ある日の放火魔

 カーテン越しの陽の光が眩しくて、俺は目を開けた。隣にいる名前はまだ夢の中のいるらしい。昨夜は無理をさせたので仕方がない。鎖骨から見えるいくつもの赤い跡がそれを物語っている。全く、俺もいい歳してがっつくなよ。名前を起こさないように布団を抜け出し、その辺に放り投げてあった服を適当に着ていると後ろから声がかかった。

「善二郎さん...」
「ん。起きたか。朝飯は作ってやるから着替えたら出てきな」
「ありがとうございます」

 眠そうな名前の返事を聞いて俺は寝室を出た。朝飯といっても大層なものではなく、トーストとコーヒーを用意するくらいだ。リビングにコーヒーのいい香りが漂ってきたところで名前がやってきた。2人並んでバターを塗ったトーストを齧り、温かいコーヒーを流し込む。実に平和な朝だ。
 朝飯を食った後、身支度を済ませて名前に声をかける。
 
「外行ってくるわ」
「お気をつけて」

 ご丁寧に玄関まで見送りにくる名前に背を向けて家を出た。

 警察に追い詰められて生死を彷徨ったあの日から随分と時間が経つが、俺の火傷痕は全身に残っている。おまけに瓦礫で潰された脚は以前のようには動かなくなった。こうしてリハビリがてら散歩をするのがすっかり習慣になった。見てくれの特徴が増えたというのに、警官は相変わらず駐禁切符を切るのに夢中で気が付きやしないから、隣を素通りさせてもらっている。テロ事件が解決して更に平和ボケしちまったんじゃないのか。
 不自由な足を引きずりながら古びたビルの階段を登っていく。手摺を掴み、一段一段踏みしめて登る様はなんとも情けねえ。

「手を替え品を替え...。増えては減っては存在を続ける」

 犯罪者など探せばどこにでも息を潜めているのだろう。俺や名前だってそうだ。
 誰に聞かせるわけでもない俺の声が屋内に響く。

「犯罪者の王にして最高最後の犯罪者。そう思っていた男が死んでも、俺はこうして生きている」

 扉を開けて屋上に出た。ゆっくりと歩みを進め、ビルの端に立って住宅街を見下ろす。

「この上おまえまでいないんじゃ...善と悪のバランスが取れすぎて面白くねえ」

 脳裏に浮かぶのは謎を喰う魔人という奇妙な存在。奴は誰よりも人間の可能性に希望を見出していた。奴との戦いは人類の命運を分けたと言っても過言ではない。思い出したら気分が昂ってきた。懐からマッチを取り出してタバコに火をつける。

火火火(ヒヒヒ)、帰ってこいよネウロ。俺は、人間はまだ...おまえに何ひとつ見せちゃいないぜ」

 柔らかい春の風に乗って桜の花弁が舞う。大半の人間は何も知らずに朗らかな日を楽しんでいるだろう。俺らみたいなやつが水面下で何を企んでいるのかも気づかずに。

「ようこそおいでませ。犯罪者のワンダーランドへ!」

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