愛を試してと乞うこども(伏黒)
 久方ぶりの休日を手にした苗字は部屋に籠っていた伏黒を外へ連れ出した。彼が趣味である読書の邪魔をされても文句一つ言わないのは苗字が年上だからなのか、それとも恋人だからなのか。おそらく両方だ。

 外は穏やかな春の陽気が漂っていた。散歩がしたいと言う苗字の希望を断る理由などなく、伏黒は肯定の意味も含めて彼女の手を取った。彼らは指を絡めて気の向くままにゆっくりと歩いた。
 高専は緑豊かな山に囲まれていて、耳をすませば時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。すっかり花弁が落ちた葉桜が風にそよぐ音も耳触りがいい。都会の喧騒とは無縁のこの空間で、2人は取り留めのない会話を続けた。

「世界に愛が溢れたら、呪いなんてなくなるかもしれないね」

 歩きながら、ふとした拍子に苗字がぽつりと言った。希望を含んだ言葉の割には少しだけ諦めたような声音だった。きっと答えは分かっているのだろう。何せ純愛という名の呪いを背負っていた人物が身近にいるのだから。伏黒は半ば呆れた反応をする。

「...何馬鹿なこと言ってるんですか」
「ひどい言い方」

 そう言う彼女の横顔は笑っていた。自分の発言が可笑しいという自覚はあるらしい。伏黒は不毛な会話だと理解しながらも続けた。

「愛情なんて人それぞれですから。拗らせたら当然負の感情が生まれるし、呪いにもなりますよ」
「...分かってるよ。でもさ、愛が呪いになるって何だか皮肉じゃない? 」
「まあ...名前さんの言いたい事は分かりますけど」

 どこか夢見がちな苗字の意見に伏黒は苦笑を零した。苗字は繋いだままの手を前後にゆらゆらと振る。

「相手のことを手離したくないっていう気持ちが呪いになるのかな」
「多分。嫉妬とか独占欲とかって負の感情でしょう」
「そっか。そうだよね」

 確認するように小さく頷いた。暫し沈黙が続いた後、苗字は呪術師らしからぬことを口にした。

「私はいつか恵のことを呪うかもしれない」
「...基本、術師から呪いは生まれませんよ」
「死後を除いて、でしょ。私は弱いから恵より先に死ぬだろうけど、離れられる自信がないの」

 ふわりと微笑む苗字に伏黒は目眩がしそうだった。悪い冗談と殺し文句を同時に食らった彼は平静を装って言い返す。

「馬鹿なこと言わないでください」
「また馬鹿って言われちゃった」

 彼女は反省するどころか寧ろ楽しんでいるようだ。しかし伏黒にしてみれば先程の冗談は笑えたものじゃない。

「頼むから死なないでくださいよ」
「呪わないでとは言わないんだ」
「揚げ足取るのやめてもらっていいですか」
「ごめんごめん」

 苗字が軽い調子で謝る。自分の切実な願いは心に響いていないのだろうかと伏黒は大きなため息をついた。そんな彼の様子を見つめいていた苗字は改めて口を開いた。

「生きてる限りでいいから、そばに居てね」

 儚くて消えてしまいそうな一言が伏黒の胸に染み渡る。このささやかな願いもいつかは呪いに変わってしまうのだろうか。考えるだけ無駄かもしれない。自問自答を終えた伏黒は彼女の存在を確かめるように、絡めた指に緩く力を込めた。




企画サイト『彗星図鑑とタルトタタン』様へ提出
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