が叫びながら進んでいく。まさか世界貴族に喧嘩を売った人間がいると言うのか。無謀とも思える話だったが一世一代のチャンスを逃すわけにもいかない。ナマエは逃げ切る覚悟を固めた。ただ一つ気がかりなのはハンコック、ソニア、マリーの事だ。この騒ぎに乗じて逃げているといいのだが、とナマエは無事を祈った。
 聖地マリージョアから海に出るにはシャボンを利用するリフト“ボンドラ”を使って“赤い土の大陸”(レッドライン)を下り、“赤い港”(レッドポート)へ行かなければならない。現在リフト乗り場では元海賊らしき者が指揮をとり、重量制限の限界まで人間をリフトに乗せて次々に下降している。一部の種族や能力者の中には自力で降りる者もいるようだ。ナマエがどこかのリフトに空きが無いかと探していると奇跡的にハンコック達と合流できた。

「みんな!無事だったんだ!」
「ナマエー!会えて良かった!」
「ソニア、まだ気は抜けないよ。次に上がってくるリフトじゃないと空きがなさそう」
「姉さんの言う通り!あっちへ行きましょ!」

 4人でまだ待機しているリフトを目指す。なんとか入れそうなリフトを見つけ、希望の光が見えたかと思った瞬間、銃声が響いた。

「うッ...!!」

 ナマエの体が傾いた。右の大腿部側面を抉るようにして銃弾が当たったのだ。焼けるような痛みが一気に伝う。顔を歪めながら振り返ると数十メートル離れた所で天竜人が拳銃を構えていた。あれはナマエ達に悪魔の実を食べさせた張本人だ。

「やっぱりわちきのコレクションを逃すなんて我慢できないえ...!!悪魔の実4つでいくら価値があると思っているんだえ!!!」

 男の醜い叫び声が響く。ナマエは体勢を立て直して天竜人と対峙した。妹達を庇うようにして立つハンコックに声をかける。心配させないようになるべく気丈に振る舞う。

「3人は先に行って!この足じゃ遅いから」
「でも、」
「私はあいつに復讐できるから嬉しいよ」
「ナマエ、そんな強がり言ったって...」
「ソニア、マリー、ここは行くべきよ。ナマエ、どうか無事で」
「うん、またね」

 決心を固めたナマエとハンコックの強い眼差しが交わる。こくりと頷いたハンコックは友人に背を向け駆け出した。ソニアもマリーも口を堅く閉ざしてハンコックへ続く。見かねた天竜人が更に騒ぎ出す。

「クソぉおーー!!勝手に行くんじゃないえ!!ペットの分際で!!」

 ナマエは虎の姿になると天竜人めがけて突っ込んだ。先ほどの銃創が痛むが気にしてはいられない。向かってくる猛獣に恐れをなした天竜人は錯乱して銃を連射する。しかしナマエには全く当たらず、あっという間に距離を詰められた。彼女は大口を開けて目の前の憎き相手の肩に力一杯噛みついた。

「ううぁあああああ!!!!痛いえーーーー!!!痛いえ!!!お父上さまああ!!!」

 醜く泣き叫ぶ声を無視してナマエは反対側の肩に噛みついた。天竜人はさらに叫び声を上げる。牙が皮膚を突き破り、骨に当たる感覚がする。彼女は今ならどこまででも外道になれる気がした。続いて両の脚にも噛み付く。動脈血がドボドボ溢れ出る。これで計4回、4人分の仇討ちだ。地面に仰向けになった天竜人は既に虫の息で掠れた呼吸音だけを発している。ナマエはあえてとどめを刺さなかった。できるだけ長く苦しんで欲しかったからだ。血まみれのナマエが変身を解いてむくりと起き上がると、遠くから見ていた人が駆け寄ってきた。

「ちっこいのによくやったな!スカッとしたぜ!」
「乗れ!海軍が来ちまう前に出発だ!」

 ナマエは見知らぬ誰かに担がれてリフトに乗せてもらった。ハンコック達とは別のリフトに乗ったようだが、押し寄せる疲労感に負けて目を閉じた。
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