さしも草(直哉)
 直哉は迷いのない足取りで実家のだだっ広い廊下をつき進んでいく。とある少女が帰省しているという話を聞きつけ、目的の部屋に向かっている所だ。

 再会を待ちわびていた人物は縁側に腰掛けて本を読んでいた。日本庭園を背景に静かに佇む様子はまるで絵画のようでもある。彼女は余程集中しているのか、こちらに気づいていないらしい。直哉は普段の態度からは想像もつかないほど優しく爽やかな声音で呼びかけた。
 
「名前ちゃん、久しぶり」
「直哉君! 髪染めたんだ」
「そうそう。ええやろこの色」
「うん、すごく似合ってるよ」

 名前が大きく頷く。直哉は満足気に笑い、隣に腰を下ろした。本に栞を挟む彼女の横顔を見つめて目を細める。

「しばらく見らんうちにまた美人さんになったなあ」
「お世辞はいいから」
「俺は本気で思っとるのに」
「はいはい」

 名前は困ったように受け流したが、直哉の言葉に嘘はなかった。
 彼よりひとつ歳上の名前は見た目も頭脳も実力も申し分ない上に、控えめな性格で自身の立場を弁えている。直哉はそんな彼女を大層気に入っていて、他の者との扱いは天と地の差があった。
 いつものように和服を着ている直哉と違い、名前は黒一色の学生服に身を包んでいる。直哉は校章のボタンに気づいて呆れたように言った。

「ていうか、まだ高専とか行ってんねや。ほんま物好きやな」
「高専は楽しいよ。友達もいっぱいできたし」
「雑魚と仲良しごっこして何が楽しいん」
「もう。その言い方はないでしょ」
「事実やろ。悟君がおる東京校に比べて京都校は弱すぎんねん」

 名前にやんわりと注意されても直哉はお構い無しに言葉を続けた。しかし次の瞬間、彼は自分の発言を後悔することになる。

「悟君は本当に強いよね。憧れるなあ」
「...そら強いやろ。六眼と無下限呪術持っとるんやから」

 名前の頬が僅かに染まった。照れや恥じらいというより憧れの人の話題で気が高ぶっているのだろう。直哉は何となく面白くない気分になり、前方に広がる庭に視線を投げたが、彼女の声は流れるように言葉を紡ぐ。

「あの人がすごいのは術式だけじゃないよ。そもそものセンスが違うんだ。頭の回転が早いって言うのかな、とにかく立ち回りがすごくて。それに体術もいけるみたいだし。交流会でも大活躍してて、2日目の個人戦は特に、」
「その話、いつまで続くん」

 話を遮ったのは随分と冷たい声だった。やってしまった、直哉はそう思った。慌てて横を見ると、申し訳なさそうな彼女と視線が交わった。そんな顔をさせたいわけでは無いのに。

「ご、ごめん。この前交流会だったから、つい...。五条家の話とか嫌だよね」

 名前は禪院家と敵対関係にある五条家の話題がまずかったと判断したようだ。萎縮して俯いている姿は、昔大人達に叱られていた時のことが思い出される。

「あー...そこやなくて」

 直哉は極力怖がらせないように言葉を選ぼうと逡巡する。結局、不器用な彼は自分の感情を率直に表現した。

「名前ちゃんの口から他の野郎の名前とか聞きたない」
「え?」
「せやから、俺以外の野郎の話はせんといて」

 我ながら情けない独占欲だと直哉は内心で自嘲したが、名前は素直に頷いた。

「うん、分かった。気をつけるね」

 聞き分けの良い名前の返事に、直哉は緩やかに口角を上げた。切れ長の目は普段の鋭さを感じさせず、慈しみに満ちている。名前にしか見せない穏やかな表情だ。しかしそれがどれほど特別なものであるのか、向けられた本人は全く気づいていない。直哉の想いが伝わるのは当分先のことになるだろう。
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