落花枝に帰らず:下

 名前とネウロ怪しげな脇道を突き進み、その後ろから吾代と弥子がついて行く。花屋の看板が見えたところで、ネウロが立ち止まった。

「まずは僕と先生で事件の話はせずに店に入ろうと思います。その間に苗字さんはこれを買ってきてほしいのです。お金はそこのど...吾代が払いますので」

 ネウロがメモを取り出して名前に手渡す。吾代は奴隷という言葉が聞こえたような気がしたが、反抗するだけ無駄なので黙っておいた。メモを確認した名前は探るような視線を向ける。

「...これが事件の解決に繋がるんですね」
「ええ、そうです」

 ネウロが口角を釣り上げる。納得した名前は吾代と共に早足でその場を離れた。

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 ネウロと弥子はそしらぬ顔で花屋に入った。ドアベルに気づいた青年が作業を中断して振り返る。

「いらっしゃいませー...って、今話題の女子高生探偵じゃないか! 」
「ど、どうも」

 ネウロによって弥子が前に押し出される。店員に見えない位置で掴まれた腕が痛い。ネウロは店員の名札に土井と書かれているのをチェックして爽やかな声で言った。

「先生は花を見るのも食べるのも大好きなんです! 今日は見せてもらいたい花があるそうで!」
「み、見かけによらずワイルドな探偵なんだな...。その花の名前は分かります? 在庫があれば案内しますよー」
「トリカブトはありますか?」
「ああ、生け花用なら。こっちです」

 土井は店の奥に向かって歩き出す。弥子にはネウロの目的は知らされていなかったが、心做しか土井の表情に影が落ちた気がした。
 案内されたのは切り花のコーナーだった。色も形も様々な種類の花が並ぶ中、特徴的な形をした紫色の花が入ったバケツに『トリカブト』と書かれている。土井は弥子達に尋ねた。

「紫系の花をお探しですかね。良かったら他にも見繕いますけど」
「いえ、先生のお目当てはこれだけですから。ねっ、先生?」
「さ、3本ください」
「かしこまりました。レジでお待ちください」

 土井に促されて弥子とネウロはレジで待機した。弥子は手際よく花を包む様子を眺めながら、彼はこの仕事が好きなんだろうなとぼんやり考えていた。包み終わった土井が顔を上げる。

「はいどうぞ。料金は、」
「犯人は...おまえだっ!!」
「はぁあ!? 何のことだよ!?」

 弥子に指をさされて、土井は大きな声を上げた。その額には汗が滲んでいる。弥子も突然のことに驚いていたが、今から始まるネウロの推理に備える。ふいに入口を振り返ったネウロはわざとらしく声をかけた。

「名前さん、その袋を彼に渡してあげてください」
「は? 名前、なんでおまえ...」

 名前は土井に答えず、店内に入る。後ろに吾代も続く。レジまで歩み寄った彼女は持っていたビニール袋を差し出した。

「詳しい話は探偵さんにしてもらいます。まずはこれをどうぞ」
「ハッ。なんだよ、手土産なんか持ってき、て...」
「おや、言葉を失うほど嬉しいですか?」
「テメーら...!」

 土井はネウロの言葉に顔を歪め、袋から乱暴に中身を取り出した。中から出てきたのは若草色の和菓子だった。弥子も何度も口にしたことがある。動揺を隠せない土井を見て、ネウロはつらつらと推理を語った。

「トリカブトは毒草です。経口摂取によって神経系が麻痺し、無表情になることで知られています。しかもその葉はヨモギによく似ている」
「だ、だからなんだってんだよ」
「あなたは昨日、苗字洋介さんにトリカブトの葉で作った草餅を渡した。そして仕事終わりに食べてくれとでも言ったのでしょう。洋介さんは病院の表玄関と裏口を施錠した上でそれを食べ、毒に悶えながら死亡した。診療所には後ろめたい事実が多いので警察に頼るのは不可能。かといって何の心当たりもない遺族がその場で腹を捌くのも考えにくい。そこを逆手にとったつもりでしょう。しかし予想外なことに名前さんは探偵を雇った。そこで計画が狂いましたね」

 土井はネウロの言葉に何一つ言い返さない。拳を握りしめてわなわなと震えている。患者としての彼をよく知る名前は険しい目つきになった。

「土井さん。...否定、しないんですね」
「ああ、そうだよ! 俺が! 俺がやったんだ! あのクソ野郎が邪魔だったんだよォ!」
「っ! 父さんに何度も治療して貰ったのは誰ですか!?」
「違うんだ! 関係ねぇンだよそんなこと! 大事なのは! 華があるか! ないか! それだけなんだよッ!! 俺はあんた、名前が欲しかったんだ! 今まで通いつめたのも! 花束をわざわざ送ったのも! 名前! 名前のためなんだ! 」

 追い詰められて開き直ったのか土井は豹変し、花鋏を取り出した。何度も狂ったように開閉させて鋭い音を響かせる。

「華があるっつーのは! まさに名前みたいなやつのことだ! 急患で運び込まれた俺を初めて治療してくれたのは名前だった! 俺は高嶺の花をなんとか近づこうとしたのに! あのクソ野郎! 俺の邪魔をしてきやがって! だから華がねえあいつには草をぶちこんでやったんだ! 」
「そんな理由で...!」
「んだとッ!? 俺がどれだけッ!!! こうなったらおまえは切り落としてやる!!!!!」

 土井はカウンターに乗り上がると、花鋏を高く掲げて名前に飛びかかった。一瞬怯んだ名前だったが、彼女に痛みが降りかかる前に土井は後方に弾き飛ばされた。吾代が素早い蹴りを顔面に叩き込んだのだ。

「ぐごっッッファっ!?!?」
「馬鹿かテメーは」

 吾代が青筋を立てて言い放った。弥子は名前と共にレジから距離をとる。土井が呻き声を上げながらも抵抗を続けようとするので、ネウロは屈んで頭を掴んだ。

「貴様は威勢が良すぎるようだな。雑草らしく大人しくしておけ」
『魔界777ツ道具 拷問楽器「妖謡・魔」(イビルストリンガー)...』
「うぁ...!???は...はな!!...が...ぁがぁああ!!?!?!」

 土井は錯乱状態で這いずり回り、店の奥へ逃げていった。弥子はネウロが何をしたのか想像して顔を青くした。

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 花屋での推理を終えて無事診療所に戻ってきた4人。待合室のソファに座っている弥子が名前に心配そうに尋ねた。

「本当に、警察に言わなくてもいいんですか?」
「はい。他の患者さんを危険に晒すようなことはできません。それに、土井さんは脳噛さんからきっちり制裁を受けたみたいなので」
「ははは...そ、そうですね」

 ネウロは名前から見えない位置で弥子の足を踏みつけた。
 名前はスタッフルームから未開封だった大量の菓子折を持ってきて全て弥子に手渡した。彼女が持てない分は吾代に無理やり持たせる。そして名前は改めて恭しく頭を下げた。

「今日は本当にありがとうございました。何か治療が必要な時はいつでも来てくださいね。割引しますよ」
「あはは...怪我は気をつけます...! ていうかこちらこそ、こんなに沢山のお菓子をありがとうございます!」
「いえいえ。事件解決に比べれば安いものです。推理、お見事でしたよ」

 名前がネウロを見て微笑む。弥子は似非探偵業を見破られたのかとヒヤヒヤしたが、名前はすぐ吾代に向き直った。

「吾代君も本当にありがとう」
「おう。今後はひとりでやってくんだろ。気ぃつけろよ」
「大丈夫、味方はたくさんいるから。誰かさんみたいなね」
「そーかよ」

 名前が自信を持って告げると吾代は安心したようだ。

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 帰り道、ネウロはあからさまに上機嫌だった。謎で腹が満たされ、ついでに瘴気を放つトリカブトを入手できたからだ。この上機嫌さは逆に弥子と吾代の不安を煽った。トリカブトを口に突っ込まれないようにしよう、と彼らは内心で警戒していた。しかしその警戒も虚しく2人仲良く毒草を食らうまで、あと数秒。

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