地獄の始まり


 つい数日前まで平和な女ヶ島にいたはずだったのに。ここは地獄に違いない。ナマエは奥歯を噛み締めた。
 一糸纏わぬ姿のナマエは乱暴に腕を掴まれ、冷たいコンクリートの上へ放り投げられた。首に繋がれた鎖を引かれて無理やり膝立ちにさせられる。背後の男は灼熱の焼印を構えている。何をされるか察した次の瞬間には背中に激痛が走った。

「うッ、ぁ...あぁぁァァァ!!!」

 熱で皮膚が収縮するのを感じる。喉に血の味が広がり、視界は涙で滲む。いっそのこと意識が飛んでくれたらいいのにと願うほどだ。焼印が離れたかと思えばすぐさま別の男に鎖を引かれた。背後からは別の人間の叫び声が聞こえてくる。ここに連れてこられた人間は皆、消えることのない奴隷の印を刻まれるのだ。
 焼印を終えたナマエにあてがわれた檻には既にボア三姉妹がいた。他の檻を見渡せば大体5人程度でまとめられているようだった。同郷同士で揃ったことは不幸中の幸いとしか言いようがない。ハンコックとマリーゴールドが震えながら呟いた。

「あれが男...なんて外道な...」
「私達これからどうなっちゃうのかな」

 4人とも生まれて初めて見た男という生き物の凶暴性に恐怖を抱いた。絶望感に苛まれ、サンダーソニアの瞳から大粒の涙がこぼれる。

「も、もう二度と...帰れないの...?う、うぅ」
「ソニアちゃん、落ち着いて。泣いたらアイツらがまた来ちゃうよ...!」

 最年少ながらナマエは必死に慰める。全員泣きたい気持ちは同じだったが看守がやってくる恐怖もあった。狭い檻の中で4人は身を寄せ合って朝まで過ごした。互いの肌から伝わる体温だけが頼りだった。

▽▽▽


 翌朝、天竜人の使用人がやってきて奴隷の檻に簡素な服とパンを投げ入れた。ナマエ達も他の奴隷に倣い、服に腕を通しパンを齧った。水は与えられなかったが、久しぶりの食事を吐かないように必死に飲み込んだ。
 それからしばらくして続々と“飼い主”が迎えにやってきた。高笑いをする天竜人はまるで悪魔のようだった。外に連れ出されたら酷い扱いを受けるのは想像に難くない。次は自分の番かとナマエ達が震えながら待っていると、やけに明るい声が絶望を運んできた。

「聞いてた通りだえ!こいつらは中々良い顔してるえー!」
「お気に召したようで良かったです」

 興奮を隠せない天竜人とは対照的に、スーツを着た使用人は表情を変えずに言った。ハンコック、ソニア、マリー、ナマエの順に舐め回すような視線が向けられる。

「もう少し大きければわちきの妻にしてやったのに、残念な奴らだえ」

 何が残念だと言わんばかりにハンコックが相手を睨みつける。しかし天竜人は怯むどころか目を見開いた。

「そうだ!観賞用にしてやるえー!特別にわちきの悪魔の実コレクションを食べさせてやるえ!光栄に思うがいい!お父上様の闘技場も借りるえ!」
「かしこまりました。すぐに手配します」

 少女4人は檻から出されると別の場所に移動させられた。

▽▽▽


 ナマエ達は屋外にある広場へ通された。周囲は金網で囲まれていて逃げ出すことはできない。このような時でも晴れ渡っている空を見てナマエは虚しさを感じる。金網の外では老若男女問わず様々な天竜人が集まり、彼女達に好奇の目を向けている。使用人によって全員横一列に立つように指示され、目の前の地面に一つずつ怪しげな果実が置かれた。

「お前たち!それを食べるんだえ!能力が手に入ったら戦うんだえー!」

 先程ナマエ達の檻にやってきた男が叫んだ。始め4人は固まったまま動けなかったが、段々と大きくなる野次に耐えられずに目の前の果実を口にした。ナマエは白い凸型の果実だった。味は酷く不味い。他の物も同様だったらしく、ハンコック達はえずいている。ものの数秒でナマエは身体の中に不思議な感覚が芽生えるのを感じた。それは抑え切れない力となって内側から突き破ってくるようだ。心臓の音が早い。呑まれてしまう。そう思った次の瞬間には視界の高さが変化した。眼下の自分の身体が白と黒の毛皮に覆われている。バランスが取れずに両手を地面につけば天竜人達が大歓声を上げた。ナマエがハッとして顔を上げると視界に大蛇が2匹映った。例の天竜人が一際大きな声を上げた。

「むっふふふーん!!蛇と虎だえー!!しかも白い虎!!コレクションしがいがあるえ!!」
「お兄様、あの変身してないのは何の能力アマス?まさか偽物の悪魔の実だったアマス?」

 女性の天竜人の疑問はもっともだった。ソニアとマリーは大蛇に、ナマエはホワイトタイガーへと変貌している一方で、ハンコックだけが普段通りの姿をしていた。しかし本人は身体の変化を感じるのか、両手をじっと見つめている。天竜人がまた叫んだ。

「そんなわけないえ!おい!お前たち、早く戦うんだえ!勝った奴には今夜は餌を与えてやるえ!負けたらもちろん餌は抜きだえー!!!」
「む、無理だよ...」

 ナマエが震え声はその他の野次にかき消された。

「戦わないならどうなるか分かってるのかえ!?奴隷の分際で!!わちきの命令に従わないのかえ!?」

 天竜人は声を荒げ、どこからともなく取り出した拳銃を構えた。それを見たソニアが始めに動いた。苦虫を噛み潰したような顔で尻尾を振り回す。

「ごめん、ナマエ」

 謝罪と同時にナマエは横に飛ばされたが、身を立て直してソニアとマリーに体当たりをした。牙や爪が当たらないように注意を払う。

「うっ、ごめんなさい、ごめんなさい。ソニアちゃん...!マリーちゃん...!」

 元の体格はナマエの方が小柄だったが、虎の姿ではソニアとマリーよりも頑丈なようだ。攻撃を受けた二人は後方に転がる。すると背後からハンコックの凛とした声が響いた。

「ナマエ、こっちを向いて」
「ハンコックちゃ...」
「ごめん」

 ハンコックの謝罪と重なったナマエの言葉は途切れた。なんとナマエの身体は石になったのだ。文字通りピクリとも動かない。衝撃を受けた観衆は大いに盛り上がった。

「凄いえええー!石になったえ!」
「素晴らしいアマス!」

 ハンコックはすぐにナマエの石化を解いてその場に倒れ込んだ。虎から元の姿に戻ったナマエも何が起こったか分からないまま意識が遠のいた。
 その日以来すっかり気に入られてしまったナマエ達は度々見せ物として決闘をさせられるようになった。時には天竜人が飼う肉食獣の前に放り出されることもあった。さらには労働を強いられ、理不尽な暴力で痛ぶられる日々が続いた。
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